有言実行――この言葉が今回の偉業にもっともふさわしいだろう。
「J1昇格・J2優勝」、当時52歳の新人監督だった黒田剛氏がJ2リーグを舞台に、就任わずか1年で起こした奇跡は日本サッカー史に永遠に刻まれる。勝ちに不思議の勝ちあり、負けに不思議の負けなし。過去の経験や徹底した原理原則、勘と決断の基準、スタッフ・選手への絶対的な信頼感…「哲学者より思想家に近い」という黒田氏の言葉の真意とは!?
リーグ開幕前の合宿から長期取材をしているゲーテWEB編集部が、FC町田ゼルビアの快挙に迫る。黒田剛監督への独占インタビュー全3回の1回目。
エリキの離脱とモンテディオ山形戦
――J1昇格・J2優勝おめでとうございます。今だから話せる今シーズンで最も苦しかった時期はいつでしたか。
黒田 実際の数字を見ると、全6ターム(1ターム7試合。J2は全42試合なので全体で6ターム)に設定したなかで、第5タームが1番勝ち点を取れていません。
やはりエリキが離脱した時ではないでしょうか。離脱までに今季18得点を取っていて我々の中では貴重な存在だったわけです。そのエリキが試合中の怪我で離脱となりましたが、直後のモンテディオ山形戦(第32節・8月26日)ではチーム一丸となって奮起して勝利を得ました。さらに、その時期にミッチェル・デュークがオーストラリア代表に、藤尾翔太や平川悠がアンダー世代の代表に招集されて、エリキを含め前線の選手でレギュラークラス4枚中4枚が離脱しました。
――「国際Aマッチデー」でもJ2は開催されます。その点は今後リーグや協会もレギュレーションを考える必要性があると、メディアの一員としても考えさせられました。
黒田 これだけフォワードがいない、攻撃陣がいないなかで、これ以上ない悲劇感がありました。首位ではあったものの、いつ追いつかれるか分からない状況であり、かなり精神的に追い込まれた時期だったと思います。
ただ、そのなかでも連敗をしなかった。選手たちが奮起して勝ち点を「1」でも積み上げられたことが大きかったです。
――振り返ってホーム&アウェイの対戦で同じチームに敗れたことは1つもありません。ホームで初めて敗れたブラウブリッツ秋田に対してもそうです。アウェイで秋田に勝利した後、監督は「苦しかった」と話していましたが。
黒田 そうですね。あの時はまさしく代表選手がいない、空中戦に強い秋田に対して我々には競り合う選手が前線にいないというとても難しい状態でしたが、あえて相手の土俵でサッカーをするようなメンバーを組んで対抗することを考えました。例えば、対人に強い松本大輔をセンターバックに抜擢したり、ベテランの太田宏介や鈴木準弥を入れて2人の配球能力を生かしてゴール前の混戦の中からチャンスを作るというプランを立てました。それが上手く機能して勝利したのですが、本当は我々がやりたいサッカーはではありませんでした。
――特にシーズンの後半、やりたくないこともやっていかなければならない局面もあったと。
黒田 理想の追求とはかけ離れたものとなり、見ている側からすると「えっ」と思うようなサッカーをすることもあったかもしれません。ただ、やはり年間を通して状況に応じて臨機応変にやっていかなければいけない。そうやって思考し、常に変化していくことが大切なのです。選手が順応性を持ってやってくれたことが、今回の優勝の要因の1つといえます。
――一番うまく順応した瞬間は?
