2023年1月の多発性骨髄腫罹患判明から3年が過ぎた。“余命7年”となった岸博幸の現在の体調、そして、衆院選に立候補せず、応援に徹した理由について語ってもらう。1回目。

左足に血栓ができて歩くのがしんどかった
月に1回病院で注射と点滴を受け、十種類近くの薬を毎日服用する。そんな治療をずっと続けていて、それなりに血液の数値は改善して顔色も良くなったけれど、今の体調は正直あまり良くない。それに加え、2025年の11月から左足の血栓に悩まされていた。
まず、ふくらはぎを中心に左足のあちらこちらが痛くて、歩くのがしんどい。左手の掌が親指付近を中心に頻繁につるようになったし、左の首筋がすごく痛くなることもある。つまり、左半身全体にいろいろと問題があり、仕事がちょっとしんどい時もあった。
血栓を放っておくと、それが静脈にのって肺や心臓に飛び、大変なことになるらしい。だから、抗がん剤の量は一時的に減らし、血栓を溶かす薬を処方されている。今は朝と夜、6種類ずつ薬を飲んでいるけれど、その副作用なのか、なんとなく体がだるい。
西洋医学は、数値に基づいて薬を処方する。だから、僕の症状を考えれば、複数の薬を服用しなければならないことは理解しているし、親身に対応してくれる主治医にも感謝の気持ちでいっぱいだ。ただ、病気をやっつける薬というのは、それなりに強いのだろう。多発性骨髄腫を患って3年経ち、それなりに弱ってきた僕の身体は受け止めきれず、だるさや不調につながっているのかもしれない。
応援演説に駆け付けた候補者は全員当選
2026年1月23日、通常国会の冒頭で、高市早苗総理が衆議院解散を宣言。1月27日公示、2月8日投票という超短期決戦は、自民党の圧勝で終わった。ご存じの方もいると思うが、僕は、2025年夏の参院選に立候補して敗れ、自民党も惨敗した。高市旋風は感じていたものの、わずか半年でこれほど流れが変わるのかと、正直驚いている。
「今回出ていれば、岸さんも間違いなく当選していましたね」と、言われることもあったし、実際、打診はあった。でも、僕はお断りした。理由は、今回の選挙は“恩返し”に徹したいと考えたから。参院選では自民党の何人もの衆院議員の皆さんが僕の選挙活動を応援してくれた。今度はそれらの人たちが立候補するのだから、絶対に当選するよう、皆さんの選挙区に出向いて応援演説させてもらおうと決めていたのだ。昨年僕を応援してくれた人たちになんの恩返しもしていないのに、また自分が立候補して、応援を頼むなんて虫が良すぎる。真面目にそう考えていた。
選挙戦が始まる前は、「中道有利」という声が結構あった。公明党の組織票が、自民党候補から中道の候補に流れることで、多くのこれまで与党の牙城だった選挙区でどんでん返しが起こるのではないかとの予想である。自民党陣営でもその危機感は大きかった。だから僕は、かつて自分を支援してくれた候補者全員のもとに駆けつけた。
短期決戦だったから、応援演説のスケジュールは非常にタイトだった。僕が応援演説すべき候補者たちは全国各地に散らばっているので、例えばある日は朝7時の飛行機で北海道に向かい、演説を終えて午後2時の飛行機で東京に戻り、夕方からは都内で応援演説をしていた。選挙期間中はこんな毎日であった。
病気になってから体力も落ちていたし、左半身の不調を抱えたまま長距離を移動し、立ちっぱなしで演説をするのは、結構しんどかった。でも、ここでしっかり応援演説して恩返しをしないと人間失格だ。そう気持ちを奮い立たせ、なんとか全員のもとを訪れることができた。
僕の応援がどれくらいプラスになったかはわからない。でも、比例復活を含め、応援した人全員が無事に当選した。体調は最悪だったけれど、どうにか恩返しができ、ほっと胸をなでおろしている。と同時に、恩返しを意識して動くと、不思議なことに、うまく回ることにも気づいた。余命7年になった今気づけたことは、ラッキーだ。これからは、恩返しをキーワードに生きていきたいと思っている。

1962年東京都生まれ。1986年に一橋大学を卒業し、通商産業省(現経済産業省)に入省。小泉内閣で竹中平蔵大臣の秘書官等を務めた後、2006年に経産省を退官。現在は慶應義塾大学大学院教授や企業・団体の社外取締役等を務める傍ら、メディアでも活躍。2023年夏、多発性骨髄腫罹患を公表。2024年春、“人生の期限”を意識したことで変わった人生観、仕事観などを綴った『余命10年』を上梓。
衆院選の応援演説を通じて学べたこと
ちなみに、衆院選での応援演説を通じて学べた大事なことがある。それは、自分の勝手な解釈ではあるが、高市首相の想いだ。
衆院選の最中のある日、丸一日ずっと奈良で応援演説をした。その時に高市事務所の人がずっと同行してくれたので色んな話を伺っているうち、ある事に気がついた。高市事務所の皆さんの、亡くなった安倍元首相への想いだ。
言われてみると当たり前のことだが、安倍元首相は、偶然とはいえ47も都道府県がある中で、よりによって高市首相のお膝元である奈良県で銃撃された。そうなる確率は1/47と低い。そして、安倍元首相が銃撃された時、現場には高市事務所の人もたくさんいたので、まさにその瞬間を目撃もしている。
だからだろうか、高市事務所の方々は、それが意識的か無意識かはともかく、日本の将来にとってまだ必要だった偉大な首相を自分たちの地元で亡くしてしまった、それを防げなかったという十字架、宿痾(しゅくあ)を背負っているんだと感じた。それがあるからこそ、高市事務所の陣容はそこまで大きくないのに、総裁選では凄まじいまでの努力と活動をして高市首相を誕生させたのであろう。
高市事務所の方々がこのような気持ちなのだから、もしかしたら高市首相も同じ想いを抱いているのではないかと勝手に思い、得心がいった。高市首相が目指す、強い日本経済の復活、安全保障の強化、憲法改正といった目標は、正しい方向性であると思い応援してきたが、もしかしたら安倍元首相が目指しながら実現できなかった諸課題でもあるからこそ、安倍元首相を自分の地元で亡くしてしまった償いで、自らの手で実現させようとしているのではないだろうか。
そう勝手に理解して、高市首相を一層応援しなければダメだと心から思った。自分の経験上、こういう正しくて強い想いを持って行動している人が一番信頼できるからだ。かつ、それが、小泉政権の頃からずっと私を多少なりとも可愛がってくれた安倍元首相への恩返しになるかもしれない。そう思えるようになったことが、衆院選の応援演説で日々消耗する生活を送っていたなかでの最大の収穫だった。
※2回目に続く

