サッカー日本代表の斉藤俊秀コーチは第1次森保政権からチームを支えてきた。年代別日本代表のコーチを務めていた2018年に森保一監督から要請されてA代表コーチを兼任。2019年アジア杯からA代表専任となった。2026年夏のW杯北中米大会は、指揮官と歩んできた8年間の集大成となる。

斉藤俊秀が抱く覚悟と、日本代表守備を支える人材育成力
斉藤俊秀コーチは日の丸を背負って戦える幸せを噛みしめながら日々、指導に当たっている。
「日本代表の活動をやらせていただいていることは決して当たり前ではない。人事を尽くして天命を待つ、ではないけど、日本のため、選手のため、監督のために、W杯までしっかりやり続けたい」
第2次森保政権のコーチ陣は分業制を敷き、斉藤コーチは主に守備面を担当。チームへの戦術浸透に加え、全体練習後には選手個々に合わせたメニューで居残りトレーニングに付き合うことも多い。
斉藤コーチはU-15(15歳以下)日本代表時代から知る冨安健洋ら数々のDFの成長を支えてきた。
「アンダー世代から指導者をしてきて、選手たちの人となりも分かり、伸びしろも見てきた。全体だけではなく個のところにフォーカスしながら二人三脚でやれたらと思う。練習台にもなれるような、そういう存在でいたい」
現役時代はクレバーなセンターバックとして主に清水エスパルスで活躍。1998年W杯フランス大会に出場した日本代表にも名を連ねた。
2009年からは当時静岡県リーグの藤枝MYFCに所属。選手兼監督としてチームを東海リーグ→JFL→J3へ導き、2013年に現役を引退した。
「現役時代に監督を兼任したことで、1勝の重みというのはすごく感じることができました。例えば地域リーグからJFLに昇格するには全国大会の1次予選で1回でも負けたら終わり。ステージは全然違うけど、日本代表も1回負けたら世論がどよどよすることがあるので、経験は生きていると思います」
世界に挑む日本代表の武器「SSBK(サムライ・スプリントバック)」
日本代表は2026年夏のW杯中南米大会で優勝を目標に掲げる。高い目標だが、主力の大半が欧州リーグでプレーしており、決して夢物語ではない。
2025年9月にはアメリカ遠征を行い、W杯開催国との親善試合を2試合実施。世界的強豪のメキシコに試合を優位に進めて0-0の引き分け。アメリカには0-2で敗戦。
日本の最大の長所の一つが、斉藤コーチがチームに植え付けてきた被カウンター時の速い一斉帰陣だ。
2023年9月のドイツとの親善試合では4-1リードで迎えた後半ロスタイムにCKからカウンターを食らったが、10人のフィールド選手が全力疾走で自陣に戻り、ピンチの芽を摘んだ。
大量リードでも各選手が最後まで役割を全うする勤勉さは、世界的強豪に伍(ご)するために欠かせない要素だ。
斉藤コーチは日本代表の一斉帰陣を人気漫画キャプテン翼に登場するGK若林源三の愛称「SGGK(スーパーグレートゴールキーパー)」になぞらえ「SSBK(サムライ・スプリントバック)」と名付けている。
森保監督のリーダーシップ進化。「ヘッド型」から「マネジメント型」へ
A代表コーチ就任から7年。森保監督の変化を近くで見続けてきた。
指揮官は就任当初は練習の指導や試合の分析などすべてを一人でこなす“ヘッドコーチ型”だったが、現在は現場から一歩引いて全体を統括する“マネジメント型”になった。
攻撃、守備、セットプレー、GK、フィジカルなど各担当コーチの役割・責任は増したが、斉藤コーチのスタンスに大きな変化はない。
「監督が全部一人でやっていた時代もあり、少しずつアジャストして今に至っている。マネジメントの仕方は変わったけど、自分が監督の代弁者だという思いはまったく変わっていない。あくまで僕というツールを使って監督が発信しているイメージです」
集大成となるW杯の開幕まで約9ヵ月。森保監督の隣で最高の景色を見られることを信じている。
斉藤俊秀/Toshihide Saito
1973年4月20日生まれ、静岡県出身。清水東高、早大を経て1996年に清水エスパルス入り。2007年湘南ベルマーレに移籍。2009年からは藤枝MYFCで監督兼任でプレーし2013年に現役引退。J1通算244試合16得点。日本代表として1998年W杯フランス大会、1999年南米選手権に出場。国際Aマッチ通算17試合0得点。2015年にU-15日本代表コーチ、2016年にU-16日本代表コーチ、2017年にU-17日本代表コーチを務め、2018年にA代表コーチに就任した。