PERSON

2026.03.18

町田・望月ヘンリー海輝、飛び抜けてなかった小6時の身長、プロへの意識が芽生えた国士舘大【前編】

類まれなる身体能力と、サッカーに対するひたむきな姿勢──。近い将来に日本代表を背負うことになるであろう、大ブレイク寸前の若きサッカー選手、FC町田ゼルビアDF・望月ヘンリー海輝に独占インタビュー。前編。【特集 2026FIFAワールドカップ】

町田・望月ヘンリー海輝、飛び抜けてなかった小6時の身長、プロへの意識が芽生えた国士舘大【前編】

この男の名前を覚えておきたい。未完の大器、望月ヘンリー海輝

2025年10月14日、サッカー日本代表がブラジル代表から歴史的初勝利を挙げた試合で、後半40分にピッチの送り込まれたのが望月ヘンリー海輝だった。

大卒2年目(当時)、FC町田ゼルビアに所属する24歳は、右ウイングバックのポジションに着いた。ブラジル人選手に完璧にかわされてピンチを迎える場面があった一方で、長いリーチを活かして相手からボールを奪い、ドリブル突破で自慢のスピードを披露してスタジアムを湧かせた。

そして6分のアディショナルタイムの後、ピッチの上で勝利を告げるホイッスルを聞いた。

身長192センチというサイズと、対峙した相手を一瞬で置き去りにする加速力──。荒削りではあるけれど、「未完の大器」という言葉がこれほどふさわしいサッカー選手もいないだろう。完成形が想像できないほどスケールが大きく、伸びしろは無限だ。

率直に言って現時点での望月は、2026年6月に開幕するワールドカップ北中米大会の日本代表メンバーの当落線上にいる。けれどももし彼が秘めたるポテンシャルを100%発揮できるようになれば、日本代表の大きな武器になるはずだ。

ゲーテでは、2回にわたって望月ヘンリー海輝という日本サッカー界の原石を紹介したい。

望月ヘンリー海輝

ジュニアユースに昇格できないという挫折

ナイジェリア人の父と日本人の母を持つ望月は、2001年に生まれる。サッカーが好きだったという父の影響で、埼玉県上福岡市のサッカー少年団、FC上福岡サンダースでサッカーを始めた。

「お父さんはロナウジーニョが好きだったので、自然と僕のアイドルもロナウジーニョになりました。ただ、テレビでサッカーの試合を見たという記憶はほとんどなくて、いつも一緒にボールを蹴っていました」

そのやさしい眼差しとやわらかな語り口からは、穏やかな人柄が伝わってくる。ピッチ上でのダイナミックな動きとは好対照だ。

「上福岡サンダーズのひとつ上の人が、(大宮)アルディージャのスクールに入るということで一緒に入って、ジュニア(小学生年代)のセレクションがあるから受けてみようということになりました。それで、小学生の間はアルディージャのジュニアでサッカーをしていました。いまと同じで主にサイド、ウイングバックやサイドバックでプレーしていたと記憶しています」

大宮アルディージャでのジュニア時代を、「身体能力は高かったと思いますが、それ以外の部分ではほかの選手にかないませんでした」と振り返る。

「背の順で並ぶといつも一番後ろか後ろから2番目で、中1で164センチだったから小6でも160センチくらいあったと思います。でもアルディージャのジュニアの選手たちはすごくレベルが高くて、僕はジュニアユース(中学生年代)に上がれませんでした。普通に実力不足で落ちたという感じです。ジュニアユースに上がれなかった友だちが三菱養和に行くというので、僕も一緒に三菱養和のジュニアユースに進みました」

三菱養和は1940年設立の歴史あるスポーツクラブで、サッカー日本代表だとフランスのS・ランスに所属する中村敬斗もこちらの出身だ。

ただし三菱養和で過ごした中学、高校時代は、プロサッカー選手になるという夢は漠然としたものだったという。

「ジュニアユースの時も、ユース(高校生年代)に上がってからも、真面目にサッカーをしていたことは間違いありません。けれども、死ぬ気でプロを目指していたかというと、そういうわけではありませんでした」

望月が本気でサッカーに向き合い、プロ選手を志すようになったのは、進学先に選んだ国士舘大学での経験が大きかったという。

サッカーへの姿勢が変わった大学時代

「国士舘の1年生の時に、僕なんかよりはるかに上手い4年生がプロになれなくて、就職活動をしていたんです。その現実を見て、3年後から逆算して、いま何をしなければいけないかを考えました。言葉は悪いですが、国士舘の練習は死ぬほど辛いトレーニングで(笑)、もちろんそれは全力でやって、さらに個人練習や筋トレにも真剣に取り組むようになりました。

身体能力については小さい頃からずっと高かったので、特に大学で伸びたという実感はありません。ただ、国士舘でサッカーやトレーニングに対する姿勢が変わったと認識しています」

国士舘大学のサッカー部で真摯にサッカーと向き合うなかで、プロ選手になれると思えたのはどのタイミングだったのだろう。そう尋ねると、望月は首をかしげた。

「いまはどうなっているかわかりませんが、当時の国士舘のルールだとJリーグやJFLのチームの練習に参加することが禁止されていたんです。Jリーグのクラブの練習に参加していれば目安もわかると思いますが、絶対にプロになれるという確信がないなかで、ピリピリした気持ちで練習をしていました」

ちなみに望月は、18歳以下と20歳以下の日本代表には選ばれていたものの、23歳以下の選手で構成するパリ五輪の日本代表には呼ばれていない。「ピリピリした気持ち」には、パリ五輪世代として遅れをとっている焦りもあったのだろうと推察する。

望月ヘンリー海輝/MOCHIZUKI Henry Heroki
2001年埼玉県生まれ。小学生の時は大宮アルディージャの下部組織でプレーし、中学・高校は三菱養和で育つ。国士舘大学サッカー部を経て、2024年にFC町田ゼルビアに入団。開幕戦で途中出場してJリーグデビューを果たし、やがて右ウイングバック/サイドバックとしてレギュラーを確保する。出場機会は得られなかったもののこのルーキーイヤーに日本代表に選出され、2025年の東アジアE-1サッカー選手権2025で日本代表として初出場を果たした。

「それでも、ありがたいことに町田(ゼルビア)の強化部の方が国士舘の試合を見に来てくださったんですね。国士舘のルールで、4年生の4月1日以降でないと学生にオファーを出してはいけなかったんですが、4月1日に町田からオファーをいただきました。ホッとしたというか、とにかくうれしかったですね。ほかにもいくつかのオファーをいただきましたが、やはり最初に声をかけてくださったということで、町田でプレーすることに決めました」

こうして望月ヘンリー海輝は、晴れてFC町田ゼルビアでプロサッカー選手としての第一歩を踏み出すことになった。

後編となる次回は、Jリーグや日本代表としての経験によって成長したことや、これから進むべき方向について語った。

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TEXT=サトータケシ

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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