森の中だろうか、動物がいて、おもちゃがあって、何やら楽しげな世界の広がる絵、あるいは彫刻、インスタレーション。工作少年が自分の好きな世界を愉快に構築したようにも思えるし、実際そうかもしれない。一方で、人間と自然は実は切り離すことはできないんだよと言っている気もする。

都会に頭部が植物の不思議な人物が出現
ショッピングやビジネスの人々が行き交う東京ミッドタウン日比谷。広大な緑豊かな土地に隣接し、心地よく洗練され、高度に機能的なこの街で、頭部が植物になった不思議な人物たちをかたどった立体作品に出くわす。
平子雄一の展覧会『HUMAN AND NATURE』がそんな都市の真ん中で始まっているからだ。基本的にカラフルな作品。展覧会はまるで工作好きの少年の部屋に迷い込んだようでもある。大きな絵やたくさんの立体作品。展覧会場だけでなく、屋外にパブリックアート的に展示されているのでこの街に来た人はそれを目にする。見かけた人はギョッとするか、何かまた新しいキャラクターが生まれているとするのか、勘のいい人は人間と植物の共生を言ってるのかなとか、森林を守れとかのメッセージを現代人に発しているとか思うのだろうか。

記号化された「環境保護」や「SDGs」の言葉が溢れる現代において、平子が描き出すのは、人間の都合に合わせて高度にコントロールされた都市の自然が孕む「矛盾」と「割り切れない境界線」である。平子の作り上げるモチーフはそんなわけで、人のような身体に植物の頭部をもっているものが中心的だ。しかも人間の等身大に囚われずサイズはさまざまな大きさである。これはかわいいものなのか、あるいはユーモアなのか、不思議の世界に踏み込んでしまったのか。人間と自然について、何か言いたいことがあるのだろうかと反応し、さらに作品について知りたいと思う。それもわかる。
作者の平子雄一は植物や自然と人間の共存について、また、その関係性の中で浮上する曖昧さや疑問をテーマにし制作している。観葉植物や街路樹、公園に植えられた植物など、人によってコントロールされた植物を「自然」と定義すること、そんな態度に彼は違和感をもってきた。彼は現代社会における自然と人間の境界線を、作品を通して探り続ける。彼は1982年、岡山生まれ、東京を拠点に活動。2006年にイギリスのウィンブルドン・カレッジ・オブ・アートの絵画専攻を卒業した。

平子が続けてきた制作、作品を見ていて、フランスの哲学者・人類学者・社会学者、ブルーノ・ラトゥール(1947年-2022年)の思想を思い浮かべてしまう。
ラトゥールは、人間もノン・ヒューマン(非人間)も対等な主役(アクター)として世界を共につくっていると説いた。人間はしばしば「自然」を都合よく客観的な管理対象として切り離そうとするが、「自然」と思い込まれているものも、実際に都市の設計図に組み込まれてしまった時点で、それは「純粋な自然」でも「純粋な人間社会の産物」でもない。人間は純然たる「主体」ではなく、ノン・ヒューマン(非人間)もまた純然たる「客体」ではない。ある行為や作用は、主体にも客体にも還元できず、さまざまな準主体、準客体の連関のなかで生まれているのである。
つまり、両者が混ざり合った「ハイブリッド(混成物)」になっているということ。近代人はハイブリッドを作り続けながら、頭の中では「自分たちは自然と社会を分けている」と錯覚してきた。この矛盾した状態を指して「私たちは一度も近代人(モダン)であったことなどない」とラトゥールは、著書『虚構の「近代」―科学人類学は警告する』の中で説いている。平子は作品によって、我々が目を背けているその「割り切れない境界線」を突きつけている。

人間(ヒューマン)と自然(ノン・ヒューマン)が切り離せないひとつのネットワークとして結合した、「アクター(行動主体)」そのものの具現化だ。人間が自然を一方的に支配しているのではなく、自然もまた等しく世界を構成する主役であるということを、そのハイブリッドな身体が雄弁に物語ってくる。それを平子が絵やオブジェで見せてくれているではないか。
そう思うと、平子の作品は、かわいさや不思議さを展開してくれているようでいて、実は極めて今日的なアートとして実践しているように見えてくる。都市と森、日常と想像の境界を歩きながら、我々がもう一度地球というネットワークに「着陸」するためのヒントが、この展覧会、そこで展開される絵画やオブジェ、インスタレーションから探れるだろう。

平子はこんなことを話してくれた。
「花とか自然を見て、いいものっていう風に捉えること自体、人間的だなと思うんです。 生まれたばかりの子供は、植物やお花を綺麗とか、いいとか思わないんじゃないかな。家族や身近な人たちから、お花って綺麗だよねとか、自然っていいよねって、そういう情報を与えられてるうちに、ポジティブな感想が作り上げられていく。それ自体には意味があるかもしれないし、その場で好意的に連鎖してるだけかもしれない。自然はいずれにしろ付き合っていかなくてはならない相手ではある。
都市にいるとあんまり感じませんが、世界地図のほとんどは自然でできているので、それとどう対峙するのか、融合していくのか、どこかの段階で時代が変わりながら、落とし所を見つけていくんですかね。それを人に任すのではなく、自分たちでもちょっとずつ考えていくと、違う動きが発生したりするかもしれないし、そういうのもちょっと匂わせたいなと。
僕は別に自然を崇めたり、いいものだという風にだけ言ってるのではありません。もちろんいいところもあるし、なんか厄介なところもあるし、全部含めて、その関係っていうのは続いていくので、考えを放棄しないようにするっていうのは大事だと思っています」

平子雄一「HUMAN AND NATURE」
会期:2026年10月18日まで
会場:東京ミッドタウン日比谷 6階 ホール
住所:東京都千代田区有楽町1-1-2
休館日:無休
入場料:窓口一般 ¥2,200、オンライン(当日購入可能)一般¥2,000
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

