行動遺伝学の第一人者、安藤寿康氏の記事をまとめてお届け! ※2026年7月掲載記事を再編。

1.すべてに「遺伝」が影響? マニュアル通りに育てても、子供が理想通りにならない理由

「頭の良い子を育てる方法」「男の子/女の子の育て方」「自分から学べる子にする」「運動神経の良い子にする」。子育て本をはじめ、雑誌やWEB記事、動画サイトには、成人前の子を持つ親の関心を引くワードがひしめいている。となれば、我が子が人生勝ち組になることを望む親としては、試したくなるというものだ。
ところが、指南通りに子供に接しているつもりなのに、成果がイマイチということは多々ある。自分のやり方が間違っているのか、それとも、子供のがんばりが足りないのか!?
「マニュアル通りに育てても、すべての子に期待通りの結果が出るわけではありません。なぜなら、人間は、学力をはじめ、身体的な特徴やパーソナリティに至るまで、すべてのことに遺伝の影響を受けているからです」と指摘するのは、長年「双生児法」という手法で、人間の行動に関する遺伝の影響を研究している安藤寿康氏。
双生児法とは、同じ受精卵から生まれ、遺伝子も家庭環境も同じ一卵性双生児と、遺伝子は異なるが同じ家庭環境で育った二卵性双生児を多数集め、知能や学力、パーソナリティ、社会性、精神疾患や薬物依存の診断など、多岐にわたって比較する方法だ。一卵性のほうが二卵性よりも似ている度合いが大きければ遺伝の影響が強いと判断し、どちらも同じくらい似ている場合は、遺伝ではなく“ふたごを類似させるような環境(共有環境)の影響”が強いとする。また一卵性でも似ていなければ、ふたごが通っている学校やクラス、交友関係、さらには同じ家庭のなかでも偶然異なる経験をするなど、ふたごそれぞれで異なる環境(非共有環境)の影響が強いと考える。
こうした膨大なデータから導かれたのは、学業成績は遺伝の影響が約50%で、身長や体重の遺伝は80%、パーソナリティは40%、物質依存は50%強だということ。それほどまで、我が子は自分に似てしまうのかと愕然とするが、「遺伝とは、親に似ることではありません」と、安藤氏。
2.「偏差値が高い学校」が正解じゃない。“学力の50%は遺伝”の真実から考えること

学業成績は、遺伝の影響を50%ほど受ける。なかなかショッキングな説ではあるが、勉強しなくても常に成績はトップクラスという“地頭が良い子”が存在するのは、まぎれもない事実だ。
「学力や知能の一般的な分布の形、すなわち正規分布(平均値の周辺に多くの人たちが集まり、そこから離れるにつれて人数が減る釣り鐘型の分布。極端に高い人や低い人も確率は低いが存在する)を仮定すれば、ギフテッドや天才と呼ばれる人を含めハイレベルな知能を持つ子が全体の25%、勉強に向かない子が25%、残り半数はそのどちらでもない、平均的な知能の子だと思われます。平均的な子は、お尻を叩いたり、目の前ににんじんをぶらさげたり、進学塾に通わせたりと、親が勉強の環境を整えてやれば、学力がそれなりに向上する可能性は期待できます。実際、学力の差は、遺伝50%、住んでいる地域や経済レベルを含む家庭環境が30%というデータもあるんですよ。ただし、思春期以降、“ちゃぶ台返し”や“どんでん返し”があるかもしれませんが」
連載第1回で触れた通り、思春期以降は親が与える環境の影響が小さくなり、遺伝の影響が大きくなる。小学生までは、親のバックアップが功を奏して成績が上がっても、中学生以降、学力低迷の危機が訪れる可能性は否定できない。猛勉強の末、難関中学に合格したのに、地頭の良い子たちに囲まれ、成績はずっと底辺をさまよう“深海魚”になってしまう子がいることを考えると、その信ぴょう性は高い。
「そもそも学校教育は、かなり不自由なことを子供に強いています。国語、算数、理科、社会、どの教科をとっても、天才と呼ばれるような人が発見した理論や知識が、教科書に詰め込まれているわけです。そのすべてを理解し、習得しなさいと子供に求めるのは酷なこと。子供によって知能レベルが違いますし、5%程度ではありますが、教える先生の力量も、子供の学力に関係してきますから。教育ジャーナリストのおおたとしまささんが『教科書はフリーズドライされた食べ物のようなもの。上手に解凍すればおいしくて、栄養があるけれど、すべての先生にそれができるわけではない』ということをおっしゃっていますが、その通りだと思います」
3.習い事や早期教育を“するだけ”では、子供の才能は発現しない。行動遺伝学の権威が指摘

