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2023.01.22

【歴史朗読】 織田信長が足利幕府を再興させた本当の狙いとは

日本の歴史において、誰もが知る織田信長。歴史に名を残す戦国武将のなかでも、信長は極めて特異な人物だった。交渉力、絶体絶命のピンチを乗り越えるアイデア力、咄嗟の判断力……。信長の奇想天外で機転の効いた行動は、日々無理難題を強いられるビジネスパーソンのヒントになるだろう。今回は、信長が足利幕府を再興するに至った考えにまつわるエピソードを紹介。作家・石川拓治さんによるゲーテの人気コラム「信長見聞録」を朗読という形で再発信する。

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誰よりも未来を見据えていた信長の先見性

信長が戦国の世に割拠する群雄を圧倒できたのは、何よりも彼のふたつの資質による。構想の大きさと行動の速さだ。

構想は天下静謐。すなわち乱世を終息させ、平和と秩序を回復することであり、そのための天下布武だった。戦国大名は各地で戦を繰り返したが、信長のような大きな構想を持って戦った武将は存在しない。彼らの戦は基本的には領土争いで、構想があったとしても領国を増やすという程度のものだった。

その証拠に、彼らは敵の城を落とし領地を拡大しても、自らの居城から離れなかった。信長は尾張時代から、名古屋城、清洲城、小牧山城と、次々に居城を移転させている。美濃の稲葉山城を落としたのは、小牧山城を築城してからわずか4年後のことだが、この時も躊躇なく稲葉山城に移っている。その視線の先には天下があった。行動に無駄がない。すべてが天下静謐という目的のために遂行されたからだ。しかも、その行動の速度が尋常ではなかった。

信長が稲葉山城を落とす2年前、都では三好義継の手勢が将軍御所に乱入し、足利義輝を弑逆(しぎゃく)、その弟の覚慶を興福寺に軟禁するという大事件が起きる。覚慶は側近の細川藤孝らに助けられて逃亡、諸国を転々としながら将軍位に就くべく還俗して足利義昭と名を変え、関東管領上杉輝虎(謙信)など諸大名に上洛を促すが、誰も応える者のないまま時を過ごす。この窮地を救ったのが信長だった。

信長が越前の朝倉義景に身を寄せていた義昭を美濃に招いたのは、美濃を征服した翌年、永禄11年7月25日のこと。信長は義昭に上洛を約束すると、8月7日には自ら近江に出立、使者を立てて、六角義賢の説得を計る。義昭上洛の途上にあった最大勢力が、南近江を領する義賢だったからだ。7日間説得を続けたが義賢が拒絶すると、信長は近江征伐を決意。翌9月7日には尾張、美濃、伊勢、三河の四ヵ国から集めた4万5千人とも6万人ともいわれる大軍を率いて美濃を進発する。この時の義昭への別れの挨拶が、『信長公記』に記されている。

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音声で聞く! 5分で学べる歴史朗読

■第一回・偉大な父・織田信秀とは
■第二回・斎藤道三を唸らせた、信長の一言とは
■第三回・江戸の裁判でみせた、信長の男気とは
■第四回・若き織田信長が、家臣たちの信頼を得られなかった理由とは
■第五回・武田信玄が語る信長の機転の効いた行動とは
■第六回・織田信長が桶狭間の戦いで起こした大事件とは
■第七回・桶狭間の戦いは奇襲戦ではなかった!? 誰よりも慎重な武将・織田信長
■第八回・日本で唯一、はじめから天下統一を画策していた武将・織田信長の思慮深さとは

Takuji Ishikawa
文筆家。1961年茨城県生まれ。著書に『奇跡のリンゴ』(幻冬舎文庫)、『あいあい傘』(SDP)など著書多数。

TEXT=石川拓治

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