戦後初の三冠王で、プロ野球4球団で指揮を執り、選手・監督として65年以上もプロ野球の世界で勝負してきた名将・野村克也監督。没後3年を経ても、野村語録に関する書籍は人気を誇る。それは彼の言葉に普遍性があるからだ。改めて野村監督の言葉を振り返り、一考のきっかけとしていただきたい。連載「ノムラの言霊」32回目。
高卒1年目のマー君を使うという決断
野球も人生も、「もしも」の連続だ。「もしも、あのとき、ああしていれば……」
例えば強打者を迎えたとき、勝負するのか。歩かせるのか。許された短時間で選択しなければならないが、選択次第で結果は変わってくる。
そんなとき、一番よくないのは中途半端になってしまうことだ。ピンチのときこそ、腹をくくる。「この選択で失敗しても仕方ない」と。そうすると、得てして好結果が生まれるもの。野村いわく「覚悟にまさる決断はない」のだ。
2007年、“マー君”こと田中将大がドラフト1位で楽天に入団した。
本来、高卒の投手は1年間、2軍で体作りをして鍛えるもの。しかし、当時の楽天は「球界再編」により誕生したチームであり、各球団を戦力外になった「寄せ集め集団」だったので、実力は1軍も2軍も大差ない。また、1軍先発投手の頭数が足りないというチーム事情もあった。
通常、投手は「ストレートがいいから1軍で使ってみよう」と考えることが多い。しかし田中は、「スライダーがいいから1軍で使ってみよう」と思わせる珍しいタイプだった。
野村は腹をくくった。「ワシの目が届く1軍で育てよう」
野村はそう言った手前、田中が先発で3試合続けてノックアウトされたときは、「やはり時期尚早だったか」と頭を抱えた。
だが2007年4月18日、田中の先発4試合目のソフトバンク戦。4番の松中信彦(2004年三冠王、2006年首位打者)をはじめ本多雄一、多村仁志、小久保裕紀、大村直之、柴原洋らが並ぶ重量打線(2007年チーム打率1位)に対し、田中は初回に1点を献上するも、小久保、大村、ブライアン・ブキャナンと3者連続三振、松中に対しては2打席目以降3三振に仕留めたのである。
田中はその試合、9回13奪三振2失点完投でプロ初勝利を挙げた。
「マー君は自分なりに腹をくくったのだろう。覚悟をしたのだろう」
田中にとってその試合が分岐点であり、ひとつ突き抜けた瞬間だった。それからどんどん波に乗った。さらに、ノックアウトされて「敗戦投手」になりそうなところを、味方の打線が奮起して追いつき、黒星が付かないことも続いた。そこで、あのフレーズが生まれたのだ。
「マー君、神の子、不思議な子」
平成30年間で「高卒ドラフト1位の1年目2ケタ勝利」は、西武の松坂大輔(1998年)、楽天の田中(2006年)、阪神の藤浪晋太郎(2012年)の3人しかいない。
岡田彰布監督の覚悟。「負けても俺が責任を取る」
2005年9月7日の中日対阪神戦。阪神リードの1対3で迎えた中日9回裏の攻撃、本塁クロスプレーはアウトかセーフか微妙なタイミングだった。
審判のセーフの判定に抗議した岡田彰布監督を止めるため、間に入った平田勝男ヘッドコーチが「審判員への暴行」を理由に退場処分になり、岡田監督は選手をダグアウトに引き揚げさせた。
18分の中断後、試合再開。阪神は同点に追いつかれ、さらに一死満塁の状況。そこで岡田監督が久保田智之投手に叱咤激励した。岡田監督は「覚悟」したのだろう。
「メチャクチャやったれ! 負けても俺が(責任)取ったる」
当時は「竜虎の時代」とも言われ、阪神と中日が交互にセ・リーグの覇権を握っていた(2003年阪神優勝、2004年中日優勝、2005年阪神優勝、2006年中日優勝)。裏を返せば、両者の対戦にはそれだけ緊迫した試合が多かったということだ。
久保田投手は連続奪三振。延長11回表に中村豊選手が勝ち越し本塁打。試合後の落合博満監督は語った。
「監督(の差)で負けた。以上」
この2005年、阪神は中日との激戦を制し、岡田監督自身、初めて優勝の美酒に酔った。
村上に打たせるか、代打か。WBCでの栗山監督の「決断」
2023年、WBC準決勝の日本対メキシコ戦。
1点ビハインドの9回無死一・二塁で打席に向かう5番・村上宗隆(ヤクルト)。仮に村上が内野ゴロ併殺打なら、1点ビハインドのまま二死三塁。続く6番打者も凡退したら、試合に負ける。ならば村上に、牧原大成(ソフトバンク)を代打に使い、バントで送って一死二・三塁にすべきだ。
あくまで推測であるが、もしそうなった場合、6番に入っていた中野拓夢(阪神)がおそらくセーフティー・スクイズを仕かけてまずは同点に。二死三塁で7番・山田哲人(ヤクルト)を迎える。当然、強攻だ。サヨナラ打が出るか、無得点で、タイブレーク突入か。
タイブレークなら、「無死二塁」から前の回の打順が引き継がれる。10回表のメキシコの打順は上位1番から。10回裏の日本の打順は下位の8番から。しかもこの状況は、牧原と中野のバントがともにうまく成功して同点となることが大前提だ。
ここまで考えて、栗山英樹監督は、「覚悟」「決断」したのだろう。
「村上をそのまま打たせよう」
結果は、サヨナラ打だった。
まとめ
野球も人生も「もしも」の連続だ。迷ったときこそ「この選択で失敗しても仕方ない」と、腹をくくる。覚悟にまさる決断はない。そうすれば、いい結果が生まれるものだ。
著者:中街秀正/Hidemasa Nakamachi
大学院にてスポーツクラブ・マネジメント(スポーツ組織の管理運営、選手のセカンドキャリアなど)を学ぶ。またプロ野球記者として現場取材歴30年。野村克也氏の書籍10冊以上の企画・取材に携わる。