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2023.12.30

2023年ユーザーの心に響いた、野村克也5つの名言

戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後3年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。野村監督の言葉を振り返る連載「ノムラの言霊」の中から、2023年に最も読まれた記事BEST5を紹介する。

野村克也連載BEST5

1.野村克也「あいつのためにワシは南海と阪神をクビになったんや」

「あいつのためにワシは南海(現・ソフトバンク)と阪神をクビになったんや」

(編集部注:南海では、当時まだ婚姻関係になかった沙知代氏の「チーム・選手へのたび重なる口出し」による解任。阪神では、沙知代夫人の脱税容疑での逮捕による辞任)

2009年シーズンを最後に野村克也は楽天監督を退任。以後、書籍用のロングインタビューが都内ホテルで行なわれた。取材の始まりは、毎度「サッチー」こと沙知代夫人への愚痴だった。

40分間の愚痴を含めたインタビュー時間の終了少し前になると、野村監督(退任後もみんなそう呼んでいた)のガラケーが鳴る。

「見ろよ、『早く終われ』って催促の電話が来たぞ」

ディスプレイには「サッチー」の文字が表示されている。慣れていない取材者は沙知代夫人に恐れをなして、以降のインタビューを駆け足で終わってしまうことが多かったらしい。

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2.指導者は結果論でモノを言ってはならない

野村克也が現役時代の鶴岡一人監督(南海=現・ソフトバンク)は“結果論”でモノを言うことが多かったそうだ。ある試合で、野村が捕手としてライバルチームの4番打者・中西太(西鉄=現・西武)と対決し、豪快な本塁打を浴びた。野村がレギュラーとして試合に出始めたころだから、1956年(昭和31年)の話だ。

鶴岡は日本プロ野球監督史上最多の通算1773勝、川上哲治監督(巨人)と並ぶ11度のリーグ優勝を誇る大監督である。先の2023年5月に亡くなった中西太は、高卒1年目から大活躍し、「怪童」のニックネームで呼ばれた大打者。1953年から4年連続本塁打王だ。

「球種は何を投げさせたんや!」
「ストレートです」
「バカたれ!」
(そうか、ああいう場面で中西さんにストレートは禁物なのか。いい勉強になったぞ)

後日、西鉄との試合で同じような場面で、今度はストレートを見せ球にしてカーブで勝負した。だが、また見事な本塁打を許してしまった。

「さすが本塁打王」と脱帽してダグアウトに戻ると、鶴岡監督が凄い形相で仁王立ちする。

「何を投げさせたんや」
「今度はカーブを投げさせました」
「バカたれ!」

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3.「エースと4番は育てられない」。“育成・再生の達人”の真意とは

「エースと4番は育てられない」

それが野村克也の持論だった。「育成・再生の達人」と呼ばれた野村の手腕を考えれば「なぜだ?」と思う人が多いかもしれない。

阪神が最下位に沈んだ1998年秋に野村は監督に就任した。その秋のドラフトで阪神は、将来性を見込んで藤川球児(高知商高)をドラフト1位で指名した。

藤川が46ホールドで突如ブレークしたのは、2005年。実に入団から7年を要している。1998年の阪神は最下位なのだから、即戦力投手を獲得するべきではなかったか。

ちなみに同じ年のドラフト1位では、上原浩治(大阪体育大=1年目20勝)が巨人を逆指名、西武は松坂大輔(横浜高=1年目から3年連続最多勝)を指名した。小林雅英(東京ガス→ロッテ、日米通算234セーブ)という逸材もいた。

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4.組織の危機時、新リーダーが交代後にまずすべきこと

「野村君、リーダーや監督が交代するというのは組織の危機のときなんだ」

野村克也(南海=現・ソフトバンク)が、監督就任を川勝傳オーナーに依頼された1969年(昭和44年)オフ、川上哲治監督(巨人)に聞いた、この言葉を思い出したそうだ。川上はのちに巨人不滅の日本一9連覇の金字塔を樹立した名監督である。

巨人は1956年から3年連続して日本シリーズで「三原脩・西鉄(現・西武)」に敗れる。1959年日本シリーズは杉浦忠(南海)の4連投でストレート負け。1960年は「三原脩・大洋(現・DeNA)」に敗れ、巨人はリーグ優勝からも遠ざかる。川上は1961年に巨人監督に就任した。

南海は長期政権だった鶴岡一人監督が勇退、後継者の蔭山和夫監督が急逝、飯田徳治監督は最下位により、わずか1年で引責辞任。巨人にしても南海にしても、チームが崩壊しそうな、まさに危機のときの監督交代劇だった。

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5.日本シリーズ“優勝請負人”工藤公康を疑心暗鬼にさせた野村克也、リーダーとしての観察眼

2023年シーズン開幕前、阪神率いる岡田彰布は、2022年最優秀中継ぎの湯浅京己をストッパーに配置転換することを公言していた。それに伴い、“勝利の方程式”の“定数”に誰を配置するかが焦点となった。

2005年リーグ優勝時は、勝利の方程式“JFK”を崩さなかった。実にジェフ・ウィリアムスの2005年75試合37ホールド、藤川球児の80試合46ホールド、久保田智之の27セーブという数字が残っている。岡田監督が交代投手を告げなくても、登板順を周囲はわかっていた。

しかし湯浅の故障により、方程式の定数の変更を余儀なくされる。2022年のストッパーだった岩崎優をそのままストッパーに残留。そして岩崎以外のリリーバーを固定するのではなく、柔軟に配置した。

これは桐敷拓馬のリリーバー起用を見ても明らかである。2021年ドラフト3位の左腕は、新人ながら2022年開幕第3戦の先発に抜擢された。しかし、7試合0勝3敗。2023年の先発ローテーション6人は伊藤将司、大竹耕太郎の左腕のほか、青柳晃洋、西勇輝、才木浩人、村上頌樹らがガッチリと固めた。

岡田は2023年7月18日のフレッシュ球宴(二軍のオールスターゲーム)で、桐敷が最終回を打者3人でピシャリと抑えるのを見ていた。

それ以前は2023年も一軍で“谷間”の先発要員だった桐敷だが、リリーバーに“適材適所”があるのを見抜いて、以降は方向転換させたのである。これがズバリ、的中した。

優勝の2023年9月14日まで桐敷登板18試合に見るように、岩崎56試合をはじめ、岩貞祐太(左投手)48試合、加治屋蓮(右投手)47試合、石井大智(右投手)38試合、島本浩也(左投手)33試合、浜地真澄(右投手)29試合。岡田はリリーバーを臨機応変に起用した。

思えば、2005年の日本シリーズ対ロッテ。第1戦1対10、第2戦0対10、第3戦1対10、第4戦2対3の一方的なストレート負け。JFKをそろって使えたのは第4戦だけ。それ以外は藤川を第3戦に一度使っただけで終わってしまった苦い経験もあった。

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TEXT=ゲーテ編集部

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