天才レフティ・中村俊輔。現在、44歳。彼の敬愛するジダンが引退したのは34歳だった。自身も漠然とそれくらいの年齢で終わるのだろうと思っていたという。しかし、もっとやりたい、もっとうまくなりたいというサッカー欲が消えず、今なお挑戦し続ける彼は、何を想い、どんな心情なのか。その不屈の精神の源に迫った短期連載をまとめて振り返る。※2022年6月掲載記事を再編。
1.「今もまだモチベーションは衰えていない」
2022年3月、開幕間もないJ2リーグで、人々の記憶に色濃く刻まれたシーンがあった。
3月13日のJ2第4節横浜FC対水戸ホーリーホック戦。アウェイの水戸が前半のうちに2点をリード。しかし、後半開始15分で横浜FCが追いついた。そして、後半38分にコーナーキックのチャンスを得た横浜FCは、ベンチに座っていた中村をピッチへと送り込んだ。
スコットランドのセルティック時代、マンチェスターユナイテッド相手にUEFAチャンピオンズリーグで見事なフリーキックでゴールを決めた中村のキックの精度はヨーロッパでも高い評価を得ている。
そんな名手をチャンスに起用する采配は、代打などのある野球と違い、交代選手数や回数に制限のあるサッカーでは実は珍しい。けれど、中村は見事にその期待に応える。交代選手としてピッチに立ち、ファーストプレーとなるコーナーキックで逆転弾をアシストしたのだ。
2.「アルディレス監督に言われた『ナカさん、なんで逃げているの』」
中村にとって心に残るひと言があった。2000年前期優勝を飾った横浜F・マリノスの指揮を執った、オズワルド・アルディレスだ。
「ある試合で相手のボランチの選手が、ずっと僕にマンマークでついていたんです。だから、僕はあえてボールを触らないようにしていた。パスももらわず、スペースを空けるようにプレーしました。厳しくマークされているので、そこでボールを失いたくなかったから。
すると、ハーフタイムに監督に言われたんです。『ナカさん、なんで逃げているの。あなたはチームの中心なんだから、どんどんボールをもらいなさい。みんなもナカさんにパスを集めるように』と。チームメイトの前ではっきりと言われたんです。
マラドーナといっしょにプレーしていた監督がいうんだから、その通りにやってみようという気持ちになりました。後半はマーカーとやりあいました。うまく抜けることもあれば、失敗してボールを獲られることにもなった。それでも僕がトライすることで、『闘うんだ俺は』というのをチームメイトに示すというのを監督はやらせたかったんだと思うんです。
だから、あえてみんなの前で『パスを出せ』といったんだと思うし。あれはちょっと刺激的でしたね。いつどこで、どんなふうに選手に対して言葉を発するのか。その影響力を実感するひとつの体験になりました」
3.「もっとやりたい、もっとうまくなりたいというサッカー欲が消えない」
長く現役でプレーすることは美徳とされる一方で、カテゴリーを下げてまでもプレーし続けるのかという疑問の声も少なからずある。それは中村に対しても向けられる声だ。
「みっともないとか、痛々しいという人がいても当然だと思う。『きっぱりと引退するのも道だろう』と諭してくれる人もいます。しかも僕は引退してから監督業をやりたいと考えているから、長く現役でプレーしていると、指導者へ向かうのが遅くなる。
でもそれも関係ないと思っています。引退を決意する理由は人ぞれぞれだと思うんです。プレーするクラブが無いとか、サラリーの問題もあるだろうし、カテゴリーにこだわる人もいるでしょう。でも、僕自身が、そういう現実に対して、『しょうがないな』と思えるまでは、やめない。それがサッカー選手かなと。
終わり方や区切りのつけ方は人それぞれ。ほかの人の声に耳を貸す必要はない。『もうやめればいいのに、あの人痛々しいよね』と思われても、なんとも思わない。僕の人生だから」
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