PERSON

2026.05.26

『国宝』作家・吉田修一、デビュー30周年作は「負と思うことも肯定できる、それが書けた作品です」

日経新聞連載時から大きな話題を呼んだ小説『タイム・アフター・タイム』がついに書籍化。著者は実写邦画の興行収入歴代1位を記録した映画『国宝』の原作者、吉田修一氏だ。待望の最新刊にして、作家デビュー30周年記念作品の本書について、作家自らが語った──。

吉田修一氏
パーク ハイアット 東京にてインタビューに答える吉田修一氏。腕時計はドイツの名門、A.ランゲ&ゾーネの人気モデル「1815 クロノグラフ」。「美しいですね。裏返してムーブメントをずっと眺められます」と語った。「1815 クロノグラフ」価格は要問い合わせ(A.ランゲ&ゾーネ TEL:0120-23-1845)

最新刊『タイム・アフター・タイム』は「真正面から恋愛に向き合って書きました」

青春、ミステリー、SFなど、小説のジャンルはいろいろあれど、大作と言われるものは、たとえどこにカテゴライズされていても、そのひとつに収まるものではない。

邦画の興行記録を更新後も、多くの人に感動を与えている大ヒット映画『国宝』の原作者である吉田修一氏。500ページを超える最新刊『タイム・アフター・タイム』も、大作と呼ぶのにふさわしい複数のジャンルがクロスオーバーする物語だが、そもそもは「純粋なものに向き合ってみたい」と思ったことから始まったのだという。

「今、自分が純粋なものに向き合った時、どんな感情が生まれるのだろうかと素朴な疑問が浮かんだことがひとつ。そしてもうひとつが、純粋であることの奇跡のような物語を自分自身が読んでみたいと強く思ったんです。その理由はよく分からないのですが、今になって思うと、この『タイム・アフター・タイム』の準備や構想期間がちょうど映画『国宝』の撮影時期に重なっているんです。撮影現場で必死に歌舞伎に食らいついていた吉沢亮さんや横浜流星さんたちの姿が影響しなかったといえば嘘になるかもしれません」

いくつもの要素が交わり広がりとなっていく

「そんなことを考えていたら、“そういえば自分は、恋愛を中心に据えた長編小説を書いてきてないな”と思ったんです。であれば今度は真正面から恋愛に向き合って書こうと思って原稿をスタートさせました」

東京郊外の新美術館計画を担当することになった建設会社勤務のオッソーこと尾崎颯(そう)は、ゲリラ豪雨に遭った現場の帰り道で、初恋の相手である高校の同級生・久遠(くおん)愛と偶然再会する。しかも彼女は、クライアント対応の広告代理店スタッフとして同じプロジェクトに参画していたのだった。この新美術館に起用された建築家のデザイン盗用疑惑が浮上。お互い違う立場から、なんとか問題を解決させようと奔走する。

ストーリーは社会人として忙しい日々をおくる東京のふたりと、長崎の同じ高校に通うふたりがパラレルに展開していく。若いふたりの成長はもちろん、喪失と再生、親子や夫婦といった家族の物語に、彼らをとりまく友情や他の恋愛事情など、いくつもの縦糸と横糸が交わる、まるで織物のような広がりのある小説に仕上がっている。

「恋愛を無駄なこと、危険なことだとかいうネガティブな印象ではなく、ポジティブなところを立脚点に持ってきています。だからか、他の登場人物たちも同じように、つまり物事をポジティブに捉える人たちが結果的に集まってきたんですよね。そしてオッソーや久遠だけでなく、彼らもまた一生懸命生きているんですよ。それが(この作品を)より大きな物語につなげているように思います」

シングルマザーと小さなアパートで暮らす高校生のオッソーを、夏の間海の家を営む実家に泊める友人・一真や、会社の同僚の野上、久遠のよき理解者である兄、彼女が拠り所としたボクシングジムのオーナー“チャンプ”など、作者の言葉どおり魅力的な人物が次々と登場する。そして誰もが人生を茶化したりせず、格好悪くても失敗しても、それを受け止め生きており、これが広がりにつながっている。

加えてユニークなところは、不遇なバックグラウンドのうえに次々と悲劇に見舞われていくのが男性側、つまりオッソーの方であることではないだろうか。恋愛につきものの障害と同じぐらい、悲劇といえばヒロインというお約束があるが、作者はそれを破り、少年時代だけでなく家族を持った大人になっても、さまざまな苦難をオッソーに降りかからせている。

「言われてみればそうですが、敢えてという意識はありません。でも確かにオッソーにはたくさん降りかかっていて、容赦ないですよね(笑)。またこの恋愛をリードする側は久遠ですし……。『タイム・アフター・タイム』は1年間、日本経済新聞に連載されていましたが、連載中だけでなく、終了後に書店員さんたちからもありがたいことにたくさんの感想をいただきました。そんな感想を聞いていると、もしかしたら悲劇のヒロインの物語や、障害のあるふたりが果たして結ばれるのかどうか……といった今までのお約束のような小説に対して“もう十分”と思っているところがあるのかもしれません。私自身も、悲劇は女性にしか似合わないとか、女性でないとドラマティックにならないという感覚はありません」

