ジョッキーにとって、騎乗時に足を踏みかける「アブミ」は極めて重要な仕事道具。しかし、武豊曰く「30年前から何も変わってないし、俺もそんなに気にしたことなかった……」。それが2019年秋、ゴルフクラブブランド「MUQU(ムク)」のアンバサダーとして名古屋の工場を訪れた際に、ふと閃いた! 「そんなに気にしたことはなかったとはいえ、どこかで気にはなっていた。何とかならないかな?」と。30年以上のジョッキー人生を懸けた一大プロジェクトを「ゲーテ」が独占でお届け。'20年1月から'21年4月まで計11回で完結を迎えたプロジェクト連載の道のりをたどる。
第1回 レジェンドジョッキーが言った「俺に合ったアブミを作りたい」
2019年9月下旬、それは突然やってきた。
武豊:「アブミって知ってる? 馬に乗る時に足を乗せるヤツなんだけど……。このまえ行った名古屋の工場でさ……。作れないかな? と思って」
10月中旬行われたゴルフクラブ「MUQU」のアンバサダー契約記者会見に先立ち、密かに自分のアイアン作りの現場を訪ね、工場見学していた武豊騎手。
武豊:「人生で初めて。こういうモノ作りの現場を見たけど、凄いですね(笑)。こうやってできていくんですね……。なんか工芸品みたい」
第2回 騎手がこだわる馬具は「オーダーメイドの世界」
武豊は、アンバサダー契約をする「MUQU」アイアンの製造メーカーを訪ねたことで、「自分に合ったアブミを作りたい、作れるんじゃないか…」と閃き、騎手人生の集大成として町工場と一緒にアブミ作りに着手し始めた。武が訪れた場所は、愛知県清須市にある株式会社MS製作所の会議室。事前に本人から提供されたアブミを3Dスキャンし、そのデータを元にオリジナルアブミをどうやって作っていくのか、という会議である。武豊は何に? どこにこだわっているのか?
武豊:「気になる箇所は2ヵ所あるんですが、1つはこのアーチの部分」
第3回 G1レース当日控室で武豊が試したプロトタイプ1号の評価は?
2019年11月下旬、愛知県にあるMUQUアイアンの製造メーカーであるMS製作所を訪ねた武豊。現在愛用中のアブミの改良点を技術者と話し、その試作品のテストは、12月1日の中京競馬場の現場にて、と決まった。年末ダートレースの風物詩、G1チャンピオンズカップの開催日だ。武豊が求めていたアブミの数は約30個。ひとつの究極のモノを作る(MS製作所は自動車関連企業であり、金型作りのプロ集団である)製造メーカーではあるが、量産型の製造業ではない。
技術者:「30個ですか……。全部同じ製法で、ですかね? それとも金型から鋳造的なことなのか。金属積層(俗に言う3Dプリンター)はどうですか?」
第4回 困難が待ち受ける製造方法。完成を待ち望む競馬界
2019年12月1日、G1レース開催の中京競馬場にて独自アブミの試作品を試した武豊騎手。木馬を使い、自身の騎乗フォーム、重心移動やムチを入れた際の足元のバランスなど、製品性能として「OK」を出した。しかし、足を乗せる幅の調整や踏み面の凹凸の高さなど、細部の削り注文もあった。2019年も年の瀬、いよいよ製品化に向けて、その製造方法をめぐり、MS製作所の社内と発案段階からともにプロジェクトを進めてきた筆者・小林を含めて議論が紛糾しはじめた。とにかく良いモノを作る。それが使命であり「目的」の製造現場。一方で、クオリティに妥協はしたくないが、武豊ひとりのためだけに、スペシャルワンモデルを作る訳ではない。製造は「手段」であり、目的に応じた方法を模索したい、と説明する筆者がいた。
第5回 トレセンでも話題沸騰! リーディングジョッキーと議論
