2022-23シーズン、所属するセルティックを国内3冠に導き、リーグ得点王&MVPも受賞した、サッカー日本代表・古橋亨梧の独占インタビューをまとめてお届け! ※2023年8月掲載記事を再編
1. 【サッカー日本代表・古橋亨梧①】強さの秘密「謙虚さと頑固さと」
話を聞いた60分の間、9回頭を下げた。
「よろしくお願いします」「ありがとうございます」「それは言えません、すみません」「光栄です」……
この言動は古橋の性格をよく表している。
謙虚で礼儀正しい。話を聞いたのは二度目だが、初めてのインタビューは2022年12月30日のことだった。年末の大変な時期にも関わらず、古橋が言った。
「こんなタイミングにしてしまい、すみません」
お願いしたのはこちらの方であるにも関わらず――。
およそFWらしからぬ性格とも言えた。点取り屋は、破天荒、とか、我が強いとか、そんな「エゴイスト」くらいがちょうどいい、とよく言われる。
対象的な姿に「天狗になったり、調子に乗りすぎた」と思うことはあったか、と聞くと古橋らしい言葉が返ってきた。
「(中央)大学に入って1年目に、全日本大学選抜に選んでもらいました。それまでそういう(代表に選ばれるような)経験がなかったんですが、そのころですかね、監督やコーチたちに『ちょっと調子にのっているんじゃないか』と言われて。
自分では気づいていなかったんですけど、そうだったのかな、と。ありがたかったです、そうやって気づけないことを言ってもらえたので」
どういうことか。
2. 【サッカー日本代表・古橋亨梧②】――「謙虚」な「頑固者」は逆境をどう乗り越えるのか?
どこまでも謙虚で、しかし決して自身を曲げない頑固さを併せ持つ。サッカー日本代表・古橋亨梧の強さの秘密である。
ビッグクラブを含めた移籍の噂が絶えない中で残留を決断した。古橋の持つ判断基準は「嫌なことに目を背けない」である。
「これまで中学校や高校、大学とステップアップをしていくなかで、逃げたくなるようなことはありました。ただ、そこから目を背けないことが大事なのかな、と思っています。
どんな決断をしても、その先で嫌なことはあるんだと思います。だから、失敗してもいいから挑戦する。その挑戦もネガティブに取り組むのではなくポジティブに」
大好きなサッカーを始めたのは小学1年の頃。うまくなりたい、楽しいからとプレーしていた古橋は、中学生に入る前にひとつめの「嫌なこと」を乗り越えた。
「強いチームでもっとうまくなりたい」と思い、京都サンガF.Cのセレクションを受けるも不合格。地元で強豪と言われていたアスペガス生駒へ加入することになる。
「入る前に体験会みたいなものがあったんですが、強いけど厳しくて怖いイメージがあって、行くのが本当に嫌でした。『嫌だ!』って大泣きして……」
小学生の頃にともにプレーしていた仲間たちは別の地元のチームを選んだ。そっちのほうが、楽しくやれるかもしれない。
3. 【サッカー日本代表・古橋亨梧③】――「謙虚」な「頑固者」と日本代表
「(前シーズンの結果が)軽い、と思われたらいやなんで、シーズンが始まる前から個人タイトルを全部取らせてもらおう、と思っていました」
チームの三冠に大きく貢献し、得点王そしてシーズンMVPを獲得したセルティックの古橋亨梧は、2022-23シーズン前に、その躍進を胸に誓っていたことを明かした。
それは現実のものとなり、大きな注目を浴びることになる。
類を見ない「謙虚」さを持ったFWは、それまでのストライカー像を覆している。日本人初の欧州主要リーグでの得点王は、日本サッカー史に名を刻んだ。
それでもまだ、古橋のすごさは過小評価されているだろう。その実力を証明するためには、日本代表の存在が欠かせない。
ただ、その日本代表においては「思い通り」に行かなかった。
カタールワールドカップでの落選はその象徴だった。果たして古橋はこの時間とどう向き合ったのか。
メンバー発表が行われたのが2022年11月1日。古橋は、自宅で落選を見届け、そのままチャンピオンズリーグの試合へと向かった。
4. 【サッカー日本代表・古橋亨梧④】――「謙虚」で「頑固者」はどうやって生まれたのか?
遅咲きと言える古橋は、どうやって自分を変えてきたのか。
そしてなぜ、あれだけ得点を量産できるようになったのか。
ひとつのきっかけがFC岐阜時代にある。
「プロ1年目で大木(武)さんに出会えたことは僕の中ですごく大きかったと思います。きっと大木さんには『俺は何もしてない、お前の実力だ』って言われちゃうと思うんですけど……(笑)」
目標にし続けたJリーグ入りがなかなか叶わない。たくさんのクラブに練習参加するも、獲得のオファーはなかった。
そんな中、これが最後――というタイミングでオファーをくれたのが、大木武が新監督に就任することが決まったFC岐阜だった。
シーズンに入ると大木はすぐに古橋を重用する。
「大木さんは芯がブレない人で、目指すサッカーをとにかくチームに浸透させることに力を注いでくれました。その姿があったから、僕たちも迷うことなく、やり続けることができたと思います。
チームとして結果が出ないときもあったんですけど、『結果は俺が責任を取るだけ。お前たちは自分を信じてやり続けてくれ』と言ってくれた。
2シーズン目の途中に僕はヴィッセルに移籍してしまうんですが、上位争いもできていたし……やっぱり、一緒にできてよかったなと思います」
古橋には、今も大切にしている大木の「哲学」がある。