PERSON

2020.01.20

レジェンドジョッキーが言った「俺に合ったアブミを作りたい」【武豊アブミプロジェクト1】

ジョッキーにとって「アブミ」は極めて重要な仕事道具。しかし、武豊曰く「30年前から何も変わってないし、俺もそんなに気にしたことなかった……」。それが昨秋、 ゴルフクラブブランド「MUQU(ムク)」のアンバサダーとして名古屋の工場を訪れた際に、ふと閃いた! 「そんなに気にしたことはなかったとはいえ、どこかで気にはなっていた。何とかならないかな?」と。

MUQUアンバサダーに先立ち、自身のモデルアイアンの製造現場に訪れ、迫田副社長から説明を受ける。

MUQUアンバサダーに先立ち、自身のモデルアイアンの製造現場に訪れ、迫田副社長から説明を受ける。

「モノ作りの現場を初めて見たけど、凄いですね 」

2019年9月下旬、それは突然やってきた。

武豊:「アブミって知ってる? 馬に乗る時に足を乗せるヤツなんだけど……。このまえ行った名古屋の工場でさ……。作れないかな? と思って」

10月中旬行われたゴルフクラブ「MUQU」のアンバサダー契約記者会見に先立ち、密かに自分のアイアン作りの現場を訪ね、工場見学していた武豊騎手。

武豊:「人生で初めて。こういうモノ作りの現場を見たけど、凄いですね(笑)なんか、こうやってできていくんですね……。なんか工芸品みたい」

ミクロン単位で削り出す技術と、コンピュータ管理された最新設備に驚きを隠せない。

筆者・小林はゴルフがメインのジャーナリスト・スポーツプランナーであり、武騎手とは、もう20年近くの付き合いになるが、競馬に関する相談、依頼を受けたことは一度もない。当たり前だ、競馬がメインじゃないことは、彼も百も承知である。

筆者がMUQUアイアンを初めて目の当たりにした時、その匠の製法とプライスに驚愕したことを、ある食事の席で武騎手に話した。そこからMUQUアンバサダーへ話は進むのだが……。

もしかすると、あの時、武騎手は違う目線でMUQUの製造現場を見ていたのかも知れない。そう思ってしまう閃きと想像力、あくなき探究心に、冒頭の電話を覚えている。

10キロの鉄の塊から約24時間かけて削り出す「MUQUアイアン」、限定10セットの武豊モデルは6本セット250万円(税別)。

10キロの鉄の塊から約24時間かけて削り出す「MUQUアイアン」、限定10セットの武豊モデルは6本セット250万円(税別)。

2019年10月、MUQUアンバサダー就任会見に出席した武豊と筆者がトークショーを展開。

2019年10月、MUQUアンバサダー就任会見に出席した武豊と筆者がトークショーを展開。

「30年乗ってきて、やっと見えてきた理想の形があるのよ」

小林:「多分作れると思うのですが、わたしは分からないので(笑)。MS製作所(MUQUアイアンの製造メーカー)にすぐに聞いて折り返します」

武豊:「作るって言うか……。ずっと気になる箇所があって、それを直したいのもそうだけど、自分オリジナルっていうか、言葉じゃ上手く言えないけど、30年乗ってきて、やっと見えてきた理想の形があるのよ」

MS製作所の副社長であり、MUQUアイアンの陣頭指揮を取る迫田邦裕氏に電話すると、その日はすぐにつながった。というのも、迫田副社長にはもう一つの顔があり、心臓カテーテルなど循環器内科の医師でもあり、全国を飛び回って執刀をしている。

小林:「あの……、スミマセン、MUQUじゃないんですが、今、武さんから電話で、"アブミを作れないか?"という相談です、どうですか…」

迫田:「アブミ……って、スミマセン何ですか?」

知らないのも無理はない、一般社会であまり使う単語ではない。筆者のありったけの知識を副社長に説明した。

迫田:「作れます! 金属製品なら何でも作れますし、こういうチャレンジがしたいです! トップアスリートの、しかも世界を知る人のモノ作り、何かドラマみたいですね」

即答だった、心なしか声が弾んでいた。モノ作り大国ニッポン、と昭和の時代から言われ続けているが、今はどうだろう……。製造現場は海外に移転し、その間、失われた技術や職人、そして継承が止まった。迫田副社長もその一人なのかも知れない。

