日本の歴史において、誰もが知る織田信長。歴史に名を残す戦国武将のなかでも、信長は極めて特異な人物だった。交渉力、絶体絶命のピンチを乗り越えるアイデア力、咄嗟の判断力……。信長の奇想天外で機転の効いた行動は、日々無理難題を強いられるビジネスパーソンのヒントになるだろう。今回は、美濃の蝮(まむし)と恐れられた斎藤道三との、会見での熾烈な争いをご紹介! 作家・石川拓治さんによるゲーテの人気コラム「信長見聞録」を朗読という形で再発信する。
斎藤道三に固唾を飲ませた、戦国大名同士の会見での振る舞い
敵の首を刈るのが手柄の時代の感覚でも、斎藤道三(どうさん)は危険人物だった。渾名(あだな)は美濃の蝮(まむし)。主人を追放して大名になったからだ。蝮の子は親の腹を食い破って生まれると信じられていた。
その道三が、富田の正徳寺に信長を誘ったのは、父信秀の死の翌年春のことだ。正徳寺は美濃と尾張の国境近くの一向宗の寺。富田は寺内町で、世俗の権力の及ばない中立地帯だ。トランプと金正恩の首脳会談が、双方の安全を保証するシンガポールで行われたのと同じ話だ。
道三の娘はその数年前に信長に嫁いでいた。典型的な政略結婚だが、ともかくふたりは舅と女婿の関係にある。
5分で学べる! 織田信長と織田信秀
■第一回【朗読・5分で学べる織田信長 】 偉大な父・織田信秀とは
Takuji Ishikawa
文筆家。1961年茨城県生まれ。著書に『奇跡のリンゴ』(幻冬舎文庫)、『あいあい傘』(SDP)など著書多数。