2023年9月30日、これまでテレビや雑誌などで多く取り上げられた、新宿二丁目のアイコニック的存在である深夜食堂「クイン」が閉店した。オープンから53年間、名物ママを続けてきた“りっちゃん”への独占インタビューをまとめて公開する。 ※2023年10月掲載記事を再編。
1.53年の歴史に幕を閉じた、新宿二丁目の深夜食堂「クイン」の名物ママ・りっちゃんとは
日本を代表する“ゲイタウン”として、海外の観光客も多く訪れる新宿二丁目。かつては同性愛者が集う隠れた遊び場だったが、今では性別や性的指向に関係なく、さまざまな人がお酒やトークを楽しむ場として広く愛されている。
そんな夜の街の中心地である仲通り交差点から徒歩数十秒。古めかしい茶色いレンガ造りのビルの2階から蛍光灯の青白い光を放つのが、昭和の雰囲気が漂う食堂「クイン」だ。
お店の“顔”は、なんといってもママの加地律子さん(通称・りっちゃん)。自らのことを「オレ」と名乗り、酔っ払った男性客にも毅然とした態度で堂々と接客する二丁目の名物ママである。
ビール瓶を栓抜きでリズミカルに叩いて、「チンチーン」という音を奏でながらお客のもとに運び、お客のグラスにビールを注ぐ。すると、今度は「オレももらうよ」と言いながら、自分のグラスに注いでグビグビと飲みはじめる。
その二丁目きっての“男まさり”な性格が、多くの人に愛される所以なのだろう。御年78歳でありながら、冷えたビールを美味しそうに飲むりっちゃんの姿は、二丁目に訪れる多くの人々に安らぎと活力を与えてきた。
2023年9月30日、そんな新宿二丁目を見守る“灯台”のような存在感であった、深夜食堂「クイン」が53年の歴史に幕を閉じた。それは突然の出来事だった。
2.60年前はゴーストタウン!? 深夜食堂「クイン」のりっちゃんが語る新宿二丁目の歴史
昭和、平成、令和と、時代とともに変わりゆく新宿二丁目を見守ってきた深夜食堂「クイン」のりっちゃん。バブル期で賑わう二丁目も、コロナ禍で閑散とする二丁目も、常に変わらぬ営業スタイルで訪れるお客に美味しい料理を提供してきた。
そんなりっちゃんが新宿に住みはじめたのは1963年、18歳で上京してすぐのこと。姉が営んでいた神田の喫茶店で働くことが決まると、現在の新宿・歌舞伎町にあるアパートを借りて暮らしだした。
「福岡から上京してきた時、姉に『一緒に住むのは嫌だ』って言ったら、『うちの計理士(現在の公認会計士)が持ってるアパートがあるから、そこに住むか?』って。それでひと部屋を借りて暮らしはじめたの。今でいう『四季の路』あたり。近くに都電が車庫に入る引き込み線があってね。今もそのアパートは残ってるよ」
その頃、りっちゃんがハマっていたのが、新宿二丁目にあった屋台のおでん。簡易旅館の駐車場に屋台を引いて売っていた、じっくり煮込んだおでんを夜な夜な食べに行ったそう。しかし、当時の二丁目は今の賑やかな雰囲気とは大きく異なっていたという。
かつては遊郭が多く軒を連ねていた新宿二丁目は、昭和33年に売春禁止法が施行されて以降、「青線」と呼ばれる地域が軒並み廃業に追い込まれ、人気のない静かな街になっていた。
3.「学校は知識、人間性は家庭」元PTA会長! 新宿二丁目「クイン」のりっちゃんの子育て論
「子供が小さかった頃、学校を休ませて家族でディズニーランドに行ったことがあるんだ」
新宿二丁目で深夜食堂「クイン」を営むりっちゃんは、グラスに注いだビールを飲みながら、懐かしそうにそう語った。
昭和45年(1970年)に、25歳で子供を出産したりっちゃんは、その後ふたり目の子供にも恵まれ、食堂で働きながら娘2人の子育てをしていた。朝方まで深夜食堂で働き、小さな子供たちを育てる生活は、並大抵の苦労ではなかったという。
「生まれたばかりの時は、子守りのアルバイトが来てたの。3時間おきにオシメを変えてもらって。でも、それはものの1年足らずよ。その後は、自分で子供2人の面倒を見てた。
小学校に入ると、朝7時までに家に帰って朝ごはんを食べさせて、それが終わると学校に行かせて。それからオレが寝るんだ。夜からまた夫婦で働かないといけないからね」
子供の学校のPTA会長を務めたこともあるりっちゃんは、かつて熱心な“教育ママ”だった。
昼間は子供たちのために活動し、夜になると家庭を支えるため朝まで働く。「だから、どこでだって寝れるようになったよ」と語るりっちゃんは、子育てのためならどんな時間も惜しまなかったという。しかし、その教育方針は、他とは大きく異なっていた。
4.“老いることは素晴らしい”新宿二丁目「クイン」を閉店して、今りっちゃんが思うこと
2023年9月30日、新宿二丁目で長く愛され続けた深夜食堂「クイン」が突如閉店した。二丁目を訪れる一般客だけでなく、営業明けのゲイバーの人々が朝食を食べる場としても親しまれてきたこの場所。
低価格で美味しい料理が食べられるとあって、平日も多くのお客で賑わっていたが、長年お店を続けてきた夫婦の健康状態が、閉店の大きな理由だったという。
「足が坐骨神経痛になっちゃってさ。普通に歩くだけでも辛くて。健康だったら言うことないんだよ。でも、歩くたびに激痛が走るの。これはやったことがない人にはわからないね」
そう語りながらも、大きな声を出しながら注文された料理をテーブルに運ぶりっちゃん。足の痛みに耐えながらお店を切り盛りする、そんな生活の中で、“老い”に対して考え方の変化が生まれたそう。
「老いるってことは、素晴らしいことで。オレが50歳くらいまでの時は、ババアがゆっくり歩いていると、なんで年寄りはこんなにゆったりと歩くんだろうって思ったもんよ。『この忙しい時に、よたよた歩きやがって、オレは忙しいんだ!』ってさ。
でも、その人たちはゆったり歩きたいんじゃないの。ゆったりしか歩けないの(笑)。今、お店まで徒歩5分くらいのところに住んでいるんだけど、オレが歩いたら30分以上かかるからね。老いてみなきゃわかんないことがあるんだよ」