サッカー日本代表のワールドカップメンバーへの滑り込みを狙う選手がいる。FW塩貝健人(ヴォルフスブルク)は2024年夏に慶大ソッカー部を退部して欧州リーグに挑戦。それから2年足らずで森保ジャパンに初招集された。国際Aマッチデビューとなった2026年3月28日のスコットランド戦では決勝点をアシストして猛アピール。スピード出世を遂げたストライカーに迫る。

「ストライカーとして1番手を取りに行く」森保ジャパン初招集で決勝点アシスト
自他ともに認める極度の負けず嫌い。ビッグマウスともとられかねない塩貝健人の発言は、その端々にストライカーとしての矜持がにじむ。
ワールドカップ開幕まで3ヵ月を切った2026年3月の英国遠征で初のA代表入りを果たした。武器はスピードと決定力。試合の流れを変える切り札的存在“ジョーカー”としての適正も高いが、あくまで強気に言い放つ。
「ストライカーとして1番手を取りに行く。最初からサブでワールドカップに出ようなんか思っていない。自分ならできる」
国際Aマッチデビュー戦となった2026年3月28日のスコットランド戦では後半33分から途中出場。絶対的エースのFW上田綺世(フェイエノールト)と2トップを組み、後半39分にMF伊東純也(ゲンク)の決勝弾をアシストした。
「マークの外し方は完璧だった。ボールが後ろに来たので、反転してシュートか(伊東に)落とすかで、落とすことを選択した。(伊東の)動きは完璧に見えていた」
試合後はアシスト場面を振り返り自画自賛した。
さらに出場時間がアディショナルタイムを含めて約15分にとどまったことを冷静に受け止め、限られた時間でも結果を出すことは自分なら当然と言わんばかりだった。
「初招集だし妥当な時間配分。そのなかでも結果を残せるのが僕。どんな状況でも結果を残すのはいつものこと。代表でも変わらずできた。長いプレータイムをくれたらもっと結果を残せる。長い間、日本代表でプレーしたいし、その始まりだと思っている」
慶應中退から欧州へ。無名FWが“5大リーグ”にたどり着くまで
異例のスピード出世を遂げた。国学院久我山高時代まで全国的には無名。慶大在学中に横浜マリノスの特別指定選手でJ1リーグデビューし、2024年夏に慶大ソッカー部を退部して海を渡った。
オランダ1部NECナイメヘンでプレーした2025~2026年シーズン前半は、主に途中出場ながら公式戦で14試合9得点をマーク。2026年1月にドイツ1部ヴォルフスブルクからオファーが届き、退部からわずか1年半で欧州5大リーグ行きをつかみ取った。
急成長を遂げた最大の要因は、チーム内競争に絶対に勝つという強いハート。慶大ソッカー部1年時に部の公式サイトに記したブログには数々の負けず嫌いエピソードを披露している。
「サッカーでは、公式戦を除いては自分以外の得点は嬉しくない」
「友人とするスマホゲームにおいても負けると拗ねてしまうことが多々あります」
「電車で隣に自分と同じか少し高いくらいの身長の人が来たら、バレないように背伸びをしてしまう」
横浜FCジュニアユースからユースに昇格できず、国学院久我山高でも1年時は主にCチーム。反骨心をポジティブなエネルギーに変換して、成長を続けてきた。
W杯メンバー滑り込みへ。“森保ジャパンのラストピース”になるか
2026年3月の英国遠征はワールドカップメンバー発表前の最後の活動だった。本番直前の活動で初招集されてメンバーに滑り込めば、1998年フランス大会の小野伸二以来の快挙となる。
2006年ドイツ大会の巻誠一郎、2014年ブラジル大会の大久保嘉人――。ワールドカップメンバーのFW陣にはサプライズ招集の歴史があり、国際Aマッチ出場数が「1」の塩貝にも十分にチャンスはある。
前回2022年ワールドカップカタール大会時は国学院久我山高の3年で高校選手権に向けて奮闘していた。自らの想像を超える速さで、ワールドカップが手の届くところまで来た。
「この4年間で自分でも驚くくらい環境が変わった。今度は自分が夢を見せる側になれれば」
優勝を目指す森保ジャパンのラストピースになるため、所属クラブで最後までアピールを続ける。
塩貝健人/Kento Shiogai
2005年3月26日、東京都生まれ。横浜FCジュニアユースからユースへの昇格が見送られ、国学院久我山高に進学。3年時に全国高校選手権に出場し、日本高校選抜に選出された。慶大1年時の2024年1月に横浜Mへの加入が内定し、同4月に特別指定選手でJ1デビュー。同8月にオランダ1部NECナイメヘン入り。2026年1月にドイツ1部ウォルフスブルクに完全移籍。1m80cm、77kg。利き足は右。

