PERSON

2026.01.02

87歳ミッキー・カーチス、元気の秘訣「みんな好き勝手な考え方を持っていい。ただ悪口は言わないこと」【和田秀樹対談②】

ロカビリー歌手、音楽プロデューサー、作詞家、俳優、レーサー、落語家、画家。常に進化し続けるミッキー・カーチスさんと医療の壁に挑み続ける和田秀樹さん。反骨同士の対談は静かで熱い“ロック”だった!【対談2回目

ミッキー・カーチス

声には人生の深みが出る

和田 歌は今でも歌われるんですか。

ミッキー 歌はね、そりゃ歌いたい。だけど聞いてよ。脳卒中の手術をしたでしょ。そのときに生命維持装置っていうのを飲まされるんですよ。

和田 大変ですね。

ミッキー それで声帯やられちゃって。

和田 あ、そうか。

ミッキー だから歌えなくなっちゃった。

和田 それは悲しいですね。歌もやっぱり声を出すアウトプットですからね。でも代わりに絵があってよかったですね。

ミッキー そうなんです。だけど、去年ね、映画の主題歌を歌いました。

和田 それは素晴らしい。

ミッキー うざい声でね(笑)。細野晴臣さんに曲を頼んで。

和田 ほお。すごいですね。

ミッキー 『運命屋』っていうショートムービーをうちで撮ったんだけど、この映画がけっこう評判よくてね。いきなり俺、ニューヨークで主演男優賞もらっちゃった。

和田 素晴らしい。そうか。やっぱり声が変わっても表現力はあるってことですよね。

ミッキー そうですね。

和田 年を取れば取ったなりの渋い声があると思うんです。

ミッキー ある。

和田 人生経験が刻まれた深みのある声ってありますよね。僕は若い頃から声が高いので、だいたい馬鹿に見えるらしい。今もそうかもしれないんだけど。

ミッキー 僕は声が安いから。

和田 ……。あー、高いの反対ですね(笑)。

ミッキー (笑)。説明しないとわかんないこと言っちゃった。

和田 いやいや。深くて渋い声。その声自体が映画にもしみじみと奥行きを持たせる。だから観る人の心に響くんでしょうね。

ミッキー 歌いたいけどね。なかなかチャンスが。北海道の田舎にいるとないですよね。

和田 僕はアメリカのカンザスに住んでいたことがあるんですけど。意外にも田舎のほうが音楽が盛んだったりするんです。

ミッキー そうだよね。

和田秀樹

常識に縛られず、自由に好き勝手に生きればいい

和田 ミッキーさんくらいの年代だと、好き勝手のはしりじゃないですか(笑)。

ミッキー すいません(笑)。

和田 でもやっぱり好き勝手な人が出て来ないと文化って生まれないじゃないですか。

ミッキー そうそう。もっと言ってくださいよ。

和田 ロカビリーがあったからロックもフォークもポップスも、いろんなものが出てこられた気がしますけどね。

ミッキー フォークは70年代ですよね。まあその前にボブ・ディランがいますけどね。

和田 さすがに詳しい。

ミッキー フォークはどっちかっていうと歌手の仕事というより詩人。詩のほうがすごいですよね。

和田 なるほど。

ミッキー 日本もね。井上陽水なんかもやっぱり詩人ですよ。「窓の外にはリンゴ売り 声をからしてリンゴ売り きっと誰かがふざけてリンゴ売りの真似をしているだけなんだろう」なんてね。どういう発想で出てくるのかなと思うようなのを歌いましたからね。

和田 あ、『氷の世界』の一節ですね。陽水さんは特別じゃないですか。だって僕らの頃はフォークってわりと反戦運動とか政治への抗議が込められていた。だから偉い人が書いた詩みたいな雰囲気で、好き勝手感がなかったんですが、陽水さんは違ってましたね。

ミッキー 反戦はね。俺はちょうど1965年から1970年までヨーロッパを回ってたんで。

和田 あー、なるほど。ベトナム戦争が始まって反戦運動が高まった頃ですね。

ミッキー 俺は「サムライ」ってバンドをやっていてフィリピンなど東南アジアでも演奏していましたよ。当時はもう、音楽と麻薬ですよ。70年に日本に帰ってきたらフォークブームになっていてね。

和田 ロックからフォークに。

ミッキー 結構、ロックとフォークの連中がもめたりして。内田裕也がフォークとは飲めないとか言って。でもよく聞くと、フォークの連中のほうがけっこうロックしてるんだよね。面白いもんでね。

和田 みんな自分のテリトリーにこだわりますからね。ミッキーさんは?

和田秀樹/Hideki Wada(左)
精神科医・幸齢党党首。1960年大阪府生まれ。東京大学医学部卒業後、同大附属病院精神神経科助手、米国カール・メニンガー精神医学校国際フェロー等を経て、和田秀樹こころと体のクリニック院長に。『80歳の壁』『幸齢党宣言』など著書多数。

ミッキー・カーチス(右)
ミュージシャン・俳優。1938年7月23日生まれ。1958年、第1回「日劇ウェスタン・カーニバル」でロカビリー三人男としてブームを巻き起こし、同年、映画『結婚のすべて』で俳優デビュー。日本初の音楽プロデューサーとしてガロやキャロルなどを世に送りだす。ハーモニカや養蜂など幅広い趣味も。自伝書に『おれと戦争と音楽と』。

ミッキー 俺はロンドンに行き、そこでプロデュースっていう仕事を覚えた。戻ってきて日本で初のレコードプロデューサーになったんだよ。で、ガロの『学生街の喫茶店』とかね。

和田 すごい。プレイヤーからプロデューサーになるっていうのは新しいタイプですよね。

ミッキー 裏の仕事が表になる。だから新しい。だけど日本ではレコード会社の社員がいわゆるディレクターとしてそういう仕事をしている。だからなんで社外の人間にわざわざ頼んで印税切らなきゃいけないんだって言われて。

和田 苦労されたんですね。でもヒットを生むにはプロデューサーの力が大きいでしょ。新しいことをやるには。

ミッキー そう。それでパーセンテージで仕事をするようになった。一番ヒットしたのは『学生街の喫茶店』かな。あと矢沢永吉。キャロルね。いろんなものをやりましたよ。シーナ&ロケッツとかもやった。

和田 すごいですね。

ミッキー 面白いのはね、イタリアの独裁者・ムッソリーニの孫娘も俺がプロデュースした。

和田 そうなんですね。

ミッキー 美人で歌が上手くてね。おばさんがソフィア・ローレン。すごい一家でしょ。資生堂のCMにも持って行った。

和田 (笑)。発想が自由っていうか、豊かで楽しいですよね。

ミッキー 面白いよね。

和田 海外ではそういう復活があるけど日本では足を引っ張られる。例えば日本で東条英機の孫娘が歌手になるって言ったらブーイングが起こりそうな気がします。

ミッキー そんなの放っておきゃいいと思うけどね。

和田 おっしゃる通りです。みんな好き勝手な考え方を持ってていいと思うんです。

ミッキー ねえ。好きでいいんじゃないですか。個人個人で。それこそ左だろうが右だろうが。関係ねえじゃん、別に。

和田 そうそう。

ミッキー お互いの悪口言わなきゃいいんだよ。

※3回目に続く

TEXT=山城稔

PHOTOGRAPH=鈴木規仁

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