黒田 エリキが出られなくなった山形戦です。結果は5対0でしたが、あの試合はみんなが一枚岩になれた瞬間でした。不安の中であれだけのゴールを生み、失点を0に抑えた。「俺たちは絶対にできるぞ!」という思いが全員に芽生え、ここから絶対に失速しないという気持ちを強く感じました。
――アディショナルタイム、全員が身体を張ってゴールを死守してクリーンシートで終わらせました。また、選手もスタッフも全員「ALWAYS WITH ELIK(いつもエリキと一緒だ)」という青いTシャツを着ていて、チームの一体感を感じました。
黒田 スタジアム全体がそういう雰囲気になっていましたね。エリキがいなくなったから負けた、というのは本当に恥ずかしい。だからこそ、チームでここまで築き上げてきた原点にもう一度立ち返り、我々が追求してきたサッカーを徹底しました。結果、自分達もびっくりするようなゲーム展開となりました。
最強のFC町田ゼルビアをつくるために
――チームモデルの構築ですが、現在のFC町田ゼルビアの達成度はどれくらいと評価されていますか。
黒田 細かく言えばできていないところはまだまだあります。直近の試合でも課題を抽出した映像を見せて反省したのですが、J1へ行ったら通用しないというシーンを選手たちに見せました。それを自覚してしっかり改善するようでなければ来季は全く通用しません。各々が高い意識を持ってやってくれなければチームとしての成長はないのです。
第1タームの調子が良かった時は、開幕前のキャンプで浸透させたやるべきことが、しっかりと協力してできていた。チームが立ち上がった時は個人のスキルの差は微々たるものでした。そこからトレーニングを通じて、いかにスキルアップしていけるか、また他チームとの差を広げていけるか。この努力の差はすごく大きい。そして、努力からさらに大事なのは日々継続すること。それによってチーム力の差はさらに大きくなっていきます。
年間を通じて戦いの中でやるべきことを継続して行い、それが無意識にできるようになる。つまり、やるべきことが「習慣」として定着できた瞬間こそ、最強のチームができると考えています。
最初のルール作りが大切
―― 努力の「継続」から、それを「習慣」にすることが非常に重要だと。
黒田 おっしゃる通りです。全員が意識して町田のコンセプトを継続させてやれている時は、町田らしいゲームができていました。ただ、第4タームから第5タームにかけては、本来やるべきことが薄れ、自分本位のプレイを志向してしまうプレーが多くなった。
あの時期は最初の頃にトレーニングでやってきたことをやらなくなる場面が多く見られました。結果として失点が増えた。 このシーズンで唯一自分のなかで指導者として納得できなかった、またはやりきれなかった時期です。 目標としていた習慣化するまでには至らなかった、ある程度の継続はできたと思うが、結局は少し元に戻ってしまった気がする。
特に守備陣は原則を徹底せず、これまで自らの経験でやっていた頃のプレーに舞い戻ってしまった。試合では失点を重ね、2試合で6失点してしまったこともありました。町田は失点0、最小失点で抑えて1-0で勝つというのが理想的でありコンセプトにも掲げている。それなのに、身体を張るべきところで張らない、ラインアップもしない、要所要所で妥協やサボりが見られました。やはり負けている時は、本来やり続けていたことが思考的にできなくなっているんですよね。いつの間にか自分の物差しを確立して、厳しいことを制限してしまうようになるのです。
――「慢心」なのでしょうか。
黒田 慢心でしょうね。理由は1つや2つではないにせよ 、悪い習慣がいっぱい出てきました。だから毎回ミーティングでは映像を見せながら改善させて、もう1回「原点」に戻ることを強調して伝えてきました。キャンプの時に「ベースづくりをする」と言いましたが、必ずその原点に立ち返る作業を何回もやり続けました。だからこそシーズン通して連敗することがなかったんだと思います。チーム組織は生き物です。日々の軌道修正を細かく、そして厳しくやり続け慎重に前へ進めなければ、気づいた時にはすでに「崩壊してた」なんてことはよくある話です。
――シーズンを戦うなかで、原理原則を貫くことが大事だと。
黒田 例えば、前線からスイッチを入れる戦いが必要な場合は、高橋大悟みたいな選手がいたほうがスイッチは入れやすいとか。また、こういう選手とコンビを組まないとボールは保持できないかなとか色々と考えました。常に選手の起用を変えたことで、選手の相乗効果というか、みんなの競争心をあおり、互いに成長させることができたのはすごく良かったと思います。
ただ、試合に出場していない期間があろうと、チームが絶対に1つになっていくことが大事。選手はそこで愚痴を吐いたり、不貞腐れたりしては絶対にいけない。チームの勝利にマイナスの要因となる選手はチームから出て行ってくれということは、2月のキャンプで全員に伝えていました。これをチームの約束事にしとくれと。チーム内の良い空気感を維持するためのルール作りは誰もが理解していたと思います。
――取材をさせて頂いた2023年2月の合宿の段階、 一番最初のチームマネジメントですね。
黒田 そうです。立ち上げのガイダンスで、しっかりと意識として横道に外れられない状況をつくっていく、または自分がそういう空気を出すとチームみんなに咎められるような組織づくりをしていく。ここが「強い組織」をつくるための重要なポイントなのです。
監督やコーチがいちいち何かを言うことで、スタッフ対選手という対立構図にならないようにする。選手間で「お前、それは良くないよね」と言い合える空気感をつくる。試合に出場できない選手も含めて全員が、がむしゃらに頑張ってチャンスを掴むという意識の共有はできたと思っています。
――最初にルール化しておく、これが重要ですね。黒田流マネジメントの本質のような気がします。
黒田 最終的には家族のような仲の良い、いい意味での和気あいあいとした集団になりました。仲間のために、試合に出ていなかった選手のために、そういう言葉が選手から出るのを聞くと、町田ならではというか、凄く良いチームに仕上がったなと思います。
※続く