93歳の現役最高齢トライアスリート・稲田弘さんと「運動はせいぜい散歩くらい」と言う和田秀樹さん。肉体の壁、医療の壁を超えて走り続けるふたりの“超人”対談。想像を超える話に和田氏もびっくり仰天の巻。稲田弘1回目。

元気な人は太ももがすごい
和田 いきなりですが、やっぱり大腿四頭筋(だいたいしとうきん)がすごいですね。
稲田 あー、わかりますか。
和田 大腿四頭筋、いわゆる太ももは身体の中で一番大きな筋肉なんです。言い方を変えると、糖を一番消費してくれる筋肉です。だから歩かないと、糖が余って糖尿病になってしまう。
稲田 さすがお医者さんですね。
和田 いや、これは実感なんです。僕は50代半ばまで歩かない生活をしてたので、見事に糖尿病になっちゃった。
稲田 そうでしたか。今は?
和田 今は一日30分ぐらいの散歩とスクワットはしています。おかげで血糖値は半分ぐらいになりました。
稲田 すごいですね。
和田 元が高すぎるから。600くらいありましたからね。
稲田 それもすごい(笑)。
和田 脚の筋肉を鍛えておく大切さは、年をとるほど痛感します。歩けなくなる予防にもなるし、血糖値も下げてくれる。お年寄りが元気かどうかは、太ももを見ればだいたいわかります。
稲田 脚は大事ですからね。歩けなくなったらアウトです。
和田 アウトとは言わないけど。歩けないと外に出ることも少なくなる。要介護高齢者は、脚からくることが結構多いんですよ。
稲田 そうでしょうね。
和田 それと耳です。耳は補聴器をつければ補えるのですが、嫌がる人が多いんです。すると人と話をしなくなる。そうなるとぼけやすくなるんです。でも稲田さんは、お仲間も多そうだから大丈夫そうですね。
稲田 ありがたいことにね。

精神科医・幸齢党党首。1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー、浴風会病院精神科医師を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。35年以上にわたって高齢者医療の現場に携わる。『80歳の壁を超えた人たち』『幸齢党宣言』など著書多数。
稲田弘/Hiromu Inada (右)
現役トライアスリート。1932年大阪市生まれ。早稲田大学卒業後、NHKに勤務し、社会部記者として活躍。70歳でトライアスロンに初挑戦。2011年に78歳でアイアンマン世界選手権に出場し、2012年、2016年、2018年の3回、年代別世界王者タイトルを獲得。現在も現役選手。著書に『やれば出来る92歳のアイアンマン、世界を駆ける』。
闘争本能も大事。仲間も大事
和田 仲間がいると一緒に身体を鍛えるのも楽しいし、お喋りもできる。それはスポーツの利点です。稲田さんは過酷なレースをしているから、そんな悠長な話ではないかもしれないけど。
稲田 僕はチームと練習する時が多くて。むちゃくちゃきついんですけど、仲間からはたくさんの刺激を受ける。くだらん話も含めて、楽しいですよ。
和田 実は競争するのも、長寿の秘訣のひとつなんです。人間の競争本能や闘争本能は男性ホルモンを増やしますから。
稲田 そうでしょうね。
70歳でトライアスリートに
和田 僕はトライアスロンを全然知らなくて申し訳ないんですけど、シニアの部と一般の部みたいなのがあるんですか?
稲田 いやいや。プロ以外の一般参加者は、みんなエイジグループという枠組みになります。
和田 じゃあ、一般の人と堂々と戦っておられる?
稲田 そうそう。一応、5歳刻みで枠づけはされています。僕は93ですが、90歳以上も、85歳以上も僕だけです(笑)。
和田 でしょうね。普通に考えたらできない。おいくつぐらいから始めたんですか?
稲田 僕は70歳から。
和田 えっ、70歳?
稲田 はい。ちょうど70歳。女房が亡くなるちょっと前です。運動そのものを始めたのも60歳です。まあ、それまでもね、山に登ったりはしてましたけど。
和田 それまでは、普通のお勤めをされてたんですか。
稲田 そうです。勤めは85歳までやってました。
和田 え、そうなんですか! いろいろと驚かされるな。60歳で運動を始めたのはどんな理由で。
稲田 女房が難病にかかってね。ほとんど寝たきりの状況になりまして。出血すると止まりにくい病気なので、とにかく僕はそばにいなければならなかった。血小板減少性紫斑病です。
和田 それは大変でしたね。
稲田 ベッドから落ちて出血したりすると死んじゃうかもしれない。僕はNHKで記者をしてましたが、看病に専念しようと思い、60歳の定年を機に辞めたんです。だけど3日後に、女房のそばでこのままじっとしてたら僕の身体もダメになると思って。
和田 で、運動を始めた。
稲田 はい。近くにスポーツジムができたんです。僕の退職に合わせるかのようにね(笑)。だから僕が第1号で入らせてもらって。そこで泳ぎを覚えました。
和田 え、泳ぎを覚えた?
稲田 はい、それまで泳いだことがなかった。戦前生まれでプールなんてない時代ですから。だから完全にカナヅチ。
和田 え、そんな状態から。
稲田 幸いにも会員はまだ僕ひとりだったので、コーチとマンツーマン。でも長時間は家を空けられない。だから泳ぎに行って帰って、また泳ぎに行って。一日に何回も。そこで水泳を覚えて、そのうちにかなり速くなってきてね。マスターズの大会にも出るようになったんです。
和田 え、カナヅチから大会に。もう本当にすごいとしか(笑)。
稲田 67歳の時に日本記録を狙いにいったこともありますよ。この時が一番絶好調でした。
和田 水泳を始めて7年で日本記録に近づくのもすごいけど、何よりその意欲がすごい。67歳は今の僕の年齢より上ですから。
稲田 その時は絶好調でね、いくら泳いでも平気な感覚でした。4コメ(400m個人メドレー)っていうのがあって、その頃はメドレー専門にやってました。
和田 バタフライ、背泳ぎ、平泳ぎ、クロール、4種目泳ぐ?
稲田 正確に言うと、僕は2コメ。50mずつ4種目です。
和田 (笑)。すごいです。
稲田 日本記録にはちょっと足りなくてね。それでも64歳の時に茨城の沼で「スイム&ラン」という大会が初めて開かれると聞いて、水泳の仲間と一緒に出たんです。そこで一応完走できた。スイムは1500mしかないのであれですけど。
和田 「しか」って、1500mは普通、泳げないですから(笑)。
稲田 で、スイムの後にマラソンを10㎞。たまたま出た大会で、なんとなく完走しちゃったの。それで気をよくしてね、毎年出るようになったんです。
和田 それがトライアスロンのきっかけに?
稲田 そうですね。でもトライアスロンひと筋になるのは私が70歳になってからなので、まだ先の話です。女房が亡くなる3ヵ月くらい前に、背中を押されたんですよ。初めてトライアスロンの話をしたら「私もやりたかったな。私の分まで頑張って」と。それでね、やろうと。
和田 そのお話、もう少し詳しく聞かせてもらっていいですか。
※2回目に続く