定石のヒロインパターンではなく、少年時代からいくつもの障害や困難に見舞われるオッソーは、ある意味現代的な主人公といえるのかもしれない。そして彼は、その負と感じる事柄のいずれにも、誠実に向き合っていく。時には本人に非がまったくない理不尽としかいいようのないことにも、である。そんな姿に、読者はきっと心の中で声援を贈りたくなるのではないだろうか。吉田氏はこう言う。

「主人公のオッソーや久遠もそうですが、先ほど話したその時期その時期のふたりの前に現れる登場人物たち誰もがそうですよね。久遠のお兄さんがこれまでのいきさつを話す場面で、『誰が悪いってわけではないんですけれどね』と言います。ここに出てくる人たちは、結果的にオッソーや久遠を傷つけたり、窮地に追いこんでいるかもしれないけれど、本当に誰が悪いというのではない。その時の自分の気持ちを相手にぶつけた結果が表れています」

それは吉田氏がデビュー以来書き続けてきた多くの小説に共通するテーマでもある。

「善し悪しということで言うと物事とは成功したから善い、失敗したから悪い、というわけではないと思うんです。失敗が後に糧になったり、傷ついた過去が後に信じられないような恵みや幸運を運んできたりする。そういう過去の負と思えることさえ肯定できることを、この作品では書けたように思います」

そう話すように、本書には物語の終盤、あの時の! と読者が膝を打ってしまうような伏線回収も用意されている。それもまたこの大作を読む醍醐味のひとつといえるだろう。

吉田修一氏
吉田修一/Shuichi Yoshida
長崎県出身。1997年『最後の息子』でデビュー。2002年『パレード』で山本周五郎賞、『パーク・ライフ』で芥川賞とエンタテインメントと純文学の双方の賞を受賞し話題をさらう。『悪人』で毎日出版文化賞と大佛次郎賞、『横道世之介』で柴田錬三郎賞、『国宝』で芸術選奨文部科学大臣賞など受賞多数。記録的大ヒット映画『国宝』はじめ、ほとんどの作品が映像化される当代きっての人気作家。芥川賞選考委員も務める。

場を得意とした作家が30年を経て挑む時の流れ

さて『タイム・アフター・タイム』は、吉田修一氏の作家生活30周年の幕開けとなる作品だ。日比谷公園が舞台となった『パーク・ライフ』や、単行本では地図を象徴的な表紙とすえた短編集『キャンセルされた街の案内』など、以前から場を描くことを得意としてきた作家である吉田氏だが、今回はオッソーと久遠ふたりの20数年という時間を鮮やかに描いている。そんな吉田氏の背中を押したのが、米アカデミー賞の作品賞候補にもなった1本の映画だった。

「作家になって30年も経ったという実感は、あまりないんです。もうそんなに経ってしまったのか、という感じです。今回、このふたりの時を執筆していてのってきたな、という実感が生まれたのには、いくつかのきっかけがありました。

そのなかでも大きかったのが『パスト ライブス/再会』という韓国人の幼い男女の12年後、24年後を描いた映画を観たことです。連載当初はやはり、カウンターという気持ちも含めて“恋愛を書いてやろう”と気負っていたところがあったかもしれません。けれどあの映画を観て、何か特別なことが起こったり、変に意識して話をつくらなくても、ふたりの距離感を丁寧に描くことでちゃんと物語はつくれますよ、と教えてもらった、背中を押してもらえた気がしています。

事実この『タイム・アフター・タイム』も、何かの出来事を中心に回っていくというよりは、オッソーと久遠というふたりの距離感を彼らのいろいろな時のなかで描いています。それを楽しんでもらえたら嬉しいですね」

タイトルはもちろん、シンディ・ローパーの’80年代のヒット曲『タイム・アフター・タイム』から取っている。何度でも何度でも、という意味である。

「1年間かけて小説を書いていくのなら、今回は歌のタイトルをそのまま持ってきたいと思ったんです。シンディ・ローパーの曲は、自分が長崎の高校生だった頃にヒットした、いわゆる世代の曲です。何度でも何度でもという意味が、過去と現代のオッソーと久遠を行ったり来たりする小説にぴったりだなと」

’80年代の名曲は、多くの人にカバーされ、今やスタンダードナンバーといってもいい。恋愛を出発点としながら、苦難も理不尽をも最後には肯定できる、人生賛歌のようなこの作品は、10代の高校生から子育て働き盛り世代、そして子供を独立させた第二の人生世代など、それぞれで感情移入するシーンは異なるかもしれない。しかし、どの世代にも受け入れられるような肯定の物語である。そしてどの世代も受け入れる、というのはまさにスタンダードナンバー、さらには大作に共通する個性といえるのではないだろうか。

『タイム・アフター・タイム』
『タイム・アフター・タイム』
吉田修一 幻冬舎 ¥2,420
『国宝』著者、待望の最新刊にして、作家デビュー30周年記念作品。眩しい夏の初恋と、20年後の再会を描く。あの日、ふたりは何を守り、何を手放したのか? 長崎と沖縄と東京、過去と現在。青く輝く海と空に歓喜したあの頃と、眩しさを見つめ返せない今──痛みも後悔もやさしさも、すべてを抱きしめてあたためる感涙の長編大作。2026年5月27日発売。

TEXT=田中敏恵(キミテラス)

PHOTOGRAPH=長尾真志 SPECIAL THANKS=パーク ハイアット 東京

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