競馬界の第一人者の武豊が30年のジョッキー人生を懸けた計画とあって、 昨年このアブミプロジェクトが始動してから、競馬関係者から筆者に直接問い合わせをいただくということが多々ある。武豊本人とも、電話で話す機会が多くなった。
武豊:「なんか……。凄いことになってるね(笑)、今トレセン終わって、(競馬)記者から『アブミ作ってるんですね!』とか、調教師さんや厩舎関係者から『俺らも作れるの?』って……。で、ところで今どーなってんの?(笑)」
筆者のミスである。まさか、この『アブミプロジェクト』に競馬関係者からこれほど興味を持ってもらえるとは思っていなかった故に、ちょっとした騒動になってしまった。
第6回 弟・武幸四郎が語った「ジョッキーアブミ」と「調教アブミ」の違い
「武豊アブミプロジェクト」の製作を進めるエムエス製作所の迫田副社長や技術者とともに、栗東トレーニングセンターに出向いた筆者。前回の記事では、プロジェクトの中心人物である武豊のみならず、独自のアブミ製作に興味を示すリーディングジョッキーの川田将雅からもヒアリングを行った内容をレポートした。そして今回。ジョッキーを引退し、現在は調教師に転向している”武豊の弟”武幸四郎にも話を聞いた。前回も記したが、武豊のアブミは順調に「30個」の納品にむけて製造が進んでいた中で、暗雲が立ち込める事態になっている。
第7回 世界一の軽量アブミを目指し『モデル2』開発へ着手
前回、現在進行形のアブミが、当初の目論みより「重量オーバー」なことが判明した。製作当初から本プロジェクトに携わる筆者は、現場のエムエス製作所に「軽量化バージョンを何とかならないか?」と打診。同社の迫田副社長に、武豊の思い、意味のある(ニーズに合った)アイテム作りを熱弁した。
迫田:「製品化ラインは、135~140gで上がってきて、そこから研磨して130gを目指します」
筆者:「130gですか……。当初の100gは? もう無理なんですか?」
迫田:「素材や形状を見直さないと」
筆者:「アルミとかは相当軽いですよね? もちろん強度的な製造現場の声もありますが、そもそも論として、形状設計と同時に重量を考えた製法や素材を」
第8回 製造過程でトラブル発生も「じゃあ、2パターン作るのはどう?」
2020年3月中旬、競馬界にも新型コロナウイルスの影響が及ぶなか、アブミ製造現場にも多少の影響はあったが、無事に武豊モデルの鋳造品10個が手元に届いた。しかし、エムエス製作所で心待ちにしていた迫田副社長は、言葉を失った……。以前、栗東トレセンにて、武幸四郎調教師が「巣穴に気を付けて!」と言っていた、それが起こっている。
迫田:「小林さん(筆者)! トラブル発生です、大変です!」
鋳造品の検品を経て、仕上げ研磨(重量調整)と形状誤差などチェックすれば武さんの元へ届けられる、と筆者は考えていた。
第9回 ついに実戦勝利! 「競馬を通じ”ウマ”社会のためにできること」
今回からついに「シーズン2」が開始! アブミ製造も決まり、若手ジョッキーなどから「僕らも買えるんですか?」と聞かれる武豊は言った。
武豊:「今、こういう状況(コロナ禍)だから、何かこのアブミからできないかな……」
前回のシーズン1連載(全8回)から数ヵ月。本来なら、初めての日本製アブミの騎乗シーンや、馬具を装着した検量室前など写真盛り沢山でお届けする予定でしたが、コロナ禍は競馬界にも及んでおり、想定していたシーンの取材は断念せざるを得なかった。武豊がこだわり抜いたアブミは、実はGW前には完成しており、当初、3歳クラシックでの使用を模索していたが、 (説明を兼ねて会うことが必要だった) 納品に際しての接触を避けるため、使用開始が遅れてしまった。
第10回 軽量化を実現した"武豊モデル"で川田騎手も騎乗!
