鬼才・日比野克彦が若くして活動を始めた1980年代、時はまだ昭和だった。1989年になってやっと平成になる。時代の気分を反映したり、自身の存在をアピールするような作品を次々に生み出した。フランシス・ベーコンからホックニーに連なる表現主義傾向も見えるし、コンセプチュアル・アートやミニマル・アートの次の流れ、アンゼルム・キーファー、ジャン=ミシェル・バスキア、ジュリアン・シュナーベルらの起こしたニューペンティング運動が日本に飛び火したとも見える。

大量消費時代の流通を担い、宣伝メディアでもある存在
日比野克彦は1980年代の早いうちに現れた。生み出す作品も、のちに演劇やテレビなどに進出する彼はスターの出現であり、現在に至るまでスターであり続けている。
1980年代はどういう時代だったかをごくごく簡単に説明してしまうと、「具体美術教会」や「もの派」が70年代でいちおう区切りがついて(もちろん、その流れの個人の活動はずっと続く)、目立った大きな芸術ムーヴメントは見えなくなるけれども、百貨店など流通の企業が主導するムーヴメントが重要になってくる。大きな推進力となったのは西武百貨店とパルコ、そして、伊勢丹だった(いずれも当時の名称)。
さらに、雑誌がカルチャー(特にカウンターカルチャー、サブカルチャーと呼んだけれど)を牽引していく。渋谷のタウン誌で投稿雑誌的体裁の『ビックリハウス』が1975年に創刊、『ポパイ』が1976年(当初不定期刊)、『ブルータス』(当初月刊)が1980年である。
つまり、描いたものが百貨店のディスプレイや広告物を飾ったり、雑誌に掲載されたりして、見る側に届けられる。そういう絵は一般的にイラストレーションと呼ばれ、最初は美術収集家に納めるべきものではなくて、百貨店宣伝部や広告代理店、出版社などによってオーダーされ、提出されるものだ。デパートではイベントスペースや館内にある「美術館」で展示が行われたりもした。
ついでに言っておくと、ハーバード大学教授の社会学者、エズラ・ヴォーゲルによる『ジャパン・アズ・ナンバーワン』が1979年(英語版原著、日本語訳版とも)に出版され、日本人の自覚的立ち位置みたいなものも変わっていった。その後、90年代初頭のバブル経済崩壊へと突き進むわけだが。
そんな80年代、東京藝術大学在学中にデビューした日比野克彦。1982年、《PRESENT AIRPLANE》で第3回日本グラフィック展大賞を受賞、ダンボールという身近な素材を用いた作品によって一躍注目を集めた。飛行機や船、日用品、楽器、サッカーなどがモチーフであり、子どもの工作の素材にもしばしば用いられるダンボールということで、底抜けに明るいポップな表現のように語られるが、この素材は角度を変えれば、大量消費時代や流通に不可欠で、表面に商品名などを印刷されるそれはそもそも宣伝メディアであることを宿命づけられている。
今回、平面作品、半立体、立体の作品が展示されているが、額にまでペインティングしているこれら一連の作品を見ていこう。これは1984年に朝日出版社から出た「週刊本」の中の1冊である、週刊本3日比野克彦『HIBINO SPECIAL』のためにつくられた作品群、それの原画だということだが、展覧会では額装されていて、その額にもペイントが施されている。

本には50点の作品が載っている。まず、左のページに文章があって、次の見開きにはそれを元にした絵がカラーで載っていて、まためくると関係のある絵が右ページに載っている。そして、対向の左ページは次の絵のための文章が載っている。つまり、墨1色のページと4色刷りのカラーページが見開きごとに交互に来る。
例えば上のプールの絵だと「水を仕切ったら競いたくなった。」そして、この絵。で、めくると飛び込み台の絵。展覧会ではその文章が絵の下に付けられている。まず、文章があって、それをきっかけにして絵を描いたのだそうだ。
日比野は展覧会オープン記念のトークでこんなことを言っていた。
「作品っていうのは、モノじゃなくて、作者の出来事が結果として、出来事としてあるわけなので、もしなんか、ある事柄に関心を持ってくれる人がいたら、その出来事を共有してもらって、こういうものの中から生まれてきて、こういうものはこういう時代があって、その時、突然というか、そのそういう経緯の中で生まれてきているっていうところを共有したいなと」
トークの相手を務めた美術批評家の椹木野衣は 「作品の中に書いてあるローマ字も読むようにしてるんです。そこには物語とも、日比野さんの心象風景ともつかない不思議な歌が流れています」

「はさみには負けるなよ(わらばん紙)。」
「ショーウィンドーの中でみんないい顔をしている。」(書籍掲載の文章。以下同)
Photo courtesy of Misa Shin Gallery
日比野はなぜ、ダンボールに描き、ダンボールでオブジェを作るのだろうか。東京藝術大学2〜3年生の時、講師だった画家・有元利夫とのエピソードがある。
「大学2年生くらいまでは、皆と同じように画材屋で画材を買っていましたよ。
わら半紙に下書きをスケッチして、それが出来上がると
一枚500円くらいの紙やボードに写し取って仕上げていく。
皆大体そういうやり方で描くのですが、当時講師だった有元利夫先生に
『わら半紙で描いた方が日比野らしいよ』と言われたんです。
えーっ、わら半紙の方がいいのか!(笑)」
(『フィランソロピー No. 269』2022年10月号、公益社団法人日本フィランソロピー協会、2022)
学部4年夏、ダンボールとのエピソード
「絵を描くための真っ白い紙を前にすると、
自分の中の時間が止まってしまい、イメージが動かなくなる。
でも、本来、絵を描くための紙ではないダンボールには、
時間の流れや風化を感じることができた。
だから、そこに自分のイメージを素直に表現することができたし、
同時にこの素材自体は自分の求めていた色や質感も備えていた。」
(『KATSUHIKO HIBINO』小学館、1993)
以上は、水戸芸術館現代美術センター「日比野克彦 ひとり橋の上に立ってから、だれかと舟で繰り出すまで」公式カタログ再録したものから引用。表記の不統一など修正した。

「少年はいつも動かない。世界ばかりが沈んでいくんだ。」
会期:2026年8月29日(土)まで
場所:MISA SHIN GALLERY(東京都港区南麻布 3-9-11 パインコーストハイツ 1F)
開廊時間:12:00〜19:00
休廊日:日・月曜、祝日
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。













