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2023.09.05

銘酒「十四代」唯一の弟子が醸す、人生を捧げる日本酒づくり

山口・萩で100年続く澄川酒造場。初代当主が亡き妻を思って名づけた美酒「東洋美人」を醸す澄川宜史(すみかわたかふみ)は、日本酒界のスーパースター・高木辰五郎氏の薫陶を受け、その哲学を次世代へ伝えるべく酒づくりに人生を捧げる。水害などの困難を乗り越えながら「命を削る酒づくり」に邁進する男の生き様を追った。

田んぼに立つ澄川宜史氏

人生を決定づけた、高木辰五郎との出会い

蔵の裏手にある山を30mほど登った開けた台地。ここの田んぼは日当たりが良好。日中は森から涼やかな風が吹き抜けつつ、昼夜の寒暖の差が稲にほどよい緊張感を与えるなど、極めて美味しいお米の育つ環境が整っている。豊かな自然の中で育まれた米、そして清らかな水が澄川宜史が醸す大人気銘柄「東洋美人」の核になっている。

「実は私が蔵を継いだ頃は経営難で、いいお米を買うことができず、売上げは山口県の蔵のなかでも最下位に近く、当時は劣等感しかありませんでした」

確かに日本酒業界は戦後の三増酒の黒歴史を引きずり、澄川が生まれた1970年代は日本酒離れが急速に進んでいた時代。大手清酒メーカーに押されて地方の酒蔵は苦境に立たされていた。

1980年代には第1次地酒ブームが起こり、一部の地酒に注目が集まる流れもあったが、資本力なくしてはその流れに乗れない。また、当時は蔵元当主は経営者で、仕込みの時期になると杜氏がやってきて酒づくりをする分業制が当たり前だった。

「うちのような極小の地方酒蔵では、売上げは減少するばかり。山田錦などいいお米を買えないばかりか、杜氏を雇えなくなるのも時間の問題でした」

澄川が将来に不安を抱えながら東京農業大学で学んでいた1990年代前半、地方の極小酒蔵に一縷(いちる)の望みを与えてくれる若きスーパースターが登場した。山形「十四代」の蔵元、高木酒造の15代目高木辰五郎氏だ。※前・顕統(あきつな)氏。高木顕統氏は2023年3月に15代目高木辰五郎を襲名

蔵を任された辰五郎氏は自ら杜氏となり、試行錯誤を重ね、当時ブームとなっていた淡麗辛口とは一線を画したお酒を醸した。酒米の種類や磨き具合、仕込みを細分化。洗練させたエレガントな芳醇旨口の風味は大きな注目を浴びていた。

「父が『はせがわ酒店』を介して、大学の学外学習の研修先として高木酒造に入らせてもらえるよう頼んでくれました。ものづくりの哲学を学ぶ環境として最高の道を用意してくれたのです。なんとか苦境を乗り切って代を継なげてほしいと願う父の精いっぱいの贈り物でした」

父の思いに応えなければという気持ちももちろんあったが、辰五郎氏に会った途端、オーラのある人柄、深い洞察と思考から生みだされる言葉、立ち居振る舞いに魅了され、酒づくりに人生を捧げる覚悟が決まった。

こうして大学3年生の12月、一ヵ月弱を辰五郎氏と寝食をともにし、洗米から麹づくり、仕込み、酒母づくりなどを経て瓶詰めまで、酒づくりをひととおり経験させてもらった。

若き日の澄川宜史氏
東京農業大学に在学中の頃の澄川。辰五郎氏と寝食をともにしながら「十四代」の酒づくりを経験。以降も師弟関係は継続。酒づくりについて語り合っている。

「技術的なことはもちろんですが、ものづくりに対する姿勢などもっと根本的なことが心に刻まれました。その研修時代が私の人生のなかで最も濃密な時間。顕統さんがいなかったら今の自分はありません」

辰五郎氏から学んだのは「ものづくりをするなら現場の人間であれ、酒づくりひと筋で生きろ」ということ。そして「飲む人だけでなく、つくり手自身も幸せになる酒づくり」だ。それは現場に立ち続け、自分が思い描く味を追求した“作品”をつくること。そして、納得した作品をつくっていれば、必ず飲む人に伝わる。「望まれて飲んでもらえる酒をつくること」は常に辰五郎氏が言っていたことだった。

見栄を張ることで劣等感を吹き飛ばす

辰五郎氏の薫陶を受け、山口に帰郷後、これからやるべきことが見えたという澄川。「リスクを冒さないと現状維持すら成り立たない」と、まずは農家からよい米を買い、温度管理ができる設備を導入するなど先行投資で酒づくりを始めた。

「お金はないけどあるふりをして格好をつける。どん底から這い上がるためには身の丈範囲内の『見栄と欲』も大切。それまで劣等感に苛まれていたけれど、そこにとどまっていても悪循環しか生まれなかったことを痛感していました」

