ART

2025.11.04

村上春樹『1Q84』のパラレルワールドを現代アートで表現する「岡山芸術交流」とは?

この秋は中国地方を2度訪れた。岡山芸術交流とひろしま国際建築祭だ。芸術祭の中でもコンセプトの立て方やアーティスティックディレクターの起用の仕方に特徴のある岡山芸術交流、一方、第1回目のひろしま国際建築祭(以後、3年に一度の開催)。

フィリップ・パレーノ《メンブレン》2024年 Courtesy of the artist ©2025 岡山芸術交流実行委員会 撮影:市川靖史
フィリップ・パレーノ《メンブレン》2024年 Courtesy of the artist
©2025 岡山芸術交流実行委員会 撮影:市川靖史

岡山が“現実と想像が交わる場”に

この建築祭と芸術祭。地域が隣接していること(ひろしま国際建築祭の主会場は福山市と尾道市で、両市は広島県でも岡山県寄り)以外には関連は無く見えるが、実は感じるところがあった。ひろしま国際建築祭の総合ディレクターが白井良邦氏。彼は元『Casa BRUTUS』の編集者で企画や展示の展開がある意味、編集的だ。それでいて写真と文章で構成する雑誌よりも実物が展示されていることでリアリティと、まさに建築なので空間との関係で欲望を満たす展示になっていたこと(雑誌と違って、手軽に見れるものではなく、現地に行かなくてはならないが)。

対して、岡山芸術交流はコンセプチュアルアートに主軸を置いた芸術祭(国際現代美術展)で今回のアーティスティック・ディレクターはフィリップ・パレーノ。彼の立てたテーマが「青豆の公園」。これは、村上春樹の小説『1Q84』に登場する謎めいたキャラクター「青豆」に触発されたもので、岡山の都市空間を現実と想像が自然に交わる場へと変貌させてやろうというものだ。

雑誌が建築展になったら、文学が美術展になったら、というような視点、そして立体感で展覧会を見ることができた。そこが共通点だったのだ。ひろしま国際建築祭については他のメディアに書いたので、ここは岡山芸術交流の話。

岡山芸術交流は3年に一度の開催。今年が開催年。これまで、リアム・ギリック、ピエール・ユイグ、リクリット・ティラヴァーニャという有名アーティストがアーティスティック・ディレクターを務めてきて、今年2025年はフィリップ・パレーノ。『1Q84』に描かれるパラレルワールドが現代アートで表現できるか、興味津々である。

「君が世界を信じなければ、またそこに愛がなければ、すべてはまがい物に過ぎない。どちらの世界にあっても、どのような世界にあっても、仮説と事実とを隔てる線はおおかたの場合目には映らない。その線は心の目で見るしかない」(村上春樹『1Q84』新潮社)

登場人物「青豆」は現実世界「1984」と、月が2つあるもう一つの世界「1Q84」を行き来するようになってしまう。

現代アートは必ずしも美しいものや、技術の粋を極めたものを見せてくれなくてもいい。通常あり得ない感覚を呼び起こしてくれるとか、一時的にでも、現実とは違った世界に導いてくれさえすればいいのだ。あるいは、現実の政治や社会や地球で起こっていることの問題意識を高めてくれるものであってもいい。

そういう意味で今年の岡山芸術交流は堂々と成功している。たとえばこんなバスが走っているなんて、ちょっとここは現実ではないんじゃないかと思わせる。

ジェームズ・チンランド《レインボーバスライン》2025年 Courtesy of the artist
©2025 岡山芸術交流実行委員会 撮影:市川靖史
ジェームズ・チンランド《レインボーバスライン》2025年 Courtesy of the artist
©2025 岡山芸術交流実行委員会 撮影:市川靖史

作者のジェームズ・チンランドは長編映画やテレビの世界観構築で知られるアメリカのプロダクション・デザイナー。異変を知らせるものはこんな日常に滑り込まされる。

英国出身、新世代のコンセプチュアルアーティスト、ライアン・ガンダーはここでもやってくれる。今回は3種類のデザインのコインを街中に忍ばせた、つまり、街に蒔いた。参加者はそれを発見するという作品《The Find(発見)》。硬貨状のようなものを見つけてしまう当惑。これは現実? しかし、それは通貨ではなく、表と裏にこんな単語が書いてある。TOGETHER / SOLO、SPEAK / LISTEN、ACTION / PAUSE。

ライアン・ガンダー《The Find(発見)》2023年 Courtesy of the artist
©2025 岡山芸術交流実行委員会撮影:市川靖史
本作はファクトリー・インターナショナルがマンチェスター・インターナショナル・フェスティバルのために制作を委嘱した作品です。
ライアン・ガンダー《The Find(発見)》2023年 Courtesy of the artist
©2025 岡山芸術交流実行委員会 撮影:市川靖史
※本作はファクトリー・インターナショナルがマンチェスター・インターナショナル・フェスティバルのために制作を委嘱した作品です。

僕もSPEAK / LISTENのコインを1枚拾った。民家と歩道の間に落ちていた。お金(硬貨)というのはあまりに現実なもの。最近ではコード決済、カード決済のキャッシュレス社会化が急速に進んでいるが、道端に落ちているコインを見つける不思議な感覚。そして、この作品に関する広告が街中で展開されている。

