2023年9月30日、これまでテレビや雑誌などで多く取り上げられた、新宿二丁目のアイコニック的存在である深夜食堂「クイン」が閉店した。オープンから53年間、名物ママを続けてきたりっちゃんに、独占取材。4回にわたってクインの歴史を紹介する。第3回。【第1回/第2回】
学校を休ませて行ったディズニーランド
「子供が小さかった頃、学校を休ませて家族でディズニーランドに行ったことがあるんだ」
新宿二丁目で深夜食堂「クイン」を営むりっちゃんは、グラスに注いだビールを飲みながら、懐かしそうにそう語った。
昭和45年(1970年)に、25歳で子供を出産したりっちゃんは、その後ふたり目の子供にも恵まれ、食堂で働きながら娘2人の子育てをしていた。朝方まで深夜食堂で働き、小さな子供たちを育てる生活は、並大抵の苦労ではなかったという。
「生まれたばかりの時は、子守りのアルバイトが来てたの。3時間おきにオシメを変えてもらって。でも、それはものの1年足らずよ。その後は、自分で子供2人の面倒を見てた。
小学校に入ると、朝7時までに家に帰って朝ごはんを食べさせて、それが終わると学校に行かせて。それからオレが寝るんだ。夜からまた夫婦で働かないといけないからね」
子供の学校のPTA会長を務めたこともあるりっちゃんは、かつて熱心な“教育ママ”だった。
昼間は子供たちのために活動し、夜になると家庭を支えるため朝まで働く。「だから、どこでだって寝れるようになったよ」と語るりっちゃんは、子育てのためならどんな時間も惜しまなかったという。しかし、その教育方針は、他とは大きく異なっていた。
「ディズニーランドができた頃、子供たちが『行きたい』っていうから、学校を休んで連れて行ったことがあったの。ほら、休日だと混むじゃん。だから、校長に『うちは学校を休んでディズニーランドに行ってくる』って言ったの。そしたら、『え?』だって。だから『え?じゃねえ』って言い返してやったわ。
だって、内緒で連れて行ったら子供が学校で自慢できないじゃん。堂々と行かせてあげないと。子供には『クレームが来たら、オレが受けてやる。でも、はじめてのディズニーランドは、お母さんと行ったって言うんだよ』って教えてさ」
子育ての基本は家庭にある。そう考えるりっちゃんは、どんなに忙しい時でも子供といる時間を大事にしていた。学校の教育はちゃんと受けさせる。しかし、家族との時間は、学校で学ぶこと以外を教える。それがりっちゃんの教育法だ。
子育ての“要”は小学校と中学校
「子供は『おはようございます』と『こんにちは』が言えればいいの。みんなそれぞれの家庭で、それぞれのルールがあるから。学校は知識を教えてくれるところ、でも人間性を作るのは家庭。今のお母さんにはみんな丸投げで学校に押し付けてる人もいるけど、それは違うと思うね」
家庭の役割と学校の教育を分けることで、親として子供に教えるべきことが見えてくる。学校に頼らず、子供にとって必要なことを親が判断する。そんな子育てをしてきたりっちゃんは、家庭と仕事どちらも全力で向き合ってきた。
「スパルタにしたって、放任主義にしたって、いずれは親から巣立っていくんだから。子供の育て方で、一番大事なのは小学校と中学校。その間は、親がちゃんと見守ってあげる。でも、高校からはいい意味で放任主義、親は金だけ出してあとは口を出さない。子供だってある程度、自由なんだから。
人間くらいだよ、親子がずっと何十年も付き合うのは。狼なんて1年もない、熊だってそうだよ。今じゃ大学まで親がついて行く、バカかと思っちゃう。子供は親の経済力で成長する権利がある。親は高校まで子どもを育てる義務がある。これは権利と義務の問題なんだよ」
そんなりっちゃんも、今では孫を持つ立派なおばあちゃん。りっちゃんに似て、血気溢れる孫たちの成長を陰ながら見守っているそう。最近も、孫娘たちの“武勇伝”に驚かされたという。
「うちの孫は、一番小さい子が小学生なんだけど、変わったタイプの女の子でね。オレといい勝負してるよ。『私は悪くないけど、なになにちゃんが私の悪口を言うから、黙って睨みつけてやった』って言うから『偉い!!』って(笑)」
子育てに“正解”はないと話すりっちゃんだが、子供が社会人として巣立って行った時に、自分の教育が「間違ってなかったな」と思えるかが重要だという。 元気な孫たちに囲まれた時、自分たちの娘がしっかりとした家庭を築けたことに喜びを感じる。そこにりっちゃんの教育論の結果があるのだろう。