納得のいく酒づくりができても、販路がなければ売れない。澄川がつくる酒に価値を認め、売ってくれる酒販店に自ら酒を持ちこみ試飲してもらうべく、辰五郎氏のような立ち居振る舞い、スマートなファッションを心がけなければと、背伸びをして東京の有名テーラーでスーツを誂えた。身なりを整え、ハイクラスの客層が集う飲食店にも通った。しかしホテル代を節約するために六本木のサウナで一夜を明かす日々。

「六本木の高級ホテルを見上げて、いつかはここに泊まるんだという欲を持ちながら、歯を食いしばって見栄を張る。明るく振る舞うことで知名度がないこと、売れないことの惨めさ、劣等感を吹き飛ばし、将来への不安や恐怖から目を背けるようにしていました」

地元の飲食店や福岡を中心に販路を広げ、徐々に蔵の知名度があがってきた2004年。4代目の蔵元に就任した澄川は、東京で「東洋美人」がより多くの人に飲まれる光景を夢見て、さらに精力的に販路拡大に奔走。夜行バスの4席を貸し切って日本酒を運び、飲食店に持ちこみ、朝には蔵に戻って現場に立った。

品評会に出品するなどして、評価してもらうための土俵にのせる努力も続けた。数々の賞を獲得し、2010年と2014年のサッカーW杯では、FIFAのオフィシャル日本酒に選定されるという快挙も成し遂げた。

日本酒の「東洋美人」
「東洋美人」の酒名どおり、華やかさがありながらも品のよい美しい味わい。澄川にとって理想のお酒は「透明感のある水のように喉を通り抜けていく酒」という。

水害による借金が大きな飛躍のきっかけに

2013年7月末、山口北部を豪雨が襲い、蔵の前の川が氾濫。蔵の一帯も川の濁流で床上浸水し、家屋はもちろん酒づくりの設備にも泥や砂が入りこんで壊滅的な被害を受けた。

「もうこれで蔵も終わりなのかと落胆しましたが、被災直後から地元の仲間、全国の酒蔵や酒販店の人たちが復旧作業を手伝いに来てくれました」

1500人もの仲間の支援のお陰で、なんとその年の12月には酒づくりを再開することができた。

2013年の水害
2013年7月28日、蔵の前の川が氾濫し、蔵は澄川の胸の高さまで浸水。壊滅的な被害と思われたが、1500人の仲間が復興作業を手伝ってくれた。

さらに、2014年10月に開催された世界最大級の日本酒の審査会「SAKE COMPETITION」でグランプリを獲得。この時、仲間たちへの恩返しと、大きな借金をして最新の蔵へと建て替えることを決めた。

「水害に負けない蔵にするために鉄筋コンクリート3階建てに。温度管理も徹底させる最新の設備に刷新して一年中酒づくりができる環境を整えました。やると決めて5億の借金を抱えた以上、蔵を大きくせざるを得ない。5年、10年先を見据えて5倍、10倍つくれるようにしないと借金が返せないし、従業員の給料も上げられませんから」

この投資が功を奏して酒の質も品質も向上。澄川が酒づくりを初めて教えてもらった今は亡き灘の名杜氏・米田幸市からもらった言葉「醇道一途(じゅんどういちず)」を冠し、酒米違いで毎月リリースする新シリーズも人気を博した。

裏ラベルには「皆様にお酒造りの舞台に戻して頂き、『原点』から『一歩』を踏み出させて頂きました。いつ何時も『醇道一途』の気持ちを胸に刻み、お酒造りに精進してまいります」と感謝の気持ちを伝えている。

2019年にはJALのファーストクラスの提供酒にラインナップされるなど、評価も知名度も飛躍的に上がっていった。リスクを背負った分、得られた成果も大きかった。

スピード感とインパクトでコロナ禍を乗り切る

2020年春、新型コロナの影響により、お酒を扱う酒販店、飲食店が大打撃を受けるという予想もつかない事態が起こった。

「どんどん状況が変わっていくコロナ禍では、とにかくスピード感とインパクトが大事。瞬時に思いついたことを実行に移していました。水害の時に助けてもらった恩に報いたいという思いもあったからかもしれませんが、自然に頭が働き、次々にアイデアが浮かんだんです」

飲食店と酒販店、酒蔵は一蓮托生。飲食店が動かないと生産も止まってしまう。澄川は180㎖の小瓶商品をつくって、飲食店のテイクアウトの折にセット販売をしてもらった。また、「東洋美人」最高峰の壱番纏純米大吟醸を飲食店限定酒として1.8ℓを1800円で販売したり、コロナ禍限定で酒販店、飲食店が仕入れやすく、売りやすい商品を相次いでリリースした。

そこに徹してやり続けた結果、一時的に利益は下がったが、売上げと生産量は伸び続けたという。

出荷量は2013年の被災当時、一升瓶換算で年間12万本だったが、10年経った現在では25万本。5万本の生産が追いついていない状況だという。最近はシドニーが発祥のオールデイダイニング「bills」からハウス日本酒として提供したいというオファーがあり、オリジナルを開発。

