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2024.05.27

「うまくいっていないクラブの玄関は汚い!」磐田・藤田俊哉。補強禁止措置のなかでJ1昇格を果たすためにやったこと

1993年に開幕したJリーグ。その1年後に参入したジュビロ磐田で10番を背負い、ステージ優勝6回、年間優勝3回、アジアクラブ選手権優勝と磐田の黄金期を支えた藤田俊哉。2011年ジェフ千葉での現役引退後は、オランダを中心に欧州で長く活動してきた。そして、2022年、J1磐田のスポーツダイレクターに就任。元日本代表コーチの横内昭展を監督に招聘した2023年、2位ながらもJ1昇格を果たした。インタビュー3回連載の1回目。

まずは環境を整えること(大掃除)から!

――現在のスポーツダイレクターとはどのような仕事なのでしょうか?

「まずはトップチームの編成です。監督以下のコーチスタッフの人事、そして選手との契約、獲得などですね。クラブのビジョンや理念のもと、中長期の計画のなかで、現状はどれくらい進み、何が進んでいないのか。何が足りないのかを判断しながら、人が足りないなら獲得するし、環境の整備が必要ならそれを行う。トップチームに限らず、アカデミー(下部組織)についても見ています。クラブ全体のプロデューサーだと考えています」

――磐田では中山雅史さん、名波浩さんなど、藤田さんと共に戦ってきたOBが指導者として仕事をされてきましたが、藤田さんは監督よりも、そういうプロデュース的な仕事に魅力を感じたのでしょうか?

「頂いたのが、スポーツダイレクターという仕事でした。それを一生懸命やることに魅力を感じたということですね(笑)」

――約17年ぶりの磐田復帰となりました。

「離れすぎて、ちょっと恥ずかしかったかな(笑)。多分、ジュビロも仲間も『俊哉は外でやりたいようにやっているし、ジュビロには戻ってこないだろう』と思っていただろうし。僕自身も『ジュビロに戻って、これをしよう』とか、そういうふうに考えていたわけではないから、はたして、僕が改善できるのかという気持ちもありました」

――オファーを受けようと思った理由は?

「勇気のあるオファーだと感じました。今さら、藤田を呼んでと批判的な声もあっただろうし。それだけの覚悟だとわかった。だからそれに応えたいなと。恩返しという気持ちも当然あるけれど、それは結果を残したあとに言えることだからね」

――シーズン途中での就任となりました。

「残り6試合。セレッソ、鹿島に引き分けて、横浜FMに勝って、うぉっと思ったけど、そんなに甘くはなかったですね。残留することはできませんでした」

――就任にあたって、選手の前で訓示を述べたりしたんですか?

「ないです(笑)。もちろん監督とはたくさんの話をしたけれど。だけど、途中から来た人間に『お前らこうだどうだ』と言われても、『誰ですか?』ってなるでしょ(笑)。自分が選手だったら、絶対にそう思うだろうから。ただ、とにかく言ったのは、『自分のために精一杯やってくれ』ということ。現状のチーム事情やジュビロのためにという気持ちを持つのは自然のことだし、そういう想いは理解している。だからこそ、『とにかく自分のために一生懸命やってほしい。まずはそれだけでいい』って」

――残留争いのなかで、選手が抱えるプレッシャーは小さくはないですからね。

「あとは、雰囲気を変えることも大事。オフィスもインテリアを変えました。あとは、クラブハウスの玄関の整理。風通しをよくしようと。これは僕の持論ですが、うまくいっていないクラブのクラブハウスは玄関が乱雑になっているように思う。玄関にあるべきものじゃないモノが置かれていたりする。要は片付いていないんです。ジュビロのクラブハウスが新しくなってから、20年くらい経っていて、モノがすごく増えていた。大掃除をしました」

――就任直後には、所属外国人選手が前クラブとの契約を残したまま、磐田と契約を結んだことで、FIFAの紛争解決室(DRC)から、同選手の4カ月間の出場停止や賠償金約5万ドル(約725万円)の支払いが命じられました。その1カ月後、2023年は新加入選手の登録ができないという決定がおりました。

