村上龍は同世代の偉大なる作家だった。残念ながら、編集者の立場からの原稿依頼やインタビューの機会には恵まれなかったけれど、自分は何万人かいる彼の読者の一人だった。読んだ本は手元に残してないけれど、1冊だけ例外でこれは手放さなかった。彼の数ある本の中でとりわけ名作というわけではないのだが。
![村上龍の訃報と、小説『POST[ポップアートのある部屋]』に思うこと](https://goetheweb.jp/uploads/2026/11/1_artshopping111-Large-1200x748.jpeg)
何もかもが表層的な時代に生まれたポップアートがテーマの小説
小説家で映画監督もやった村上龍氏が亡くなった。(以後敬称略)享年74歳。70歳台で亡くなるのは今どき少し早い。残念だ。日本人の平均寿命は男性も80歳を超えているはずなので。多くの小説その他の著作を残した非凡な人だ。
僕は村上龍がデビューしたときからの読者だった。村上龍が1976年に『限りなく透明に近いブルー』で群像新人文学賞、及び芥川龍之介賞を受賞した頃、僕は高校3年生で、特に文学に関心があるというわけではなかったけれど、同級生のK君が「村上リュウという作家を知ってるか」というので、「知らない、村山リウという作家はいるね」と答えた。K君は「村山じゃない、村上だ」と言った。
K君も僕も成績はそれほど悪くはないけれど、受験勉強に集中できる性格ではなく、K君は文学や映画の方に気が散っていたし、僕も美術や写真の雑誌ばかり見ていた。けれどもK君はあっさりと現役で早稲田大学に合格してしまい、将来は映画監督になる、と言っていた。僕は1年浪人して大学に入った。
![村上龍の小説『POST[ポップアートのある部屋]』](https://goetheweb.jp/uploads/2026/11/2_artshopping111-Large-1200x853.jpeg)
K君が教えてくれたので村上龍を読もうと思った。当時はネットでググるとかは当然なかったから、本屋に探しに行ったと思うけれど、そこに『限りなく透明に近いブルー』があって、たぶん帯とかに「群像新人文学賞受賞」とか書いてあったのだろう、だったらその本を買うよりも、図書館に行って『群像』のバックナンバーを探して読んだらタダじゃないかと思って、図書館に行ったら、『群像』に受賞作全文掲載ということで読むことができた。お小遣いの限られた高校生はそういう知恵は働く。
『限りなく透明に近いブルー』はいろいろな意味でショッキングな小説だった。自分の兄貴くらいの年齢の美大生、イコール村上龍なのだろうが、その日常みたいなものに驚いた。文学に限らず、芸術一般に言えることだけれど、その作品といつ出会うかでその人にとっての価値は違ってくると思う。芸術だけではなくて、いつ(何歳のとき、どういう世界情勢のとき)、どこに旅するかとかもそうだし、人との出会いももちろんそうだ。高校生にとって、あの小説は刺激的すぎた。考えてみるとその頃、どんな小説を読んでいたかというとたぶん、五木寛之とかを文庫で読んで(つまり発表からだいぶ経って)、いつか自分もシベリア鉄道に乗ってヨーロッパまで行ってみたいとか考えていた気がする。
そういえば、雑誌の『GORO』か何かで、五木寛之と村上龍の対談があって、それも読んだ気がする。対談自体は期待した面白さはなかった。新人の村上龍が当時のベストセラー作家だった五木とどんな話をどんな接し方でするかに興味があった。五木よりも村上龍が先に逝ってしまったのだなぁ。
![村上龍の小説『POST[ポップアートのある部屋]』](https://goetheweb.jp/uploads/2026/11/3_artshopping111-Large-1200x853.jpeg)
なので、『限りなく透明に近いブルー』は単行本を買わないで読んだ。神保町の書泉グランデで村上龍のサイン会があるというので見に行ったのを覚えている。すでに読んでしまった僕はもう単行本を買う気にはなれず、本を買った人がサインしてもらっているところを離れて見ていた。握手をしてもらって感極まっている大学生ふうの男性や一言二言話をして、やはり感激して涙を浮かべている女性もいた。小説家というのはそういう存在なのかと知った。
1970年代後半の『群像』は優れた作家を次々に世に送り出していた。村上龍が76年に新人文学賞を受賞し、翌77年には評論部門で中島梓(故人)が受賞、その翌78年は中沢けいが新人文学賞受賞、その2年後、村上春樹が『風の歌を聴け』で新人文学賞を受賞した。1981年には高橋源一郎が『さようなら、ギャングたち』で新人長篇小説賞を受賞している。
![村上龍の小説『POST[ポップアートのある部屋]』](https://goetheweb.jp/uploads/2026/11/4_artshopping111-Large-1200x878.jpeg)
裏には村上龍の自筆文字で恋人への別れを伝えるような文面が。
