ジョッキーにとって、騎乗時に足を踏みかける「アブミ」は極めて重要な仕事道具。しかし、武豊曰く「30年前から何も変わってないし、俺もそんなに気にしたことなかった……」。それが昨秋、 ゴルフクラブブランド「MUQU(ムク)」のアンバサダーとして名古屋の工場を訪れた際に、ふと閃いた! 「そんなに気にしたことはなかったとはいえ、どこかで気にはなっていた。何とかならないかな?」と。30年のジョッキー人生を懸けた一大プロジェクトをゲーテWEBが独占でお届け。第4回は、困難が待ち受けるアブミ製造方法と、その完成を待ち望む競馬界の声について。【G1レース当日控室で武豊が試したプロトタイプ1号の評価は? #3】
製造は「目的」なのか、「手段」なのか
2019年12月1日、G1レース開催の中京競馬場にて独自アブミの試作品を試した武豊騎手。
木馬を使い、自身の騎乗フォーム、重心移動やムチを入れた際の足元のバランスなど、製品性能として「OK」を出した。
しかし、足を乗せる幅の調整や踏み面の凹凸の高さなど、細部の削り注文もあった。
2019年も年の瀬、いよいよ製品化に向けて、その製造方法をめぐり、MS製作所の社内と、発案段階からともにプロジェクトを進めてきた筆者・小林を含めて議論が紛糾しはじめた。
とにかく良いモノを作る。それが使命であり「目的」の製造現場。一方で、クオリティに妥協はしたくないが、武豊ひとりのためだけに、スペシャルワンモデルを作る訳ではない。製造は「手段」であり、目的に応じた方法を模索したい、と説明する筆者がいた。
「みんな待ってると思うんだよね……」
最初にアブミの相談を受けた時(2019年9月)、武豊は電話口でこう言った。
武豊:「みんな待ってると思うんだよね……」
30年騎手生活をしてきた稀代の名ジョッキーが、海外製である既製品の機能性に違和感を抱きながらも、使ってきた歴史がある。
武豊:「(川田)将雅に、"俺さぁ、いま例のゴルフの会社(MUQUアイアン製造メーカー)で、アブミを作ってるんだけど"って言ったら、"お願いします!是非作って下さいよ"って言うし、これは多分、日本のジョッキーの多くが感じていることじゃないかな……と思っていて」
筆者は、武豊が語るその内容に衝撃を受け、驚き、スポーツプランナーとして、MS製作所の迫田邦裕副社長に協力を願った。
このプロジェクトは、日本のモノ作りにとっても晴れ舞台になる可能性を秘め、本当に実現したならば、某TVドラマのような壮大なるストーリーとなるのではないか。職業柄、アスリートファーストゆえに、そのアスリートのニーズに対して具現化できる社会の実現こそが使命だと思い、行動に移したのだった。
製造業は、世の中に無くてはならない産業だが、あまり日の目を見ないことも事実。だからこそ、この異例のコラボが面白いのだ。製造=利益ではないが、違う利益や将来の可能性もあるはず……と周囲に理解を求めていた。
武豊のみならず、日本の他の騎手、調教助手、広く競馬サークルで働く人、競走馬に乗る多くの人たちが、実は、待っているんじゃないか?
武豊が動く意味とは、彼が行動しないと30年前も30年後も何も変わらないということなのではないだろうか。
日本の競走馬が近年「強さ」を増したと聞くが、その裏には馬産地を含めた生産、育成などたゆまない努力があったはず。
武豊自身も、馬に乗るジョッキーとして日々努力し続けている。アブミを含む馬具は、その1つの要素であり、騎手のみがこだわれるアイテム。そこに武豊は着目したのではないだろうか。筆者にはそう映り、そう感じた。
気づき、考え、そして行動する。それはアスリートの誰もができることではない。
「みんなの為にもなるはず……」
話を本編に戻そう。
そんな熱い武豊の熱い裏の心持ちを、筆者は迫田副社長に説明した。
小林:「武さんのアブミだけじゃないんです……。その先には、もう、待っている騎手や関係者がいるはずなんです!だから、作ること、製品化が"目的"ではなく、ニーズに対しての製品化、作ることを"手段"の1つと考え、製造方法を広く模索してもらえないでしょうか」
もちろんコストも大事である。のちに、「数を作る」となった場合、初動の製造方法を間違うと時間とコストが余計にかかってしまう。MS製作所が作るオーダーメイドのゴルフクラブ、MUQUアイアン(1本36万円)のような究極のモノ作りだと、武豊など限られたトップジョッキーにしか行き渡らない。それは(彼も)本望ではない……はず。
製造方法を模索するなか、ヒントを得るため、武豊に電話をしてみた。
