写真による現代美術作品。突き詰めたコンセプトと極め尽くした銀塩写真技術で他の追随を許さない杉本博司による写真作品。画面の上半分を空、下半分を海という構図で世界の海を撮影した〈海景〉シリーズや映画1本を最初から最後まで長時間露光で撮影した〈劇場〉シリーズを見たことがあるだろう。その創作の秘密を明かした書籍がリリースされた。

制作の裏側を全て見せた「スギモトノート」
東京国立近代美術館で現在、杉本博司の写真作品で構成する展覧会としては21年ぶりの「杉本博司 絶滅写真」が開催されている。「絶滅」とはやや物騒だけれど、これには何重にも意味が掛けられているようだ。
一つはもうほとんど使われなくなりつつある銀塩写真(フィルム写真)が終わる(=絶滅)ということ。あるいは、気候変動や核戦争の恐怖などによる人類絶滅の予感。そして、杉本自身の創作活動の終焉という具合である。
展覧会では杉本の活動初期の〈ジオラマ〉シリーズ、〈劇場〉シリーズから始まり、そしてファンの多い〈海景〉のスペクタクル的展示、〈建築〉、〈スタイアライズド・スカルプチャー〉(ファッション)、〈肖像〉などのシリーズからそれぞれ代表作にあたるものが展示されている。大きなプリントで見せられる各シリーズは圧巻である。
この展覧会は美術館の1階の企画展のギャラリーで開催されているのだが、同じ時期に美術館3階の所蔵品ギャラリーでも同館所蔵の杉本博司作品〈劇場〉〈海景〉が全13点サテライト展示されている。1970年代〜80年代に焼かれた貴重なヴィンテージプリントも含まれる。

そしてその所蔵品ギャラリーで大事なのが、杉本が作品の構想を練ったり、撮影現場での記録、フィルム現像のデータ、引き伸ばしの際の画面のどの部分を焼きすぎないようにするか(覆い焼き)あるいはどの部分を濃く焼き込むか(焼き込み)のポイントや手順を記録したノートが展示されていることだ。
しかも、実物のノート4点がケースに入れられて展示されている傍で、ノートのレプリカも2点置かれていて、全てのページをめくって見ることができるという画期的な展示なのだ。ちなみにノートはかつて一部の見開きが数点、雑誌に掲載されたことがあるものの、実物を公開するのはこの展示が初めてである。
アーティストはその制作の裏側を秘密にする人の方が多いと思うのだが、杉本は何一つ隠さずに全て見せてくれている。これはやり方を公開したところで、簡単には杉本の技術に追いつけるわけではないという自負があるからだろう。また、ノートを見るだけでは書いてあることがそうそう簡単に知れることはない。
今回の展覧会、そしてこの所蔵品ギャラリーでの展示のタイミングでこの杉本が書き綴った「スギモトノート」について杉本の話を聞き書きした本が出版された。『スギモトノート 銀塩写真技法』がそれである。

本書は三部構成となっていて、まず、第一部が杉本による長めの序文となった「序 そして私は狂獣となった」、第二部が「聞書 名作シリーズの暗室を覗く」、第三部が「対談 豊饒の海を廻って(杉本博司×原瑠璃彦)」である。
第一部は少し不思議なセクションタイトルだがこれは、原稿の締切や校正の返却期限が「今日中、今日中」と迫ってきて、自分は「狂獣」と呼ばれている気になっているというもの。つまり、杉本一流のダジャレである。そんな地口の類はまた別の勢いでも続く。回顧展をやれと急かされた杉本は思う。
「私の意思は解雇され悔悟の念は残るが介護は不要、私は回顧はしたくないが懐古はしたい、昔はよかったのだと」
そんな始まりをするこの第一部だが、ここでは杉本が、作家となる前後から書き始めたノートについてまとめておく機会を得て、それを読み返し、振り返ることになった。ノートの主要部分は撮影や暗室処理のデータを書き留めたものだが、それ以外にも作品のコンセプトを固める思考実験や手作り家具の設計図や友人や家族、当時のガールフレンドに宛てた手紙の下書きなども書き留められている。
作家として売れる前の10年ほどを一緒に過ごした亡き妻のこと、特に気が合い親しく付き合った友人、元ジャズベーシストで著述家、翻訳家、セラピストの吉福伸逸や彫刻家の三木富雄のこと、そういう鬼籍に入った人たちのことを書いている。