3代目として幼少期を過ごすも、自身は医学の道へ、そして今、二足のワラジで生活し続けること3年、改めて、モノ作り現場へ戻ってきた。MUQUアイアンのストーリーを熱く語る迫田氏を思い出した。

迫田:「モノ作りを何とかしたい、価値あるモノ、Made in Japanの底力を見せたい」

非製造業に従事したから見えた外からの景色がある。そして、冷静かつ客観的に、日本の製造業の置かれている現状もわかっている。しかし、チャレンジしないことには何も変わらない。

「モノとして壊れちゃダメ、絶対に!」

すぐに電話を折り返した。

武豊:「ほんと!良かった。じゃあさ、今、家にあるアブミの何パターンか先に送るから」

武さんの声も同様に弾んでいた……。

武豊:「コバ(武さんは筆者をそう呼ぶ)さ、ちょっとメモって。親指の部分のさ……、アーチのカーブが……、体重を乗せる時に……、踏む面積が……」

ダメだ。筆者も、乗馬を趣味でやっているが、コワイ。稀代の名騎手から、商売道具でもあり、命を預けるパーツを電話口で聞いて、ちゃんと理解できるのか・・・…。それにしても、アブミって……、そんなに重要なパーツなの? 違いがあるのか?

武豊:「体重が全部乗っかるのがアブミだし、踏み方と言うか、乗り方の好みで違うのよ……。外人ジョッキーは、また全然違う形状だったり」

小林:「武さん、コレだけは! って言う注文と言うか、製造ポイントみたいな……」

武豊:「モノとして壊れちゃダメ、絶対に!」

確かに。例えは悪いが、自転車で立ち漕ぎで全力ペダル中、そのペダルが外れたら(壊れたら)ヤバいと思った。

筆者の不安さを感じた武豊は、「OK。じゃあさ、直接説明した方がいいから近いうちにまた名古屋に行くよ」と言う。

小林:「ちなみに武さん、今使っているアブミってどこで作られているんですか?メーカーとかは?」

武豊:「それがメーカーは分からん(笑)。 トレセン(栗東トレーニングセンター)の馬具屋さんに聞いたんだけど、どーも台湾製なんだよね」

えっ? 思わず電話口でつぶやいた。

武豊:「でしょ? そう思うでしょ。俺もそうだけど、俺らジョッキーみんな、たぶん何十年も当たり前で使ってきたけど、(川田)将雅にもそれとなく聞いたら、僕はこの部分がちょっと気になります、とか、みんなやっぱりこだわりっていうか、今の(アブミ)に違和感を感じてはいたね」

武豊から預かった様々なアブミを3Dスキャンしたもの。

武豊から預かった様々なアブミを3Dスキャンしたもの。

「Made in Japanでできたら良くない?」

小林:「MUQUのフィッティングの時に、工場を見たじゃないですか……。あんな感じで削り出しのイメージですか?」

武豊:「う~ん、細かいこと(製法やプロセス)は分からないけど、あのクオリティで、日本のモノ作りで、Made in Japanでできたら良くない?」

その電話、(凱旋門賞に騎乗するための)フランスに渡航する何日か前であった。ふと、外の世界から長年武豊と向き合ってきて、思うことがあった。今回、その一端にチャレンジできるかも……と。

"凱旋門賞に日本馬が勝つことが、日本競馬界の悲願だ"との記事をよく目にする。さらに欲を言うと、その瞬間、ジョッキーも日本人であって欲しい。そして、そのジョッキーが、武豊ならなおの事である。

競馬ジャーナリストではない筆者には、その後の社会での盛り上がりや、一般ニューストップとして、競馬を知らない人へ訴求できる無二の人だと思うから。競馬はやったことなくても、武豊の名前は知っている。顔も知っている。

