2026年1月、J1リーグのアビスパ福岡からドイツ1部ザンクトパウリへ移籍したDF安藤智哉。新天地で定位置をつかみ、充実の日々を送っている。2021年に当時J3リーグの今治FCでプロのキャリアをスタートして6年目。急激な成長曲線を描きながら、2026年6月11日開幕のW杯北中米大会を前に、日本代表入りへのアピールを続けている。

ブンデスリーガ・ザンクトパウリで定位置確保、日本代表入りへ前進
W杯メンバー入りは手の届くところにある。
2026年2月25日に開催されたブンデスリーガ主催の日本メディア対象のオンライン取材会。J3クラブから欧州五大リーグに駆け上がった安藤智哉が、ステップアップを続けられた要因をこう自己分析した。
「大学4年生の時は、当時J3の今治FCからしか声がかからなかった。逆にそれが自分の原動力になって、もっと上でやってやりたいという強い思いが生まれ、こうやってサッカーに取り組めている。そういった点ではすごい良かったのかな」
J3クラブでプロのキャリアをスタートした選手がW杯メンバーに選出されれば史上初の快挙。J2でも大卒選手に限ると、川崎Fから2010年南アフリカ大会のメンバーに入ったMF中村憲剛しかない。
J3今治FCからJ1ベストイレブンへ――急成長を遂げた軌跡
安藤は2021年、愛知学院大から今治FCに加入。J2大分トリニータを経て、J1アビスパ福岡へ移籍すると、2025年シーズンに一気にブレークした。
国内組で臨んだ7月の東アジアE-1選手権で日本代表に初選出され、2試合に出場して優勝に貢献。10月の米国遠征でもメンバー入り。11月のガーナ代表との親善試合で後半30分から途中出場して欧州組と初共演を果たした。
所属クラブのアビスパ福岡では36試合4得点をマークし、J1ベストイレブンに輝く。A代表での実績も評価され、2026年1月、ザンクトパウリとの契約を勝ち取った。
「ザンクトパウリはZoomで面談した時も強化部だけじゃなく、監督も入ってくれて、熱量をすごく感じた。5大リーグは目標にしていたリーグ。高いレベルでやりたいという思いとマッチしたので即決でした」
ブンデスリーガ挑戦とW杯北中米大会への照準
ザンクトパウリは2025~2026年シーズンからブンデスリーガ1部に昇格。2025年夏から所属するMF藤田譲瑠チマ、キットマネージャーの神原健太氏の存在もあり、チームに馴染むのに時間はかからなかった。
移籍発表から3日後の2026年1月4日に練習試合で起用されると、1月18日のドルトムント戦に途中出場してブンデスリーガデビュー。1月27日のライプツィヒ戦から先発に定着した。
身長1m90cmのサイズを生かした空中戦や、地道にスキルアップを続けてきたフィード力はブンデスリーガの舞台でもハイレベル。3バックの右や中央の位置でピッチに立ち、早くもチームに欠かせない存在となっている。
「自分の色を出すことは常に意識している。チーム、監督が求めているプレーと、自分の強みを出すところにフォーカスしながらプレーできているので、充実した日々を送れていると思います」
ブンデスリーガの縦へのスピードや球際の強さはJリーグと比べて1ランクも2ランクも高い。チーム合流時の体重は87kgだが、フィジカルレベルを上げるために90kgを目標に肉体改造を進めている。
「Jリーグと違う点は縦のスピードがすごく速い。こっちに来て1対1のバトルの局面がすごく多いと感じている。課題は挙げれば挙げるほどある。1対1の球際はまだまだ上げていかないといけない。細かいポジション修正をしないと一瞬でやられてしまうレベルなので、細かいポジショニングも大事になってくる」
もちろん視線の先にはW杯がある。長期離脱から冨安健洋(アヤックス)が復帰するなどセンターバックの定位置争いは激しいが、所属クラブで結果を出すことが夢舞台につながると信じている。
「“W杯”というよりも、W杯は頭の片隅に置きながら自分の成長のために移籍を決断しました。W杯開幕までの期間は短い。ブンデスリーガで試合に出て勝利することで、自分の評価も高まると思うので、そこにフォーカスしながらやっていきたい」
W杯開幕まで、約3ヵ月。史上最大の成り上がりへ、ラストスパートをかける。
安藤智哉/Tomoya Ando
1999年1月10日愛知県豊田市生まれ。岡崎城西高―愛知学院大から2021年にJ3今治FC入り。2023年からJ2大分トリニータ、2025年からJ1アビスパ福岡でプレーした。2026年1月にザンクトパウリ入り。2025年7月の東アジアE-1選手権で初の日本代表入り。国際Aマッチ通算3試合無得点。身長1m90cm、体重82kg。右利き。