2020年夏にシーズン2の連載を開始するも、一向にコロナ禍の社会情勢は改善されず、withコロナにおける手探り取材を慎重に筆者は進めていた。しかし、アブミ製造においてもサプライチェーンが平時ではなく、原材料の調達に時間を要するなど様々な影響を及ぼしていた。また、コロナ禍による取材規制により本プロジェクトに関する写真撮影さえもままならない状況だった。それでも、もちろんアブミ製作は続けており、いよいよ他のジョッキーにも行き渡る「数」が完成。続いて、当初の計画通り、ステンレス製の基本形状は同じまま、素材をアルミに変えたタイプを作っていた。
最終回 一流騎手を魅了するMade in Japanの底力
2020年12月27日に有馬記念が終わり、例年なら、武豊騎手は1年に1回の休暇を兼ねて年末年始を海外で過ごすはずだった。しかし、コロナ禍の真っ最中で、もちろんそれはかなわず、国内滞在となっていた。
武豊:「年末まで時間あるから、どっかで忘年会を兼ねてアブミの話もしよっか」
筆者:「こういうご時世だからランチにしときましょうか」
武豊:「そういえば! (川田)将雅、使ったぽいよ! 有馬で」
筆者:「えっ? 川田騎手のアブミはまだ完成してませんけど? 何を使ったんですか?」
武豊:「それがさぁ、俺のアルミの黒いヤツを『使っても良いですか?』って言うから、俺のやったけど(笑)、『別にええよ』って。そしたら、どーも有馬で使ったらしいわ!」
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武豊から皆様へ
ジョッキーとして、これまでは市販品を普通に使うのが当たり前でしたが、日本のモノ作りの現場を見て「アブミが作れるんじゃないか?」と。
騎手が世界で初めて監修し、サイズ感もそうですし、「何が重要なのか?」「アブミの目的は何なのか?」ということにこだわり、メーカーの方々とも互いに妥協ない議論を繰り返してきました。
アブミプロジェクトとしてスタートして1年半。今では川田将雅騎手も興味を示すなど、私もそうですが、将雅も「こんなにアブミ1つで追い方が変わったり、騎乗フォームが変わると思わなかった」と実感しております。
近年の日本馬の強さとともに、我々ジョッキーも探究心と向上心を持って、さらなる世界への飛躍に挑戦していきます!
筆者から皆様へ
コロナ禍という事情もあり、断腸の思いで本連載の休止を編集部と決めましたが、この先も武豊アブミプロジェクトは続きます。調教用アブミ、乗馬用アブミなど、武豊氏の頭の中にはアイデアが満載です。不定期ですが、UPします!
騎手が騎乗中に、自分の体重を乗せている唯一の馬具がアブミであり、武豊氏は常々「安心(ちゃんと騎手が監修した馬具)と安全(Made in Japan)がキーワードだね」と話しています。
この先も変わらないコンセプトで作り続けていきます。
最後になりますが、アブミという、完全に競走馬レース向けではありますが、その実物をみたい!と言われることも多く、騎手の方が実際に購入される、今回のアブミを取り扱っている馬具店を紹介しておきます。
時田馬具(兵庫県):0797-71-1764
ウツミ馬具(茨城県):029-885-4545
蒲谷馬具(神奈川県):046-861-4189
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Yutaka Take
1969年京都府生まれ。17歳で騎手デビュー。以来18度の年間最多勝、地方海外含め100勝以上のG1制覇、通算4000勝達成など、数々の伝説的な最多記録を持つ。2005年には、ディープインパクトとのコンビで皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2例目となる無敗での牡馬3冠を達成。50歳を迎えた2019年も、フェブラリーステークス、菊花賞を制覇。昭和・平成・令和と3元号同一G1制覇を達成した。父は元ジョッキーで調教師も務めた故・武邦彦。弟は元ジョッキーで、現調教師の武幸四郎。
Yuga Kawada
1985年佐賀県生まれ。2004年3月デビュー。’08年の皐月賞をキャプテントゥーレで制覇し、GI初制覇。’11年に自身初の年間100勝を達成。’13年は120勝を挙げ、初のJRA最高勝率を獲得。’16年、日本ダービーをマカヒキで優勝。’21年は高松宮記念、大阪杯と春のG1を連勝するなど絶好調。
Santos Kobayashi
1972年生まれ。アスリートメディアクリエイション代表。大学卒業後、ゴルフ雑誌『ALBA』の編集記者になり『GOLF TODAY』を経て独立。その後、スポーツジャーナリストとして活動し、ゴルフ系週刊誌、月刊誌、スポーツ新聞などに連載・書籍の執筆活動をしながら、映像メディアは、TV朝日の全米OP、全英OPなど海外中継メインに携わる。現在は、スポーツ案件のスタートアッププロデューサー・プランナーをメイン活動に、PXG(JMC Golf)の日本地区の立ち上げ、MUQUゴルフのブランディングプランナーを歴任。