15歳で単身上京し、芸能界という世界をひたすら走り続けてきた中山秀征。仕事がすべてで、休むことも、立ち止まることも知らなかった彼が、30歳で初めて気づいた“芸能界の外にある世界”。そのきっかけは、結婚と家族だった。4人の息子の父として、ひとりの夫として――。「もしかしたら、自分はずいぶん狭い世界にいたのかもしれない」。 #1/#2

芸能界のルールのなかだけで生きてきた
テレビタレント・中山秀征は、15歳で芸能界を目指し単身上京。17歳でデビューを果たして以降、その人生のほとんどを芸能界のなかで生きてきた。
しかし、“芸能界の常識”と“一般社会の常識”が少し違うことに気づいたのは、30歳のときだった。きっかけは結婚だったという。
「僕はそれまで芸能界のなかだけで生きてきました。でも結婚して子供が生まれて、妻に聞かれてハッとしたんです。『夏休み、どうする?』って」
数々の番組に出演してきた中山は、30歳になるまで「夏休み」を取ったことがなかった。
「『休みをください』なんて言ったら、『一生休んでいろ』って言われるような時代でしたから(笑)。仕事があることが喜びですし、ないことは恐怖。せっかくある仕事のスケジュールを調整して休むなんて、あり得ませんでした。
ロケでいろんな場所に行っているので、旅行をした気になっているし、結婚するまでデートで旅行なんてしたこともなかった。でも、妻に『夏休みどうする?』と聞かれて、あれ、世間の夫やお父さんは夏休みを取るものなのか……?と、初めて気付いたんです」

さらに、4人の息子たちの父でいることで、パパ友や近所付き合いなど、芸能界とは別の人間関係が生まれていくことも新鮮だったという。
「芸能界のルールのなかだけで生きてきたけど、こうして夫に、そして親になったことで、それ以外の世界が見えてきた。ああ、自分はもしかしたら、ずいぶん狭い世界にいたのかもしれないなって。
それでも第1子のときは、お風呂だけいれて、あとは妻に任せて夜飲みに行く、なんてこともしていました。でも、第2子、第3子、第4子と増えて、しかも全員男。子育ては、もう大変です。
無理やり飲みに行くことも減りました。神様が『お前は芸能界以外のことを勉強せねばダメだ』と、息子たちを授けてくれたんじゃないかと、思うことすらありましたね」
テレビタレント・中山秀征の魅力は、なんといってもその親しみやすさだ。芸能生活40周年を迎える大御所とは思えないほどの腰の低さと、誰に対しても丁寧で、真摯に語る姿勢。それこそが、長くお茶の間から愛され続ける最大の理由だろう。
そしてその「親しみやすさ」は、家族が与えてくれた“芸能界とは別の世界”とのつながりによって、育まれてきたのかもしれない。
「だって、子供がいれば、まず見るテレビ番組、映画が変わるでしょう? アンパンマンや戦隊モノにやたら詳しくなって、『そういえば俺も、子供の頃は戦隊モノ好きだったな』って思い出すんです。ああ、時代が変わっても人間って変わらないんだなあって。
独身だったら、きっと考えもしなかったことを思うようになった。もし自分に家族がいなかったら、芸能界が世界のすべてだと思って、めちゃくちゃに働いて、身体を壊していたかもしれませんし……もしかしたら、すごく傲慢な人間になっていたかもしれないですね」
愛情をもらったことがある人は、きっとギリギリのところで踏みとどまれる
4人の息子たちは大きくなり、長男は同じ芸能界に身を置くことととなった。夫婦ふたりで過ごす時間も、少しずつ増えてきたという。
夫婦円満の秘訣を尋ねると、中山は少し考えて、こう答えた。
「奥さんに、やってもらってあたり前って思わないことでしょうか。洗濯物が干されていて、台所が片付いているのが当たり前なわけ、ないんですから。やってもらったら感謝を伝える。あ、汚れているなと思えば自分で洗う。それくらいでしょうか。
もちろん、ケンカをすることもあります。なんでケンカになったのかわからないくらい、些細なことでね(笑)。でも、そういう時こそ絶対に相手を否定しないことが大事だなって思います。
なにか言われたら、いったん『そうだね』って肯定する。開口一番『だって』とか『それはお前が』とか言ったら、もう絶対ムカつかれるだけ。建設的な会話なんて、そこからできるはずありませんから」

1967年群馬県生まれ。1985年にバラエティ番組『ライオンのいただきます』でデビュー。『DAISUKI!』『ウチくる!?』など数多くの人気番組でMCを務め、現在は『シューイチ』の総合司会としておなじみ。俳優としてはドラマ『静かなるドン』で主演デビューを果たし、歌手としても活動。50歳から書道を始め、個展を開くほか、2025年にはカンヌ国際映画祭で作品を展示した。近著に『人間関係の達人たちから学んだ小さな習慣 気くばりのススメ』(すばる舎)がある。
さらに、4人の息子たちに伝え続けてきたこともある。
「僕は15歳で上京してしまったので、いわゆる反抗期というものがなかったんです。だから息子たちが成長の過程で、ちょっと反抗的な態度を見せると、『おお、これが噂の反抗期か!?』って反応してしまって嫌がられてきました(笑)。
でもそのせいか、4人とも、そこまで反抗期のようなものはなかった気がします。ずっと伝えてきたのは、『自分がやると決めたことは、なにがあってもすべて自分の責任であること。人のせいにしないこと』。そして、『うまくいった時こそ、周りのおかげだと感謝すること』。
僕は本当に多くの人に助けてもらってきた人生で、ひとりきりではなにひとつできなかったと思います。長男は僕と同じ芸能界に進みましたが、長男だけではなく4人全員に、このふたつは伝えてきたつもりです。
男の子4人、それぞれと2人きりでご飯に行くこともあって、そういう時はじっくり話します。まあ、嫌がられているかもしれませんが(笑)」
最後に中山は、少し遠くを見つめながら言った。
「今は、親父がなんか言っているな、くらいにしか思わないでしょう。それでいいんです。いつか彼らが、人生のギリギリの場面に立つようなことがあったときに、『そういえば親父が、なんか言ってたな』って思い出して、そこで一度立ち止まってくれたら。
言っている意味なんてわからなくても、愛情をもらったことがある人は、きっとギリギリのところでも、踏みとどまれるんじゃないか。そういう気持ちです」
テレビタレント中山秀征を、さらに親しみやすい国民的存在に押し上げたのは、家族という確かな存在だったのだろう。中山家が成長するほどに、中山秀征という人間もまた、新たな輝きを放つに違いない。

