放送作家を中心に活躍する傍ら、NSC(吉本総合芸能学院)の講師として10年以上にわたって人気投票数1位を獲得している桝本壮志さんが、人気芸人・クリエイターと対談する本連載。今回のゲストは旧知の仲であるM-1王者・とろサーモンの久保田かずのぶさん。第1回は、人生を赤裸々に綴った話題の著書『慟哭の冠』の話やお笑いの原点、家庭環境などについて。

スピリチュアル好きな久保田の不思議な勘
桝本 まずは『慟哭の冠』(どうこくのかんむり)読みました。今ベストセラーやね。これだけ売れる未来って、見えてた?
久保田 いやいや、本当にツイてるだけですね。ますさん(桝本)は知っていると思うんですけど、僕、スピリチュアルめっちゃ好きじゃないですか。なんか僕の中にいる僕じゃない人間が、このタイミングを狙ってた気がするんですよ。
桝本 久保田は絵の才能もそうやし本当に多才なんやけど、「文芸でも売れるんや!」って驚いたわ。
久保田 僕は「運」もほんま大事やと思ってて。運とか不運って、実体がないやないですか。でも、何もかも「偶然や」って片付けたくないから、自分のできることをしっかりとやり切る。そうやって運を掴めたのが今回の本の好調だったり、M-1チャンピオンだったのかなと思ったりするんですよ。
桝本 久保田らしい考えやな。『慟哭の冠』は本当に面白くて、全編にわたって好きなワードが沢山あるんやけど、特に印象に残っているのは、久保田の家の前で雪かきしている老夫婦を「チビ婆さんと細爺さん」って書いてるところ(笑)。
久保田 そこか! 表現の悪い昔話ね(笑)。
桝本 久保田は斜に構えているようで老夫婦の雪かきを手伝ったりもするんだよね。そんなところに人間性が出てるって感じた。普段は大人数で会うことが多いけど、こうやって対談という形で語り合うのも初めてやから、今日はいろいろ聞かせてください。

1979年宮崎県生まれ。幼なじみの村田秀亮とお笑いコンビ・とろサーモンを結成し、2017年に『M-1グランプリ』優勝。ピンでも『ドキュメンタル』の優勝で2000万円を手にするなど幅広く活躍。MCバトルでの活躍や絵画作品も評判を呼ぶ。2025年に発売した自伝的小説『慟哭の冠』もベストセラーになっている。
複雑な家庭環境とNSC入学のきっかけ
桝本 せっかくやから、お笑い芸人を志すまでの話から聞きたい。ただ、『慟哭の冠』では家庭の話が全然出てこないんだよね。あまり話したくない?
久保田 別に話してもいいですよ。4人兄弟なんですけど、俺だけ小学校に入るくらいまでばあちゃんの家で育ったんです。だから弟や姉ちゃんとどう喋っていいか、分からなかった時期があった。
桝本 そうなんや?
久保田 高校生の時に村田(後にNSCに一緒に入学する相方・村田秀亮)から家に電話があって、弟が電話出るやないですか。でも、弟も俺とどう喋ればいいか分からないから、何も言わずに受話器置いたままにするんです(笑)。そんな感じで、家にいた時は兄弟と喋った記憶が全然ないですね。
あと、父ちゃんと母ちゃんは食卓でずーっと人の愚痴をこぼしていた。父は頭の悪い俺を毎日しかりつけてた。泣きながら飯食うてたから、いつも塩味だった。だからふりかけとか海苔とかなくてもよかった。ひたすらネガティブな言葉聞いて育ったから、俺は何の躊躇もなく人のことをボロカスに言えるんです(笑)。
桝本 ボロカスの英才教育やん(笑)。で、どうしてお笑いを目指したの?
久保田 もともと俺は洋服の学校に行こうと思っとって、大阪文化服装学院と福岡の香蘭ファッションデザイン専門学校を受けようとしたんですよ。そうしたら相方(村田)が、「お前は面白いから、吉本行かん?」って誘ってきたんです。説得されてNSC受けて、そして俺だけ落ちた(笑)。
桝本 だから村田の1期遅れで入ってきたんや。
久保田 そう。
桝本 普段着もおしゃれやし、2017年にM-1を獲った時も、それまでの出場者と系統の違うジャケットを着て、背中に刺繍が入ったりしてたよね。服飾を目指していた久保田のセンスがあのあたりにも出てたもんね。
久保田 服は大好きですね。
桝本 学生時代、お笑いは熱心には見てたの?
久保田 まったくです。宮崎ではダウンタウンさんが出てた番組も放送されていなかったし。
桝本 NON STYLE石田くんの著書『答え合わせ』を読むと、中学1年生の頃から大阪の心斎橋筋2丁目劇場(当時あった吉本興業の劇場)に通っていて、漫才を書き殴ってたらしい。吉本NSCにも熱心にメモをとっている生徒がいるけど、久保田はそういったメモ魔ではなかったんだね。
久保田 俺は田舎もんで貧乏だった人間です。小中高の日常に笑いもなく、でもそこからM-1チャンピオンになりました。あいつ(石田)は同期でリスペクトしてますけど、たぶんいろんな感覚は違うんだと思います。
桝本 宮崎時代は漫才もつくってなかったんや?
久保田 そうですね。
桝本 とろサーモンの独特な漫才スタイルを初めて見た時、これは亜流だなとは思ってたけど、系譜もなく憧れもない“フィジカルで生き残ってきた漫才師”やねんな。
※2回目に続く

1975年広島県生まれ。放送作家として多数の番組を担当。タレント養成所・吉本総合芸能学院(NSC)および、よしもとクリエイティブアカデミー(YCA)の講師。2連覇した令和ロマンをはじめ、多くの教え子をM-1決勝に輩出している。