吉福はミュージシャンを辞め、カルロス・カスタネダの『ドン・ファンの教え』と出会い、米国西海岸を中心に巻き起こったカウンターカルチャーの渦に身を投じ、サンスクリット語などを学んだ。そんな彼と杉本は出会うことで、日本にいたときは見向きもしなかった仏教や東洋神秘主義に興味を持ち始める。吉福に宛てた手紙の控えが杉本に当時を思い出させる。
第二部は本書のメインとも言えるパートで作品制作のための記録である。作品を一つ一つ生み出すにあたって、撮影の記録、フィルム現像、印画紙への引き伸ばし、それらのデータを記録しておく必要があり、ノートに書き留めていた。それを読み解き、杉本に質問し、原稿にまとめる作業を僕がやらせていただいた。
撮影について具体的に言うと、杉本が使う大判カメラではフィルムはシート状で、一つのホルダーの表と裏に1枚ずつ入れ、ホルダーを裏返すことで2カット撮影できる。撮影する際は基本的に同じ露光(絞り、シャッタースピード)をかける。ホルダーを交換するなどして、シャッタースピードまたは絞りを変えても撮影しておくがそれぞれの数値を記録しておかなければならない。
フィルムは1枚ずつ現像できるので、まず1枚現像し、ネガの濃さ(現像の進行具合)を確認し、2枚目の濃さをどうするかを決める。現像液の温度を上げれば現像はより進行し、下げれば進みにくくなる。また現像時間を変えることでも調整できる。長く現像すればネガは濃くなり、短ければ薄い。そのために現像液の温度、現像時間を記録する必要があった。
そうして得た最良のネガから今度は引き伸ばしの作業に進む。人間の目は明るいところ、暗いところに最適に反応し、見る対象に向かい、都合よく適応しながら見ていくが、フィルムと印画紙は人間の目のように都合よく対象(被写体)を見ない。冷徹だ。なので、光が強すぎて、明るくなり過ぎるところはそれを抑え、光が足りずよく見えなくなってしまうところはそれを見せる工夫をしなければならない。
それらの作業を焼き込み、覆い焼きというのだがそのことについて実に詳細にノートに記してある。これは杉本のような作家の場合、エディションと言って、一つのネガからそれぞれ例えば25枚の作品を生み出し、それを販売するという形式をとっているので、均質なプリントをエディションの数だけ制作しなければならないためである。これが広告や編集など最終的に印刷物にするための写真原稿として提出する商業写真家なら、ベストなものを1点作ればいいだけであるが、作家はその点が異なるため、詳細な控えが必要なのだ。
他にも銀塩写真にまつわるテクニックがノートには詰まっていて、それを解析することで、この絶滅していく技術について、書き留めておきたいと考えた。しかも銀塩写真の技術を最も高度なレベルに押し上げた杉本という作家のノートと本人の話として。
しかし、話は意外にもさまざまに脱線する。〈海景〉を撮るために詳細な地図を求め、方角を見て、その先に島などないか確認し、等高線を読み、地形をイメージするのだが、現地で最終的に大事なのは指を舐めて頭上に掲げ、風向きを知ることだとか、最寄りの空港にレンタカーのカウンターが無かったりすると話にならない。ホテルなど無い町に行ったときに泊まる場所をどう確保するかなども語ってくれている。

第三部は庭園、能・狂言などをテーマとする日本文化の研究者である原瑠璃彦との対談となっている。話は洲浜、三島由紀夫、沖ノ島、春日社勧請へと進んでいく。
さて、本書『スギモトノート 銀塩写真技法』はおよそ200年ほどという意外にも短かった(あるいは長かった?)銀塩写真の技術の頂点を極めた職人である杉本の記録、そして一人の美術作家である杉本が作品を世に生み出すまでの思考や葛藤の一部を聞き書きしたものとなった。杉本作品の鑑賞にあたっての極めて有効な補助線を引いてくれることになるだろう。
杉本博司 絶滅写真
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
会期:~2026年9月13日(日)
休館日:月曜(ただし7月20日は開館)、7月21日(火)
開館時間:10:00〜17:00(金・土曜〜20:00)
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。





