少しずつ変わりつつあるとはいえ、まだまだ学歴社会の日本。「学力は遺伝の影響が50%」という“残酷な真実”に、親はどう向き合うべきか。行動遺伝学者、安藤寿康氏連載第2回。【その他の記事はこちら】

「どの教科もできる」を子供に求めるのは酷
学業成績は、遺伝の影響を50%ほど受ける。なかなかショッキングな説ではあるが、勉強しなくても常に成績はトップクラスという“地頭が良い子”が存在するのは、まぎれもない事実だ。
「学力や知能の一般的な分布の形、すなわち正規分布(平均値の周辺に多くの人たちが集まり、そこから離れるにつれて人数が減る釣り鐘型の分布。極端に高い人や低い人も確率は低いが存在する)を仮定すれば、ギフテッドや天才と呼ばれる人を含めハイレベルな知能を持つ子が全体の25%、勉強に向かない子が25%、残り半数はそのどちらでもない、平均的な知能の子だと思われます。平均的な子は、お尻を叩いたり、目の前ににんじんをぶらさげたり、進学塾に通わせたりと、親が勉強の環境を整えてやれば、学力がそれなりに向上する可能性は期待できます。実際、学力の差は、遺伝50%、住んでいる地域や経済レベルを含む家庭環境が30%というデータもあるんですよ。ただし、思春期以降、“ちゃぶ台返し”や“どんでん返し”があるかもしれませんが」
連載第1回で触れた通り、思春期以降は親が与える環境の影響が小さくなり、遺伝の影響が大きくなる。小学生までは、親のバックアップが功を奏して成績が上がっても、中学生以降、学力低迷の危機が訪れる可能性は否定できない。猛勉強の末、難関中学に合格したのに、地頭の良い子たちに囲まれ、成績はずっと底辺をさまよう“深海魚”になってしまう子がいることを考えると、その信ぴょう性は高い。
「そもそも学校教育は、かなり不自由なことを子供に強いています。国語、算数、理科、社会、どの教科をとっても、天才と呼ばれるような人が発見した理論や知識が、教科書に詰め込まれているわけです。そのすべてを理解し、習得しなさいと子供に求めるのは酷なこと。子供によって知能レベルが違いますし、5%程度ではありますが、教える先生の力量も、子供の学力に関係してきますから。教育ジャーナリストのおおたとしまささんが『教科書はフリーズドライされた食べ物のようなもの。上手に解凍すればおいしくて、栄養があるけれど、すべての先生にそれができるわけではない』ということをおっしゃっていますが、その通りだと思います」
教育=成績ととらえるから、親も子も苦しくなる
かといって、学校教育が無駄というわけではない。長い歴史の中で人類が築いてきた文化を学べることは素晴らしいことであり、それを義務教育という形で全国民に提供している日本の教育は世界に誇るものだと、安藤氏は説く。
「読者のみなさんもご承知の通り、学校で学んだことすべてが社会で役立つわけではありません。しかし、授業で教わったことや体験したことのうちいくつかは、心に残り、将来につながっているのではないでしょうか」
確かに、学校で強制的にさまざまな教科を学ぶことで、ある子は科学の分野で、ある子は文章力でなどと、その子が本来持っている素質が開花する可能性はおおいにある。本来学校教育は、子供の優劣をつける場ではなく、それぞれが何に興味関心を持ち、どんな能力を秘めているかを探るための場なのだろう。そもそも、“全方位的に優秀”であることを求めるのが、間違っているのかもしれない。にもかかわらず、親も子も苦しくなってしまうのは、「教育=成績ととらえ、テストで良い点をとることを求めるから」と、安藤氏は指摘する。
「テストの多くは、学校で教えた内容を標準化した問題を出し、出題者が正解とする答えを書けるかが重視され、入試でも、この形式が主流です。つまり、子供にどれほど優れた素質があっても、出題者の考え方とあっていなければ、高得点は望めないということ。これは、ある意味でいびつな仕組みです。それを理解すれば、親も子供も、点数の呪縛から少しは自由になれるのではないでしょうか。
もっとも、成績が良ければ偏差値が高い学校に進学でき、そうした学校を卒業すれば就職に有利という傾向が根強いので、親としては、簡単には割り切れないかもしれません。しかし、教育経済学者の中室牧子氏の研究では、『教育年数の差は賃金に一定の差を生むけれど、大学や高校のレベルは影響しない』という結果が出ています。ゴールに向かって努力するのが楽しいとか、達成感を得るためにがんばれるという子は受験勉強に励むのも良いと思いますが、苦痛を感じる子に強いるのは危険。ともすれば、教育虐待になりかねません」
誰でも猛勉強すれば、高い学歴を手にできる。名門校に合格できないのは、努力が足りないから。それは幻想であり、学力には遺伝の影響が50%あるという事実を、親は認識すべきなのかもしれない。
“平均”以外の子供には学ぶ環境の見直しが必要
学校とのつきあい方は、平均的な知力を有する子よりも、地頭が良い子のグループと勉強に向いていない子のグループの方が難しい。天才やギフテッドは、教わっている内容が物足りないとか学びたいことが見つからないといった理由で、遺伝的に勉強に向いていない子たちは、授業内容が理解できないし、興味がわかないといった理由で、学校からドロップアウトしてしまう危険性があるためだ。
「こうした遺伝的なバックグラウンドを理解せずに、親や学校が『なぜ学校に来ないのか』『先生の言うことを聞けないのか』『努力が足りない』などと子供たちを責めるのは、ナンセンスです。それよりも、子供が適応できない学校とは距離を置き、その子の素質に即した教育環境を用意してやるべきだと思います」
近年は、その受け皿になるような個性豊かな通信制の学校が複数登場し、フリースクールも増えている。また、天才の中には、“飛び級”で海外の大学や大学院で学ぶ人もいる。つまり、親が子供の素質を見抜き、適切な教育環境に置いてやることが大切なのだろう。
もっとも、「素質は、見抜くものではなく勝手に芽生えるもの」だと安藤氏。次回は、素質と才能をテーマに語ってもらう。
安藤寿康 / Juko Ando
1958年東京都生まれ。慶應義塾大学文学部卒業後、同大学大学院社会学研究科博士課程単位取得退学。慶應義塾大学名誉教授、教育学博士。日本における双生児法の第一人者で、専門は行動遺伝学、教育心理学、進化教育学。『生まれが9割の世界をどう生きるか』『教育は遺伝に勝てるか?など著書多数。