「正直びっくりしましたよ。意気揚々と新しい仕事にチャレンジしようとした矢先、選手はひとりも獲得できませんと。でも、その紙を見せられたとき、自分がオロオロしている姿を見せてはいけないと、どこかで思ったんだろうね。その時は無意識でした。周りの人間の話によると、僕は『しょうがない。やれることをやろう』と平然としていたように見えていたそうです(笑)。でも、心のなかでは、『Jリーグ30年の歴史で初めてのことが起きるのか』と考えていました」

――選手補強はチーム編成の軸ですからね。

「そうだよね(笑)。でも、まあ、しょうがないから」

ワールドカップが終わるまで、監督人事を待っていた

――新監督として招聘したのが、当時日本代表コーチだった横内昭展さんでした。

「僕がジュビロの仕事を引き受けた直後に、『ワールドカップ後、監督という仕事に興味はありますか?』とフランクに話をしました。そのとき、横内さんは『ワールドカップの前に、そういうことは話したくない』と言われた。それは当然のことです。彼がワールドカップにフォーカスするのは、当たり前のこと。だから、『ワールドカップが終わったら、もう一度話をしましょう』と。その時は、オファーもしていないし、具体的な話は一切しませんでした」

――とはいえ、ワールドカップが終わってから監督を決めるとなると、チーム編成にも支障があったのでは?

「周りは大丈夫か? と心配していたけれど、僕の心には余裕がありました。長く、森保さんのもとでコーチをしていた横内さんは、次は監督をやりたいと考えていただろうし、それを森保さんも理解しているだろうと。横内さんはワールドカップが終わったら、新しい挑戦をしたいと思っていると感じていましたから」

――選手獲得ができないという制裁があるから、監督決定にも時間的に猶予があったのでしょうか?

「獲得はできないけれど、出ていくことはできるから。他クラブへ移籍する選手を止めることはできない。でもあるクラブの方が『こういう状況で磐田から選手は獲れないよ』と言ってくれたんです。そういうふうに考えてくれるのかと」

――ある意味、日本的な感情かもしれませんね。

「かもしれない。ほしい選手を獲得するクラブ、高評価、好条件のクラブへ移籍する選手の自由も当然の権利だから。でも、最小限の放出で留めることができた。もし、10人いなくなったら……と思うとゾッとしましたね。ユースチームの選手の昇格などで対応するしかないけれど」

――横内監督の魅力とは?

「横内さんのサッカーの考え方、どういうプレーを思考しているのかというところでジュビロに合うと思いました。ボールを繋ぎ、組み立てて、自分たち主体のテンポの早いフットボールをして相手を切り崩していくというスタイルです」

――それは藤田俊哉のフットボールでもある。

「そうですね。僕のスタイルですね。ボールを握ることを放棄しない。リスクを冒してでも、ボールを保持し、相手を崩していくというのが、好きだし、得点を奪っていくというのが好きだから。あと横内さんはオリンピック世代など、若い選手をずっと見てきた人です。これからのジュビロを考えると若い選手と共に戦わないと難しいと考えていたので、そういう部分でもマッチするだろうと思ったんです」

――1年でのJ1昇格を目標とされていたわけですが……。

「確かにそうですが、仕事を引き受けたときから、簡単じゃないと思っていました。1年で上がるのは相当難しいなと。不調が続くクラブに新しい風を吹かせなければいけないのに、選手は補強できない。これは厳しいなという気持ちはありましたね。だからといって諦めるつもりもなかったですね。ただ、短期的な改革ではなくて、中長期を見据えたことを考えていました。ある程度辛抱する時間もあるだろうと。1年間ですべてできるわけではないと思ってたから。耐える時間もあるだろうという時間軸で考えていました」

選手という時間がいかに貴重なものかを知ってほしかった

藤田俊哉/Toshiya Fujita
1971年10月4日静岡県生まれ。1995年ジュビロ磐田でプロデビュー。3度のJリーグ制覇、アジアクラブ選手権優勝を牽引した。2003年にはオランダリーグ・ユトレヒトへ移籍。2011年ジェフ千葉で現役引退。その後、オランダのVVVフェンロでコーチ、英プレミアリーグ・リーズ・ユナイテッドAFCの強化部、日本サッカー協会欧州駐在強化部員を務め、2022年、ジュビロ磐田スポーツダイレクターに就任。2023年J2リーグ2位でJ1昇格を果たす。

――藤田さんはどのような風を吹かせたいと考えていましたか?

