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2024.10.07

J1昇格、移籍金制度撤廃…ジュビロ磐田・藤田俊哉が変えたこととは【インタビューまとめ】

ジュビロ磐田のスポーツダイレクターである藤田俊哉氏のインタビューをまとめてお届け! ※2024年5月掲載記事を再編。

藤田俊哉氏

1.「うまくいっていないクラブの玄関は汚い!」磐田・藤田俊哉。補強禁止措置のなかでJ1昇格を果たすためにやったこと

藤田俊哉氏

――現在のスポーツダイレクターとはどのような仕事なのでしょうか?

「まずはトップチームの編成です。監督以下のコーチスタッフの人事、そして選手との契約、獲得などですね。クラブのビジョンや理念のもと、中長期の計画のなかで、現状はどれくらい進み、何が進んでいないのか。何が足りないのかを判断しながら、人が足りないなら獲得するし、環境の整備が必要ならそれを行う。トップチームに限らず、アカデミー(下部組織)についても見ています。クラブ全体のプロデューサーだと考えています」

――磐田では中山雅史さん、名波浩さんなど、藤田さんと共に戦ってきたOBが指導者として仕事をされてきましたが、藤田さんは監督よりも、そういうプロデュース的な仕事に魅力を感じたのでしょうか?

「頂いたのが、スポーツダイレクターという仕事でした。それを一生懸命やることに魅力を感じたということですね(笑)」

――約17年ぶりの磐田復帰となりました。

「離れすぎて、ちょっと恥ずかしかったかな(笑)。多分、ジュビロも仲間も『俊哉は外でやりたいようにやっているし、ジュビロには戻ってこないだろう』と思っていただろうし。僕自身も『ジュビロに戻って、これをしよう』とか、そういうふうに考えていたわけではないから、はたして、僕が改善できるのかという気持ちもありました」

――オファーを受けようと思った理由は?

「勇気のあるオファーだと感じました。今さら、藤田を呼んでと批判的な声もあっただろうし。それだけの覚悟だとわかった。だからそれに応えたいなと。恩返しという気持ちも当然あるけれど、それは結果を残したあとに言えることだからね」

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2.遠藤航、三苫、冨安ら海外移籍は、磐田・藤田俊哉のおかげ!? Jリーグ移籍金制度撤廃への道

現在、サッカー日本代表を構成する選手たちのほとんどが、ヨーロッパのクラブに所属している。代表に限らず、欧州へ挑戦する選手が増加した背景には、大きな歴史的な転換があった。1993年に始まった日本サッカープロリーグ、Jリーグには、選手の移籍がしづらい規約が存在していた。それが移籍金制度だ。

30歳未満の選手が移籍する場合、契約満了後30カ月以内であれば、元所属クラブは移籍先クラブに対して、移籍金の支払いを要求できる。その金額は選手の年齢や年俸などに応じて設定され、若い選手ほど高額になってしまう。

これは日本独自のローカルルールであり、ヨーロッパなどでも「移籍金」と日本で呼ばれるお金が動くが、正しくいえば、「契約不履行に対する違約金」だ。契約途中に契約を満了せずに移籍することに対する違約金で、その金額の上限に取り決めはなく、元所属クラブの意向次第で高騰する可能性がある。

資産のあるクラブへ選手が集中することを懸念し、選手の引き抜きや移籍金高騰を防ぐ狙いがあったと言われるJリーグの規約だったが、1998年に中田英寿がイタリアへ渡って以降、海外でのプレーを夢見る日本人選手たちにとって、海外移籍の足かせにもなった。Jリーグクラブが希望する移籍金の算出方法が、世界のスタンダードとは異なり、レンタル移籍という手段を選ばざるをえなかった。

そんな現状に異を唱えたのが、2007年5月、Jリーグ選手協会(現・日本プロサッカー選手会)4代目会長に就任した藤田俊哉だ。

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3.「新しいジュビロの歴史を作る」失言がちな王様小学生がクラブ幹部へ。藤田俊哉の磐田革命

――サッカー処として有名な静岡・清水で生まれた藤田さんは、どのような子どもだったのですか?

「清水以外ではサッカーがやっていないと思っていた少年でしたね(笑)。ヒーローは高校選手権で優勝した長谷川健太さんで、彼を見つけては自転車で追いかけて、『サインもらえなかったよ』って怒ってるような感じで、本当に狭い世界で生きてましたね」

――地元小学校の少年団でプレーしながら、清水FCという選抜チームにも所属。当時からエリートでした。

「周りから見たらそうなんでしょうね。基本的に子どものころから、思いついたことを口にしてしまう性格だったので、『いったん考えてから話しなさい』とよく言われていました。だから、本当に失言ばかりしていたんです。人を傷つけることもありました」

――というと?

「とにかく、勝ちたいという想いが強くて、『なんでそんなミスをするんだ!』って。小学校のチームメイトは清水FCに比べれば、確かにサッカーがうまいわけじゃないんですが、それが許せなかったんですよね。そんな自分のことを思い出すと、ゾッとします。三保第一小学校時代の友人に『お前はひどかった。あのままいったら、どうにかなっていたと思う』って言われますから。本当に申し訳なかったです。小学生時代が一番ひどくて、中・高・大と進学するなかで整っていった。言葉の大事さを知り、失言とともに成長していったのが僕なんですよ(笑)」

――選手会長時代の話も伺いましたが、現役時代を思い出しても、そんな乱暴な言葉を発するタイプだとは思いませんでした。

「気づくのがすごく遅かったけれど、今はものすごく慎重に言葉を選ぶようにはなったと思います。でもどこかで、そんな自分が自分らしくないかな、面白くないかなと思うこともあります。でも、発した人間以上に受け止めた人間にとっては、言葉の持つ力は大きいことを学びました。だから、今もきちんと話せる人のことを羨ましいと思うし、ボキャブラリーが多い、教養があるというのはこういうことなのかと感じます。だから、日々勉強ですよ」

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TEXT=ゲーテ編集部

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