幼少期からさまざまな習い事や体験をさせることが、子供の才能を見つけ、伸ばすのに役立つ。そんな説を唱える教育学者や専門家がいることもあって、早期教育が盛んだ。しかし、「早期教育によって子供の才能、社会的に傑出している能力が開花するという科学的根拠はありません。むしろ幼少期の神童が、そのまま世界最高レベルの大人になるケースは意外に少ないというデータすらあるくらいです」と安藤氏。
「私は、早期教育そのものを否定しているわけではありません。親が子供に習わせたいと思うものがあり、時間や費用、子供の体力といった条件が許すなら、やらせてよいと思っています。膨大な商品が並ぶホームセンターで『好きなものを自由に選べ』と言われたら困惑するのと同様に、何の指針も与えられなければ、子供は困惑するでしょう。なので、親がある程度のバイアスをつくってあげるのは賛成です。
とはいえ、幼い頃から始めたとしても、その分野で秀でる保証はありませんし、たくさん習い事をしたからといって才能が発現するわけでもありません。なぜなら、あらゆる能力には遺伝が関係しているからです」
親が意図的に習い事をさせても、子供は、おもしろいと思えば夢中になり、手ごたえがなければ離れていく。この“おもしろさや手ごたえを感じるか否か”も、遺伝的素質によるものだ。では、子供にハマるものが見つかるまで、ありとあらゆることにチャレンジさせるのが得策かといえば、答えはNO。
「幼少期はまだ経験してないことばかりなので、さまざまな習い事をそれなりに楽しめるだろうと思いますし、やり続ければあるレベルまでは上達するでしょう。とはいえ、その子本来の素質や才能が発揮できているとは限りません。才能の発現に大切なのは、子供が興味を抱いたら、どこまでも突き詰め、深められる自由度の高い環境。そうした環境に、子供が憧れを抱けるような先生やコーチ、インストラクターが一人いると、子供がインスパイアされ、才能が一気に花開くことは十分あると思います。逆に、マニュアル的にカリキュラムが組まれている習い事や、受験のためにつくられたようなメソッド系の教室での体験は自由度が低いため、子供の素質を伸ばせるかどうか疑問です」
4.「適切に教育すれば、子供は理想通りに育つ」は幻想【行動遺伝子学の視点】

やさしい、思いやりがある、明るい、前向き、積極性がある、努力家。“いい子”の定義は多少異なるだろうが、どの親にも、「こんな人間になってほしい」という理想像があるに違いない。
「残念ながら、パーソナリティ、つまり性格や個人の思考・感情・行動の傾向や特性は、親の育て方でどうにかなるものではありません。なぜなら、知能や運動能力、身体的特徴と同じく、遺伝の影響がとても強いからです。明るい人も根暗な人も、親の育て方や教育でそうなったわけではなく、持って生まれた資質によるところが大きい。読者のみなさんも思い当たるのではないでしょうか」
では、自主性や勤勉性、協調性、忍耐力、計画性など、社会で活躍するのに必要不可欠とされる「非認知能力」はどうだろう。これらを育むメソッドが注目されているということは、後天的に身につけられるということなのでは?
「そもそも非認知能力という言葉は、学術用語ではありません。非認知能力と呼ばれているものの多くは、心理学的にはパーソナリティの一部なので、遺伝が関わっています。それなのに、“能力”という言葉の印象からか、鍛えれば伸びるものだと思われているようですね。ゆえに、親御さんたちは、『ある環境に置き、適切に教育すれば、どんな子でも理想通りに育つ』と期待するのでしょうが、その考えは危険。そうなってくれない我が子を責め、そう育てられなかった自分を責めることになりかねませんから。自主性や勤勉性といったものは、筋肉のように鍛えれば鍛えるほど成長するものではないということを、まずは認識していただきたいと思います」
5.【行動遺伝子学】相次ぐ悲惨な少年犯罪…でも「親が子の“心の闇”を見抜くのは難しい」

トクリュウ(匿名・流動型犯罪グループ)による強盗殺人事件や集団暴行殺人、違法薬物の使用・売買など、悲惨な犯罪に加担する若者が増えている。こうした事件が注目されるたびに聞こえてくるのが、「親の顔が見たい」「どんな育ち方をしたのか」という声だ。「罪を犯すのは生育環境に問題があるから」という考えは根強いが、安藤氏は、「学力やパーソナリティと同様、15歳未満、つまり中学生くらいまでは環境の影響が大きいですが、15歳以上になると遺伝の影響が上回ります」と指摘する。
「15歳は、そろそろ分別がつく年齢です。15歳未満の子供が、飲酒や喫煙、不純異性交遊、万引きといった非行に走るのは、悪い仲間がいるとか、社会的モラルが低いエリアに住んでいる、非行を促しやすい場所に遊びに行くといった環境に加え、この年代ならではの好奇心や興味から、悪いとは知りながら“つい”やってしまう、いわば若気の至りであるケースも少なくありません。
対して犯罪は、強盗、殺人、詐欺といった重大な反社会的行為。事の重大さがわかる年齢になっても、衝動に歯止めが効かず、悪事を働いたり、繰り返し犯罪に手を染めたりするのは、遺伝の影響が大きいというデータが出ています」

