日本の歴史において、誰もが知る織田信長。歴史に名を残す戦国武将のなかでも、信長は極めて特異な人物だった。交渉力、絶体絶命のピンチを乗り越えるアイデア力、咄嗟の判断力……。信長の奇想天外で機転の効いた行動は、日々無理難題を強いられるビジネスパーソンのヒントになるだろう。今回は、のちに織田信長の武名を全国に轟かせることとなる「桶狭間の戦い」での出来事を紹介! 作家・石川拓治さんによるゲーテの人気コラム「信長見聞録」を朗読という形で再発信する。
二千人の織田軍 対 四万五千人の今川軍
将棋の目的は敵の王将を詰むことだけれど、プロ棋士の試合で実際に王将が取られることはない。その何手も前に、勝敗が明らかになるからだ。敗北を認めた側が「参りました」と頭を下げ戦いは終わる。
戦国時代の合戦も、これと似ている。大名が戦場で討ち取られた例は皆無に近い。戦の趨勢が決した時点で、主君は幾重にも守られ退却する。万一殺されることでもあれば、現代の戦争で国家元首が戦死するにも匹敵する大事件だ。その珍事が出来(しゅったい)したのが、桶狭間だった。
永禄三年五月十九日、新暦では六月十二日。猛火に炙られるような暑い日だった、と古い記録にある。正午過ぎに突如黒雲が湧き、桶狭間山に兵を休めていた今川義元の本陣は、雹混じりの猛烈な驟雨に叩かれる。楠の大木が倒れ、視界が閉ざされるほどの雨風だった。信長の軍勢が襲いかかったのは、その突然の暴風雨が去った直後だ。『信長公記』はこう記す。
「空晴るるを御覧じ、信長槍をおっ取って、大音声を上げて、すは、かかれかかれと、仰せられ、黒煙立てて懸かる」
空が晴れるのを見て、信長は槍を取り、大声で「かかれ、かかれ」と命じ、黒煙を立てて襲いかる。今川方は信長の接近に気づいていなかったらしい。先陣は瞬時に崩れ、槍に鉄砲、旗指物、さらには塗輿(ぬりご)まで捨てて潰走する。塗輿は貴人の乗る漆塗りの輿だ。陣中で輿に乗るような人物は義元しかいない。信長はそこが義元の本陣であると悟り、総攻撃を命じる。
音声で聞く! 5分で学べる歴史朗読
■第一回【朗読・5分で学べる織田信長 】 偉大な父・織田信秀とは
■第二回【朗読・5分で学べる織田信長 】斎藤道三を唸らせた、信長の一言とは
■第三回【朗読・5分で学べる織田信長 】江戸の裁判でみせた、信長の男気とは
■第四回 若き織田信長が、家臣たちの信頼を得られなかった理由とは【朗読・5分で学ぶ】
■第五回 現代のビジネスヒントになる! 武田信玄が語る信長の機転の効いた行動とは【朗読・5分で学ぶ】
Takuji Ishikawa
文筆家。1961年茨城県生まれ。著書に『奇跡のリンゴ』(幻冬舎文庫)、『あいあい傘』(SDP)など著書多数。