ライアン・ガンダー《The Find(発見)》2023
©︎ 岡山芸術交流2025
ライアン・ガンダー《The Find(発見)》2023
©︎ 岡山芸術交流2025

沖縄在住のアーティスト、島袋道浩は不思議な光景を見せてくれる。淡水魚である鯉(コイ)と海水魚である河豚(フグ)が一つの水槽で泳いでいる。海水に棲む生き物と淡水魚の共生を実現させているのは岡山理科大学の山本准教授とその研究チームが開発した「好適環境水」。

島袋道浩《魔法の水》2025
(クレジット)
©︎ 岡山芸術交流2025
島袋道浩《魔法の水》2025
(クレジット)
Photo/ Yoshio Suzuki ©︎ 岡山芸術交流2025
島袋道浩《魔法の水》2025
上:©︎ 岡山芸術交流2025 下:Photo / Yoshio Suzuki

鯉とウミガメが同じ小さいプールの中で泳いでいた。広く解釈すればこれは、宗教やイデオロギーで分断する世界、多様化する社会での共存の促進を示す作品だとも言える。動物を展示の素材にする難しさ、疑問、抗議など多種の意見もあるだろうが、液体の濃度、温度などは厳密に管理されている。屋外だが、高気温による蒸発で濃度が増したり、逆に雨で薄まったりしないように、屋根やテントがかけられている。海水と淡水というパラレルワールドがここで一つになる。

ニューヨークとロンドンを拠点とするメディア企業のイソラーリ(Isolarii)は20世紀、フランスの哲学者、シモーヌ・ヴェイユの『脱創造』から特別に作品として編纂し、無料配布している。それぞれの展示を見ていく上での直接のガイドにはならないけれど、いろいろと示唆してくれるものとなるだろう。

「人は愛する者を所有したいと望まなくなったとき、その魂を愛しているのだ。肉体への愛と魂への愛を対立させるのはあまりに粗雑である。——真の対立は、愛する者に対して、奴隷化を望むか、自由を望むか、である」(シモーヌ・ヴェイユ『脱創造』Isolarii刊)

シモーヌ・ヴェイユ《脱創造》
(クレジット)
©︎ 岡山芸術交流2025
Isolarii《脱創造》2025
©︎ 岡山芸術交流2025

ここで紹介した作品はテーマとわかりやすく響き合うものからの、全体のほんの一部だ。

他に参加しているゲスト(岡山芸術交流では出展アーティストをこう呼ぶ)は、シェヘラザード・アブデルイラー・パレーノ、マリー・アンジェレッティ、マルティーヌ・ダングルジャン=シャティヨン、アルカ、朝吹真理子、アニルバン・バンディオパダヤイ、ニコラ・ベッカー、メアリー・ヘレナ・クラーク、 フリーダ・エスコベド、FABRYX、藤本壮介、シプリアン・ガイヤール、リアム・ギリック、 ホリー・ハーンダン & マシュー・ドライハースト、石田ゆり子、アレクサンドル・コンジ、ミレ・リー、ハンス・ウルリッヒ・オブリスト、プレシャス・オコヨモン、 ヴェレナ・パラヴェル、レイチェル・ローズ、ディミタール・サセロフ、ティノ・セーガル、サウンドウォーク・コレクティヴ、ラムダン・トゥアミ、アンガラッド・ウィリアムズである。

鑑賞料は無料、詳細はこちら

Yoshio Suzuki
編集者/美術ジャーナリスト。雑誌、書籍、ウェブへの美術関連記事の執筆や編集、展覧会の企画や広報を手がける。また、美術を軸にした企業戦略のコンサルティングなども。前職はマガジンハウスにて、ポパイ、アンアン、リラックス編集部勤務ののち、ブルータス副編集長を10年間務めた。国内外、多くの美術館を取材。アーティストインタビュー多数。明治学院大学、愛知県立芸術大学非常勤講師。

TEXT=鈴木芳雄

PICK UP

STORY 連載

MAGAZINE 最新号

2025年12月号

超絶レジデンス

ゲーテ12月号の表紙/Number_i 岸優太

最新号を見る

定期購読はこちら

バックナンバー一覧

MAGAZINE 最新号

2025年12月号

超絶レジデンス

仕事に遊びに一切妥協できない男たちが、人生を謳歌するためのライフスタイル誌『ゲーテ12月号』が2025年10月24日に発売となる。今回の特集は、世界中で弩級のプロジェクトが進行中の“超絶レジデンス”。表紙にはゲーテ初登場となるNumber_iの岸優太が登場。

最新号を購入する

電子版も発売中!

バックナンバー一覧

GOETHE LOUNGE ゲーテラウンジ

忙しい日々の中で、心を満たす特別な体験を。GOETHE LOUNGEは、上質な時間を求めるあなたのための登録無料の会員制サービス。限定イベント、優待特典、そして選りすぐりの情報を通じて、GOETHEだからこそできる特別なひとときをお届けします。

詳しくみる