現代美術はじめ、建築はもちろん、能や人形浄瑠璃など古典芸能のプロデュースなど多方面で活動をする杉本博司。作家としてのキャリアの始まりは写真だ。その作品を集めた大規模個展がもうすぐ東京国立近代美術館で始まる。1980年代から杉本の活動を追ってきた筆者が綴る。

1980年代の杉本博司
初めて杉本博司の作品を知ったきっかけは前回も書いたが、1988年。僕は当時、『ELLE JAPON』の編集部にいて、アート情報のページなどを担当していたときだ。フランスの『ELLE』の日本版『ELLE JAPON』は現在はハースト婦人画報社が版元だが、当時はマガジンハウスが日本版出版権を取得していて、月に2回発行する女性誌だった。
展覧会情報記事に使うための作品画像として、紙焼き写真で〈ジオラマ〉と〈劇場〉が送られてきた。その2点を見ただけでこの写真家が今までに知っていたどの写真家とも違う独自の作品を作る人だと感じたし、衝撃を受けた。
その段階で僕はすでにニューヨークのアメリカ自然史博物館に行ったことがあり、そこでジオラマを見ていたので、杉本の、至近距離で撮られたシロクマ(Polar Bear)の写真を見ても、それは野生ではなく、博物館のジオラマを撮ったものと見抜けたし、本物のシロクマを撮るよりも実は深いコンセプトがあることに気づいた。
スクリーンが白く飛んで空白になっている〈劇場〉についても、上映中の映画館では映画だけが明るく、長時間露光写真を撮影すれば、確かにこういうふうになるだろうと想像がついた。僕自身、中学生の頃から自分専用の一眼レフカメラを買ってもらって写真を撮っていたから、シャッタースピードと絞りの関係などは知っていたし、自宅に暗室を作ってもらって、現像、引き伸ばし作業もやっていた。
カメラ雑誌もときどき読んでいて、何人かの写真家の真似をした写真を撮ったりもしていて、写真の知識はそれなりにあった。そんな自分だったから、杉本の作品はそれなりに理解できたし、これは只者ではないと直感したのだ。
そのときの杉本の写真展は佐賀町エキジビット・スペースで開催された「SUGIMOTO 杉本博司写真展」だ。杉本はそれ以前も日本国内では南画廊やツァイト・フォト・サロンで個展を開催したことがあったが僕はそれは見ていなかった。

この展覧会を『ELLE JAPON』の「アート欄」で記事にしようと思い、写真評論家の飯沢耕太郎さんに寄稿依頼をしたことも前回の記事に書いた。飯沢さんと一緒に展示前の作品を見に行った。そのときが僕が初めて杉本作品の実物を見たときだ。

この展覧会のタイミングで杉本にとって初めての作品集『SUGIMOTO』が出版された。B4変形、100ページ。4,800円。〈ジオラマ〉〈劇場〉〈海景〉のシリーズが収められている。

トリプルトーンの印刷を駆使した美しい写真集である。トリプルトーンというのは、おそらく、スミ(黒)版と特色のグレー2種類を使った3色刷りということだ。

ニューヨーク近代美術館(MoMA)には若手作家がポートフォリオを預け、ときに作品を買い上げる制度があったが、杉本はこの作品を買い上げてもらうことができた。当時、MoMAの写真部門の長は伝説の写真キュレーター、ジョン・シャーカフスキーで彼の申し出によって作品が買い上げられた。

〈劇場〉のページ。〈劇場〉は白と黒の幅が広いので、印刷の再現には〈海景〉とはまた違う難しさがあったはずだ。作品では真っ黒に見えるところでも僅かに階調が残り、ツブれていない。それを印刷でどこまで再現できるか、である。

海景の微妙なトーンを印刷で再現する試みにも頭が下がるし、作品はすべて右ページにだけ印刷するという徹底ぶり。左ページは特色が敷かれ、ページ中央に作品名が入る。
この写真集もソフトカバー、100ページで4,800円というのは、確かに美しい印刷であってもなかなか高級だったに違いない。美術館での展覧会では、たぶん、ずっしりした展覧会図録が2,000円するかしなかったくらいだと思う。
そして、この写真集には「限定版」も企画されていて、通常版がソフトカバーであるのに対して、「限定版」はハードカバーで、8×10サイズのオリジナルプリントが1点ついていた。8×10サイズといえば、撮影時のフィルムと同じサイズ、つまりコンタクトプリント(密着焼き、ベタ焼き)である。
トップの写真、同じ写真集が2つ写っているように見えるが、左が限定版、右が通常版だ。ハードカバーなので表紙が本体より少しはみ出して大きくなる。その分、大きい。

杉本博司のオリジナルプリントが8万円!? というのは驚きだろうがそうだった。実際には写真を美術品としてコレクションするという人はまだまだ少なくて、限定200部という予定だったが(結構多い限定版だ)、結局1桁台の売り上げだったそうだ。つまり企画者の目論見は外れたことになる。今だったら、8万円ならゼッタイ買うという人はたくさんいるだろう。
実は僕は買っていたのだ(エッヘン!)。

日本海の隠岐の海。後鳥羽上皇が承久の変で敗れて流されたのが隠岐で、杉本はその海を撮りたかったのだという。後年、杉本本人に聞いたのだが、コンタクトプリントは通常のプリントよりもかなり手間がかかったということである。
ちなみに最近のオークションでの杉本作品の価格を調べると、2026年3月14〜15日に開催されたSBIアートオークションで、48.5 × 60.2cmのサイズの〈劇場〉シリーズ《Metropolitan LA, Los Angeles》1993年が5,060,000円(手数料込)で落札されている。

展覧会は〈劇場〉と〈海景〉だったのだが、写真専門ギャラリー、ツアイト・フォト・サロンでは〈ジオラマ〉シリーズの展覧会が同時期に開催された。
そういうわけで、1988年、30歳のときに8万円の大枚を払い、杉本作品を入手したのだが、これが僕が手に入れた美術品第一号だった。
僕は杉本作品に出会ってから17年後の2005年『BRUTUS』で特集「杉本博司を知っていますか?」を編集することになる。「1988年から杉本作品が好きでした。だからプリント買って今も持っています」ってのは取材交渉のときに効きが良かったと思う。まあ、そのために買ったわけではないけど、好きだった証拠にはなったかもね。
掲載した杉本博司作品はすべて © Hiroshi Sugimoto / Courtesy of Gallery Koyanagi
杉本博司 絶滅写真
会場:東京国立近代美術館 1F企画展ギャラリー
会期:2026年6月16日(火)~9月13日(日)
休館日:月曜(ただし7月20日は開館)、7月21日(火)
開館時間:10:00〜17:00(金・土曜は10:00〜20:00)※入館は閉館の30分前まで
Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。