「能力のあった選手がいたのは間違いありません。そういう彼らには、『ジュビロをJ2に落としたのも君たちだし、それを挽回できるのも君たちだよ。日本中にいるフットボール選手のなかで、君たちしかいないことなんだ』と、よく話しましたね。『俺はフットボールが大好きだけど試合にはもう出るチャンスはない。みんなはそれだけ価値のあることをやっているんだ。だからこそ、自分のために情熱をもってやってほしい』と。その結果、選手たちの眼が覚めるというか、意識が変ったかもしれません」

――選手自身にフォーカスを向けさせた。

「だから逃げるなということです。誰々がどうだ、じゃなくて、矢印を自分に向けてほしいと。選手という時間がいかに貴重なもので素晴らしいギフトであるか、それを知ってほしかった」

――逆を言えば、そういう意識が希薄だからこその成績低迷だと。

「そういうふうに、僕は感じていました。ジュビロ磐田は居心地の良いクラブだと思います。その環境を選手本人はぬるま湯だと思っていないけれど、僕から見ると、全体の雰囲気に緩さがあるなと思ったんです。横内監督も、『現状に満足をするようなことはひとつもない。自分たちがここから何をするかが大事で、こんな恵まれた環境でフットボールができるという幸せを感じながら、もっと成長しなくちゃいけない』と、すごく若手選手に言っていましたしね」

――横内さんは若手を育てるのがうまい。それは、彼らをよく見ているというのがポイントですか?

「若手だけじゃなくて、選手のことを本当によく見ている。それは外国人選手に対しても同じで、皆を同じ基準で見て、言葉を発している。若手にもベテランにも同じスタンスだから、ジャッジがフェアだし、わかりやすいんだと思います。結果、選手の気持ちを奮い立たせていると思います」

――コーチ業が長い横内さんですが、年齢(56歳)的にも、選手の兄貴分という立場ではない。

「選手との関係がフランクに見えるけれど、選手にとってみると、厳しさのある指導者みたいです。そういうピリッとした緊張感のある関係性は必要なことだと思います。一定の緊張感がないと、成長しないと思うので」

――最終節、2位の清水エスパルスが引き分けたことで、自動昇格の2位に順位をあげ、昇格が決まりました。

「この結末を予想はできなかったですね。ただ、僕らはやることを変えなかったし、すべての選手にチャンスを与え、クラブと選手が成長することを積み上げていきました。そして最後にご褒美が来たと」

――1年ちょっとですが、このプロデューサーの仕事は藤田さんに向いていますか?

「向いているかどうかはわからないですね。J1に昇格して、本当にこれからだから。

2024年シーズンをどういうふうに戦い抜くか。そのうえで、これから先、クラブの目標にどう向かっていくか。その方向性が見えるクラブを作っていかなくてはいけない。今いる選手が、来年もジュビロでやりたい、ジュビロを強くしたい、と思えるように。また、そういう全体の雰囲気を高めたり、方向性を確固たるものにしていきたいですね。

そして、新しい選手たちがジュビロ磐田でプレーしたいと思ってもらえるクラブを作っていくことが僕の仕事でもあると考えています。ジュビロを見てみたいとか、応援したい、スタジアムへ行きたい、そういう環境づくりもクラブとしてやらなくてはいけない。本当にすべきことが多いですね」

※2回目に続く

TEXT=寺野典子

PHOTOGRAPH=鈴木規仁

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