小林:「スミマセン、リアルな話し、武さん以外にもアブミのニーズがあるとしたら、"どうやって動く"というか、"今後の展開"というか、他の騎手に向けても作っていく感じなのでしょうか……??」
彼はすぐに回答してくれた。
武豊:「俺が昔からお世話になっている馬具屋さんがあるから、その人に話しておくから、一回、コンタクトしてみてよ」
筆者は教えてもらった携帯番号にすぐ電話した。
小林:「実際、アブミのニーズというか、馬具屋さんとしては……。どんな感じなんでしょうか? 武さんだけが望んでいるアイテムなんでしょうか?」
馬具屋:「武さんだけじゃないと思いますよ……。皆、言わないだけで。他のジョッキーも思うところはあるんじゃないでしょうか。やっぱり、競馬界で武さんが使うとなったら、(改めてアブミに)みんな注目しますよ! 数でコレぐらいっていうのは、今の段階(まだモノも見せてない段階)では難しいですが、例えば、武さんのモデルが他のジョッキーにも買えるようになると良いですよね……」
もちろん、好みやこだわりの違いから騎手全員ではない。しかし、馬具屋さんは、こういう(作るという)取り組みそのものについて「是非トライしてもらいたい」と言った。
武豊じゃなければ動かなかった「Made in Japan」に馬具屋も期待しているのだった。
「自分でオーダーできる環境があれば……良いね」
数日後、武豊と別の用事で食事をする機会があり、筆者は本音で聞いてみた。
小林:「武さん……。武さん用のスペシャルモデルのアブミですが、実際に、MUQUのような削り出しじゃないと、やっぱりダメですか?」
武豊:「良いよ……。そんな気を使わなくても。だって、そんな事したら、2個セットですごい金額になっちゃうじゃん(笑)」
その言葉を筆者はこう理解し、安堵した。
本当は作れることを知っているし、MUQUアイアンのアンバサダー契約をしている武豊としては、MUQUの製法でアブミが手に入ると、こんなに嬉しい事はない。
でも、しかし……。彼は全てを分かっているようだった。
武豊:「製法や素材とかは、俺らは分からないから、ただ、他の騎手でも"スペシャルで自分用にオーダーしたい"となった場合に、あまりにも(金額が)ね……。若いジョッキーなんかは、俺や他のジョッキーの何タイプかパターンがあれば、その中から自分に合ったタイプが選べるだろうし」
やはり『自分だけのアイテム作り』を考えていた訳じゃない。稀代の名ジョッキーと言われる所以を、改めて垣間見た瞬間だった。
武豊だから切り開ける道がある。
その先は、それぞれが決めれば良い……。キッカケは作ったから。
2020年、年が明けた……。
年末から続いた「製造方法」をめぐり、その選択に一応の結論がでた。
コストバランスを考え、鋳造をベースに、仕上げや細部の研磨などはMS製作所が管理し、Made in Japanにて製造する。完成予定は3月初旬、完成品をさまざまな検査機関でテストし、武豊の元に3月下旬には届けられそうだ。
今でも電話口で、冗談めいた口調で、こう言う。
武豊:「俺のアブミまだぁ?(笑)」
小林:「春のクラシックには間に合いますから、楽しみにしていて下さいよ」
笑いながら返答するしかない……。
【トレセンでも話題沸騰! リーディングジョッキーと議論 #5】
Yutaka Take
1969年京都府生まれ。17歳で騎手デビュー。以来18度の年間最多勝、地方海外含め100勝以上のG1制覇、通算4000勝達成など、数々の伝説的な最多記録を持つ。2005年には、ディープインパクトとのコンビで皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2例目となる無敗での牡馬3冠を達成。50歳を迎えた2019年も、フェブラリーステークス、菊花賞を制覇。昭和・平成・令和と3元号同一G1制覇を達成した。 父は元ジョッキーで調教師も務めた故・武邦彦。弟は元ジョッキーで、現調教師の武幸四郎。
Santos Kobayashi
1972年生まれ。アスリートメディアクリエイション代表。大学卒業後、ゴルフ雑誌『アルバ』の編集記者になり『Golf Today』を経て独立。その後、スポーツジャーナリストとして活動し、ゴルフ系週刊誌、月刊誌、スポーツ新聞などに連載・書籍の執筆活動をしながら、映像メディアは、TV朝日の全米OP、全英OPなど海外中継メインに携わる。現在は、スポーツ案件のスタートアッププロデューサー・プランナーをメイン活動に、PXG(JMC Golf)の日本地区の立ち上げ、MUQUゴルフのブランディングプランナーを歴任。