競馬はギャンブルではあるが、違う側面として、また文化として、日本にも馬社会が育って欲しいと思うし、そのアンバサダーは武豊なんだとも思う。

小林:「今年の凱旋門賞は間に合いませんけど(笑)、来年、このアブミでチャレンジできると良いですね!」

武豊が「夢」と公言する凱旋門賞に向けて、乗り手が自由に選べる唯一のアイテムが馬具であり、それを一から作ることができるとなると、ゴルフ、野球、サッカーなど他のプロアスリートと同じ土俵にやっと立てるのだ。

凱旋門賞から帰国後、秋の国内G1レースに騎乗し、10月下旬に米国での騎乗に向けて再び海を渡った武豊。その間、MS製作所はと言うと、先に送ってもらったアブミを3Dスキャンし、解析と分析を行うチームが動いていた。

米国から帰国し、すぐに電話が鳴った。

武豊:「見てきたよ、向こう(米国)のジョッキーのアブミも。やっぱり、いろいろあるね、こだわりって言うか好みというか」

小林:「やっぱり、芝質の違いとか、砂の違いとかあるんですかね?」

武豊:「どうなんだろね。(馬の)追い方の違いとかもあるだろうし。でも分かったのは、みんな気にしてはいるけど、そういうもんじゃないの? 的な感じでもあったかな……」

小林:「ある意味、アスリートの道具として見た場合、騎手の道具って、あまり昔から進化をしてないって事ですかね?」

武豊:「……かも知れないね」

スポーツジャーナリストとして、素直にこう思い、言った。

小林:「だとしたら、もったいないですね」

続けて、現在のアブミプロジェクトの進行状況を説明した。

すると武はこう言った。

武豊:「今、実際にレースで使っているアブミを持っていくわぁ。で、2ヵ所、気になる部分があるから……来週、また名古屋で!」

2006年、凱旋門賞に挑戦したディープインパクトと武豊。3着に入ったものの、帰国後に禁止薬物検出が発覚し、まさかの失格に。Licensed by Getty Images

2006年、凱旋門賞に挑戦したディープインパクトと武豊。3着に入ったものの、帰国後に禁止薬物検出が発覚し、まさかの失格に。Licensed by Getty Images

トップアスリートが「道具」にこだわるのは必然であり、自らの肉体の進化とともに、自らが探し求めなければいけない。

しかし、過去に、その要望に応じられる(応じてくれる)会社がなかった。

その要望を出すジョッキーもいなかった……。かの武豊が既製品をそのまま使っていたとは驚きだ。

レースを走るのは馬だ、しかしその馬を操るのはジョッキーである。

まだまだやることはある。騎手として、まだまだやれることはある。武豊として。

世界のレジェンドジョッキーが、名もなき町工場と挑む世界への道。

日本馬が世界へ挑戦するのと同じく、日本人がオール日本製馬具で挑戦する。

30年の時を経て、その挑戦は、いま始まったばかりだ。

【騎手がこだわる馬具は「オーダーメイドの世界」#2】に続く。

Yutaka Take
1969年京都府生まれ。17歳で騎手デビュー。以来18度の年間最多勝、地方海外含め100勝以上のG1制覇、通算4000勝達成など、数々の伝説的な最多記録を持つ。2005年には、ディープインパクトとのコンビで皐月賞、日本ダービー、菊花賞を制し、史上2例目となる無敗での牡馬3冠を達成。50歳を迎えた2019年も、フェブラリーステークス、菊花賞を制覇。昭和・平成・令和と3元号同一G1制覇を達成した。 父は元ジョッキーで調教師も務めた故・武邦彦。弟は元ジョッキーで、現調教師の武幸四郎。

Santos Kobayashi
1972年生まれ。アスリートメディアクリエイション代表。大学卒業後、ゴルフ雑誌『アルバ』の編集記者になり『Golf Today』を経て独立。その後、スポーツジャーナリストとして活動し、ゴルフ系週刊誌、月刊誌、スポーツ新聞などに連載・書籍の執筆活動をしながら、映像メディアは、TV朝日の全米OP、全英OPなど海外中継メインに携わる。現在は、スポーツ案件のスタートアッププロデューサー・プランナーをメイン活動に、PXG(JMC Golf)の日本地区の立ち上げ、MUQUゴルフのブランディングプランナーを歴任。

TEXT=サントス小林

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