日本の歴史において、誰もが知る織田信長。歴史に名を残す戦国武将のなかでも、信長は極めて特異な人物だった。交渉力、絶体絶命のピンチを乗り越えるアイデア力、咄嗟の判断力……。信長の奇想天外で機転の効いた行動は、日々無理難題を強いられるビジネスパーソンのヒントになるだろう。今回は、父の信秀亡き後、受け継いだ家臣たちの信頼を得られなかった信長についてのエピソードを紹介! 作家・石川拓治さんによるゲーテの人気コラム「信長見聞録」を朗読という形で再発信する。
家臣たちをも困惑させた、奇天烈な戦術
父の信秀亡き後、信長は苦境に立たされる。若い信長は、父から受け継いだ家臣たちの信頼を得られなかったのだ。敵方への寝返り、一族内の裏切りや謀反が相次ぎ、尾張国内は紛争絶えない内乱状態に陥る。そうなれば戦国の世の常として他国からの侵略は必至で、後の桶狭間の戦いにつながるわけだけれど、なぜ信長はそれほどまでに家臣の信頼を得られなかったのか。
宣教師のルイス・フロイスが、答えになりそうな事実を書き残している。
「彼(信長)は部下の進言に左右されることはほとんどなく、全然ないと言ってもよいくらいで」
フロイスが描いたのは天下を手中にした後の信長だが、少年時代から彼は人の言うことを聞かなかった。無法者のような格好で町に現れ、立ちながら柿や瓜や餅を喰らい、人の肩にぶら下がって歩いていたので、人は彼を大うつけと呼んだ、と『信長公記』にはある。それも、彼が大人の意見に耳を貸さなかったことの証左だろう。教育係の平手政秀あたりから、日々小言を食らっていたはずなのだ。
けれど、行儀の悪さ程度のことが、信秀恩顧の荒武者たちがことごとくその後継者に背を向けた理由になるとは思えない。彼らにとってより深刻だったのは、例えば槍や鉄砲の問題だったはずだ。信長は早い時期から他の戦国大名に先駆けて、大量の鉄砲を有していた。斎藤道三との会見の場にも、堂々とした鉄砲隊を引き連れて現れている。槍隊には三間半という異様な長槍を装備させていた。三間半は約6.4mである。
音声で聞く! 5分で学べる歴史朗読
■第一回【朗読・5分で学べる織田信長 】 偉大な父・織田信秀とは
■第二回【朗読・5分で学べる織田信長 】斎藤道三を唸らせた、信長の一言とは
■第三回【朗読・5分で学べる織田信長 】江戸の裁判でみせた、信長の男気とは
Takuji Ishikawa
文筆家。1961年茨城県生まれ。著書に『奇跡のリンゴ』(幻冬舎文庫)、『あいあい傘』(SDP)など著書多数。