稀代の講談師、神田伯山が声優として初めて主演を務める『クラユカバ』。インディーズアニメの名手として国内外で高い評価を集める塚原重義氏の監督作品とあって、大きな話題を呼んでいる。物語のキーワードのひとつであり、ポスターのキャッチコピーにもなっている「クラガリに曳かれるな」という言葉に隠された意味とは? 伯山氏のインタビューを通して、作品の魅力に迫る。前編はこちら
最初と最後のセリフに込めた想い
セピア色のレトロな映像とともにどこか遠くから聞きおぼえのある唱歌が流れる。
「はい、大辻探偵社」
神田伯山氏が演じる主人公•壮太郎は、その日暮らしのうだつのあがらない私立探偵。ある日、なじみの新聞記者から不可解な失踪事件の話を聞く。「そんな与太話には興味はない」と言いつつも、壮太郎は事件の手がかりを得るために“クラガリ”へと向かうことに――。不思議で不穏なストーリー。抗えない没入感に、観客は次第にのめりこんでいく。
伯山氏もこの映画の魅力について「ただのレトロではなく、現代のエッセンスで味付けされたノスタルジックな世界観」と表現しているが、自身の役づくりなどでとくに意識したことはなんだったのだろうか。
「僕は声優のプロではないので、素人がへんに役づくりをしてもなぁ……と、わりと素に近い感じだったと思います。講談の世界は、最初と最後が見せどころとよく言われるのですが、この映画では『はい、大辻探偵社』というセリフが僕とお客さんのファーストコンタクト。壮太郎という男がどういう人間像でどんな人生を背負っているのか。その最初のイメージはとくに意識しました。
最後のセリフも監督からは一発OKをいただいたのですが、もう一回やらせてもらっていいですか?と、お願いして(笑)。僕は結末を委ねるタイプの映画やドラマはあまり得意ではなくて、えっ、まさかここで終わっちゃうの!?という気分になるのですが、この作品の持ち味はラストの余韻にもあると思うんです。そういう意味でも最後のセリフは、監督も自分も納得がいくかたちにしたかった」
“クラガリ”に似た、浅草のストリップに心が震える
失踪事件を追う壮太郎が足を踏み入れた“クラガリ”は、観客をおとぎ話の世界に迷いこんだような気分にさせる、珍妙奇天烈な世界。
人間とは、“クラガリ”のような未知なるものを畏れながらも、好奇心からついそこに身を投じてしまう生き物だが、伯山氏が“クラガリ”という言葉からイメージするものはあるのだろうか。
「クリーン化がすすむ世の中で、『水清ければ魚棲まず』という諺がふと頭に浮かぶことがあります。暗くてダークな部分も残しておかないと、そこにしか住めない魚もいるのではないかなと。人間が生きていくためにはクラガリも必要なのかもしれないです。
子どものときって2駅、3駅先の場所に行くのもすごく勇気がいることで、そのクセ、心配する大人がそっちは危ないから行ったらダメだという場所に興味を持ったりする。頭のなかでそこにハマったら抜け出せなくなるとわかっていても抗えないこともありますよね。
僕は妄想と空想の世界が心の拠り所だった時期があるので、クラガリが持つファンタジーな世界に共感する部分があるし、とても心惹かれます」
そしてクラガリに似たものとして、「これは、忘れずに書いてほしいです(笑)」と言って教えてくれたのは……。
「クラガリとはちょっと違いますが、現実世界で夢と幻が交差する場所と聞かれてイメージするのは、浅草ロック座のストリップ。何度行っても涙が出そうになるくらい心が震えるというか、言語化できない感覚になるのはなんででしょうね」
エンターテインメントとは、どんな時代の空気も明るく変えて、ヒカリを感じさせてくれるもの。
「今回、この映画に出させていただいたことでポジティブにエンターテインメントの世界が拡がっていく楽しさを知りました。僕は新しいなにかで世界が動くという前兆にすごくワクワクするんです。40歳を過ぎたけれど、まだまだ恥をかく覚悟はできています。映画を観てくださった方の感想も楽しみですが、どうぞお手柔らかに。もし、次回どこかで声優の仕事をいただいたときにお受けするかどうかは、SNSの反応で決めようと思っています(笑)」
神田伯山/Hakuzan Kanda
1983年東京都生まれ。2007年、三代目神田松鯉に入門、神田松之丞と命名される。2012年二ツ目昇進。2020年に真打昇進と同時に六代目神田伯山襲名した。著書に『絶滅危惧職、講談師を生きる』『神田松之丞 講談入門』『講談放浪記』など。