そんなわけで、村上龍の書いたものをほぼリアルタイムに読んできた。全部を読んでいるわけではないが。ベストセラー的な小説は人から借りて読んだり、自分で買って読み終わったものは人にあげてしまったり、他の本や雑誌と一緒に古本屋に取りに来てもらったりして、手元には残さなかった。なぜなら、小説はあまり読み返したり、調べものに使ったりしないし、また読みたくなったら、ネットなどで買い戻しやすいし、図書館にあったりするから。それが、美術書とかだと買い戻すのが難しかったり、見つけてもとても高かったり、どこの図書館にもあるものでもない。そういうもの(将来的入手困難本)を自分の書庫に残すスペースを確保するために、小説などには失礼してもらうというわけだ。
なので、今回、村上龍の訃報を受けて本棚を探したが、彼の本はたった1冊しか持ってなかった。それがこの『POST[ポップアートのある部屋]』だ。
![村上龍の小説『POST[ポップアートのある部屋]』](https://goetheweb.jp/uploads/2026/11/5_artshopping111-Large.jpeg)
講談社文庫版もあるがともに版元品切
12編の短編がまとめられている小説集。各話に1つのポップアートとそれがある情景が描写され、そこにちょっとヤバかったり、ミステリアスだったりのストーリー、そしてたいていは官能的。主人公は一定していて、アメリカの、ある日突然売れて有名になってしまった小説家である。つまり、村上龍の自伝的キャラクターに架空のキャラクターを加えた人物が主人公だ。彼を取り巻く女たち、それは「女」だったり、「妻」だったり、「情婦」だったり、「愛人」と呼ばれている。そこに、画廊主だったり、富豪の老人だったり、殺人犯や女優志望の女などが現れ、舞台を彩る。
何冊か読んだ村上龍の小説の中でこの本だけを残した理由は、テーマがポップアートだったからだ。それと造本自体がアート的だったから。内藤忠行の写真、真鍋立彦や中山泰のイラスト、奥村靫正のコラージュ、WORKSHOP MU!のアートワークの中に小説が埋もれている造り。ちなみにアートディレクションと装丁を手掛けたのは奥村靫正。モノクロとカラーのページをうまく配したり、時おり、ミュージアムショップで買える美術作品のポストカードが挟まっているような構成になっている。
![村上龍の小説『POST[ポップアートのある部屋]』](https://goetheweb.jp/uploads/2026/11/6_artshopping111-Large-1200x874.jpeg)
村上龍の父親は高校の美術教師だった。そして、村上龍は美術大学を中退している。「まえがき」にこう書いている。
「美術教師だった父の本棚に、アメリカン・アートという一冊があって、確か小学校の五年か六年だったと思うが、初めてリキテンシュタインの絵を見た。
ポップアートは、私の心を打つわけでも揺すぶるわけでもなく、また内部に染み入ってくるわけでもなかった。
ただ表面に張り付いたのである。
スタンプのように、張り付いたのだ。」
ここに時代の気分がある。20世紀の終わり頃の、あの何もかもが表層的な時代の気分を舞台装置として生まれた小説なのだというのがよくわかる。コンピュータはまだほとんどなくて、みんな一様にDCブランドの服を着ていた。バブル景気に突入し始めていたのである。
![村上龍の小説『POST[ポップアートのある部屋]』](https://goetheweb.jp/uploads/2026/11/7_artshopping111-Large-1200x856.jpeg)
そして「あとがき」に今さらながら誤植を見つけてしまった。作品が登場するポップアーティストたちに村上龍が呼びかけてる。
「マンディ、ロイ、クレス、ロバート、ジョージ、ジェームス、トム・・」
「マンディ」は「アンディ」の間違いだよ。ワープロやコンピュータじゃなくて手で書くから「ア」と書いたのに「マ」と思われたんでしょう。だって、ここ、アンディ・ウォーホル、ロイ・リキテンシュタイン、クレス・オルデンバーグ、ロバート・ラウシェンバーグ、ジョージ・シーガル、ジェームス・ローゼンクイスト(ここも「ジェームズ」とした方がいい。本編ではそうなってる)、トム・ウェッセルマンをファーストネームで呼びかけているんだからね。
そういえば、この本を買ったときのレシートが本に挟んであった。1900円。こんなにカラーページが多くて、紙が厚くて、ポストカードなどの仕掛けがあって、しかもハードカバーで200ページ以上もある本がこの値段で買えた。消費税はまだなかった時代。虎ノ門書房田町店で1986年4月19日に買ったとわかる。今調べたらこの日は土曜日だった。そうだ、僕はその頃、港区三田の、自分が卒業した大学の近くに住んでいたんだ。
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