「bills house 日本酒」
口当たり、喉越しが柔らかく仕上がる酒米・酒未来を使ってオリジナルに開発した「bills house 日本酒」。日本の「bills」では、グラス(¥800)と500mlのボトル(¥3,800)で提供。

「後輩たちのためにも、日本酒を世界的に今以上に価値を認めてもらえるようなアルコール飲料にする。そのために、力を入れたいと思うようになってきた」と、シドニーの人気日本料理店「KURO」でコラボイベントも行った。今後も積極的に海外に目を向けていくつもりだという。

KUROの寺本シェフと澄川氏
2023年3月、シドニーのレストラン「KURO」の寺本考宏シェフ(右)の料理と一緒に「東洋美人」を楽しむイベントを開催。日本酒ハイボールなど、新たな飲み方の提案もあり、澄川自身も刺激を受けた。

伝えてもらったことを伝えていく使命

澄川は先輩に対して礼も尽くすが、それ以上に後輩思いの人物としても有名だ。「弟子は取らない」というスタンスを貫く高木酒造の辰五郎氏が研修生として迎え入れたのは、澄川が最初で最後だといわれている。

「なぜ私だけなのか、その理由を顕統さんは今でも明らかにしてくれません。でも、伝えられた私が後輩に伝えていくことも、顕統さんから託されたことなのではないかと。最初で最後を強く重く受け止め、伝える使命も大事にしています」

そう話す澄川は人付き合いも幅広くフットワークも軽い。研修生も積極的に受け入れている。長く休眠状態だった蔵を復活させて注目を集めている「大嶺酒造」の秋山剛志氏や、「阿武の鶴酒造」の三好隆太郎氏も元研修生だ。また、別業界でもものづくりに携わる後輩には気軽に声をかける。そして彼らの意見にも耳を傾ける。

「苦境の時代に蔵を継ぎ、水害やコロナも乗り越えたけれど、不安との戦いは今も続いている。でも、お酒が売れなくて惨めだったあの気持ちだけは2度と経験したくないし、自分の仲間、後輩たちにもあんな気持ちには絶対になってほしくない」

彼らとは飲食をともにする機会を多く持ち、遠慮なくアドバイスし合える関係だ。

「やはり蔵は続いてこそ価値がある。でも、この先も何が起こるかわからないですよね。実際コロナ禍も経験し、ここ数年は全国で水害がある。だから、酒づくりをさせてもらえる喜びと感謝の気持ちを存分に胸に刻み、胡座をかくことなく、常に現場に立って維持向上のために今できることを精一杯やる。日本の誇るべき日本酒の本当の価値を理解してもらい、選んでもらえるお酒でありたい。それが伝統文化をつなげていく意味であり、私の尊敬する先輩方から学んだ酒づくりなのです」

CRAFT SAKE WEEK2023での澄川宜史氏
2023年4月に東京・六本木ヒルズアリーナで4年ぶりに開催された「CRAFT SAKE WEEK 2023」では、「チーム十四代」として高木酒造の辰五郎氏とともに最終日に出店しフィナーレを飾った。

澄川宜史の3つの信条

1. ものづくりをするなら現場の人であれ

日々品質の向上と向き合い、自分が納得できる酒質と味わいを追究し続けるというのが師匠、高木辰五郎氏のスタイル。「酒づくりとは菌を扱う仕事ですから、間違いがあれば全滅という危険も隣り合わせ。実は出先では不安でたまらない。現場のほうが心安らぎます」

2. 価値は自分で決めず、飲んだ人に評価してもらう

「つくったものを自らアピールするのは肌に合わない。売ろうとすればするほど価値が下がる気がします。酒器、温度など飲み方や食べ合わせも押しつけたくないですね」。飲んだ人が美味しいと思う自由な飲み方で幸せな時間を過ごしてもらうための酒づくりを行う。

3. 伝えてもらったことを次世代へ伝える

「師匠にしてもらったことを後輩にしてあげられる“後輩にモテる”先輩でいたいですね。それが先人たちへの恩返しですから」。また、人と人をつなげることも大切にする。「そのほうが知恵が集まり、新たな可能性も生まれます。何より楽しいじゃないですか」

澄川酒造のスタッフたち
澄川宜史/Takafumi Sumikawa
澄川酒造場 蔵元杜氏
1973年山口県萩市生まれ。東京農業大学醸造科学科を卒業し、2004年、澄川酒造場の4代目に就任。学生時代に「十四代」高木酒造の高木辰五郎氏に弟子入り。2013年に大水害で壊滅的な打撃を受けるも、1500人の仲間の支援により酒づくりを再開。新酒蔵を建設し、各種品評会で数々の賞を受賞し続けている。
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熱狂人生

TEXT=藤田実子

PHOTOGRAPH=太田隆生

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