他者のメッセージが持つ強い影響力は“呪い”だ。私たちはみな、無意識のうちに他者の意見や価値観を取り込み、それによって人生に絶望を覚えたり、言葉にできない生きづらさを感じてしまうことがある。サイエンスジャーナリスト・鈴木祐の新著『社会は、静かにあなたを「呪う」』を一部抜粋。7回目。【その他の記事はこちら】

なぜ、ありのままの自分を隠して、心身の調子がよくなる人がいるのか
矛盾を感じた人もいるかもしれない。
本音を殺して仮面をかぶり続ける者が心身を病みやすいのは、先に取り上げた「感情労働」の研究や、「自己一致」のデータでも見たとおりだ。ところが、その一方では、空気を読んで“お世辞”を言う者が評価されるのは間違いないのだから、社会的に成功するためには自分のメンタルを犠牲にせねばならないように感じるだろう。
しかし、ここで興味深いのは、ありのままの自分を隠すことで、逆に心身の調子がよくなった人も確認されている点だ。
アイルランド国立大学の実験では、1857人のフェイスブックューザーからデータを集め、全員のメンタルの調子を調べてみたところ、「周囲に合わせて自分を変えられる人」は、他人を気にせず感情や欲求を表に出す人よりも、抑うつ症状を抱えるリスクが46%も低かった。同じように約2万3000人を対象にしたメタ分析でも、相手に合わせて態度を変えられる人ほど仕事のモチベーションが高い事実が示されており、自分の欲求や感情を隠したからといっても、必ずしも心を病むわけではないことがわかる。
本音を隠して病む人と病まない人のあいだには、いったいどのような違いがあるのか。その答えは、自分の行動が価値観”にひもづいているかどうか、だ。
たとえば、「常に他者を尊重すべきだ」という価値観を持つ人は、たとえ職場で嫌な上司にお世辞を言わねばならない場面があったとしても、「これは自分の言念の一部だ」と納得して行動できるだろう。あるいは「チームワークは大切にすべきだ」という言念を持つ人は、意見が対立しているようなときでも、「今は和を乱さないほうが正しい」と理解したうえで穏やかな態度を保てるはずだ。
これら二つの例に共通するのは、行動のベースに「自分が大切にしている言念」があるところだ。大事な価値観にもとづいて行動を起こすことができれば、内面と外面の不一致は生まれにくい。ゆえに「自分を待っている」との感覚は発生せず、ストレスも起きにくくなる。社会的に成功する人は、こうした自己調整を無意識のうちに行っているケースが多いようだ。
逆に「本当は嫌だけれどやる」ような状況は、本当の感情を偽りながら他人の言葉に従わねばならない理由を正当化できない。結果として、自分の内面と外面にずれが生まれ、これを私たちは不快感として体験する。
この問題を解決するために、多くの心理療法では「自分なりの価値観」や「自分が社会で成し遂げたいこと」を掘り下げるように勧める。自分の価値観が明確になれば、「なんのためにいま私は本心を隠すのか?」が明確になり、たとえ自分を偽っていても“今の行動に嘘はない”という感覚を保てるからだ。
心理療法の世界でよく使われるのは、次の三つの問いだ。
1.あなたが「人生で最も大事にしたい価値観」は何か?
2.あなたが社会で成し遂げたいことは何か?
3.あなたが「達成感」や「充実感」を感じる瞬間には、どのような価値観が反映されているか?
どのような答えを出すかは、あなたの自由だ。「人の役に立つこと」という答えでもいいし、「常に新しいことをする」を価値観として選んでも構わない。価値観には正解も不正解も存在しないので、自分の感覚にしっくりきていれば問題はない。これと思える答えを思いついたら、その価値観を今の仕事に結びつけてみよう。こちらも、三つの問いについて考えてみるのが基本だ。
1.今の仕事や日々の行動は、その価値観とどれくらい一致しているか?
2.今の仕事が、自分の大事な目標や価値観とズレていると感じる場合、そのズレをどのように調整できるか?
3.自分の価値観を活かすために、これからどんなスキルや知識を身につけるべきだと感じるか?
ここまでの作業が終わったら、あとはそれを軸にして「どう振る舞うか」を考えればいい。そうすることで、たとえ本心ではない行動を取ったとしても、内側では自己の感覚を保ち続けられる。
他人の目を気にするのは、決して悪いことではない。人類の祖先は長きにわたって集団生活を営み、他人と助け合いながら進化してきた生き物だ。人間は他の動物よりも身体能力が低いため、“群れ”で暮らすしか生き抜く術はなかった。そのため、私たちのなかには、常に世間の視線や社会のルールを意識し、そこから外れることに不安を覚える原始のシステムが備わっている。そんな本能に逆らってまで「ありのままの自分」を貫くのは、現実的ではない。
たしかに、その場しのぎで「いい人」を演じ続け、内心とのギャップに苦しむのは健全ではない。が、だからといって本当の自分をさらけ出したところで、「群れ”から弾き出される確率が上がるだけだ。
その点で、自分なりの価値観を定めるやり方は、相反する問題を昇華するためのよい着地点になる。あなたが心から大事にするものさえ曲げなければ、本心を(る行為は、むしろ「自分らしさ」を守ることにつながるはずだ。

経済や幸福、働き方、遺伝や才能――私たちが「正しい」と信じてきた常識は、果たして真実なのか。人気サイエンスジャーナリスト・鈴木祐氏が、膨大な科学的エビデンスをもとに現代社会の“呪い”を解き明かす。思考と行動を縛る思い込みから抜け出し、真に自由になるための一冊。¥1,980/鈴木祐著/小学館クリエイティブ