2022-23シーズン、所属するセルティックを国内3冠に導き、リーグ得点王&MVPも受賞した、サッカー日本代表・古橋亨梧に独占インタビューを敢行。彼の強さの秘密「二面性」をテーマに全四回で配信する。第2回。#1/#3
古橋の判断基準の原点とは
どこまでも謙虚で、しかし決して自身を曲げない頑固さを併せ持つ。サッカー日本代表・古橋亨梧の強さの秘密である。
ビッグクラブを含めた移籍の噂が絶えない中で残留を決断した。古橋の持つ判断基準は「嫌なことに目を背けない」である。
「これまで中学校や高校、大学とステップアップをしていくなかで、逃げたくなるようなことはありました。ただ、そこから目を背けないことが大事なのかな、と思っています。
どんな決断をしても、その先で嫌なことはあるんだと思います。だから、失敗してもいいから挑戦する。その挑戦もネガティブに取り組むのではなくポジティブに」
大好きなサッカーを始めたのは小学1年の頃。うまくなりたい、楽しいからとプレーしていた古橋は、中学生に入る前にひとつめの「嫌なこと」を乗り越えた。
「強いチームでもっとうまくなりたい」と思い、京都サンガF.Cのセレクションを受けるも不合格。地元で強豪と言われていたアスペガス生駒へ加入することになる。
「入る前に体験会みたいなものがあったんですが、強いけど厳しくて怖いイメージがあって、行くのが本当に嫌でした。『嫌だ!』って大泣きして……」
小学生の頃にともにプレーしていた仲間たちは別の地元のチームを選んだ。そっちのほうが、楽しくやれるかもしれない。
「(アスペガス生駒の)監督が『やろう』って言ってくれたんですけど、それでも嫌だ!って喚いていた記憶があります。実際に入ったら、本当にいい人ばかりで、全然怖くなくて、終わった後は絶対にここに入る、って心に決めていた(笑)。
ただあのときも、自分のなかでは後悔しないで、自分で決めようって思っていました」
諦めることはしない。そして失敗をするなら、挑戦して失敗する。
古橋の判断基準の原点のひとつになった。
プロ入り、カタールW杯落選、古橋流壁の乗り越え方
その後の古橋はいくつものカベにぶち当たっている。例えば、プロ入り。関西のバルセロナと言われる興国高校、中村憲剛らを輩出した中央大学と「プロ入り」に近いルートをたどったが、そのプロからは声がかかることはなかった。
「プロに行く、と決めていたのですが、FC岐阜に決まったのは12月でした。いくつもJリーグのチーム練習には参加させてもらっていたんですけど、なかなかオファーはもらえず、プロにはなれないのかな、と何度も思いました」
そして記憶に新しいカタールワールドカップの落選。
「もちろん、つらいことはありましたけど、その都度、周りにいる人たち、僕を知ってくれている人たちの声に支えてもらってきたので、そういう人達の気持ちを忘れないで取り組むことが大事だと思ってきました。
人に頼って今の僕があります。だから頼ることは大切です。でもそれだけじゃないとも思います。悔しい気持ちは、プライドを傷つけられるようなイメージもありますが、折られるプライドも大事なんじゃないかな、って思うんです」
自身も何度も「折られ」てきたから分かることがある。
「折られた中で、結果を出して成功することができれば、よりモチベーションが高くなって、もっと頑張れるし、走れる。それが自信になります。
そういう経験をしてきたから、嫌なことから目を背けないでいることが大事に感じるんです」
Jリーグからオファーが届かなかった時代の自身について「自信がなかったんでしょうね。周りには僕よりうまい人がたくさんいる。なんで僕が出ているんだろうと思っていた」と振り返る古橋は、本当に一歩ずつ「自信」を手にしてきた。
シュートを何度も外した、チームに迷惑をかけた、という実感はプロになる前も、今も変わらずにある。
けれど、その捉え方は大きく変わった。
「(得点王になった)昨シーズンもたくさん外してきたんですけど、それでも仲間が信頼してパスを出し続けてくれた。だから無心で走り続けることができた。その結果として、たくさんゴールが取れたのかなと思います」
昔であれば「外してしまった」自分に自信を無くした。チームメイトを「自分よりうまい人」と考え、思いきりプレーができなかった。
けれど今は違う。相手が自分を信頼してくれる限り、また外してしまったとしても、同じように自信を持ってピッチに臨み、ゴールに向かうことができるようになったのだ。
「だから、もし当時の僕に声を掛けるとしたら、もっと失敗していい、自信がなくてもいい。もっと思い切ってやれ、と伝えたい。それが自信につながるから」
久々に召集された6月の日本代表戦について
自信は、昨年の9月以来の招集となった2023年6月の代表戦について振り返る言葉にも浮かぶ。
エルサルバドル戦、ペルー戦と2試合ともに出場しエルサルバドル戦で1ゴール。無得点に終わったペルー戦も何度もあと一歩、というシーンを作った。
特にペルー戦は、セルティックのサッカースタイルと大きく異なった。必然的に求められるプレーも変わる。
「チームが勝たないといけないとまず思っていますし、その中で僕に求められていることは整理できています。それはセルティックでも日本代表でも変わらない。
(日本代表では)たまにクセで(セルティックのような)プレーが出てしまうときもありますけど……、チームに求められているプレーをしながら、自分の特徴を出すことは変わりません。何より、いろんなサッカーに対応できることでプレイヤーとしていい循環でサッカーができているな、と思っています」
そう冷静に振り返ったあと「日々、楽しく、楽しみながら技術を磨けている感覚です」と笑った。