人気を博しているアナログゲーム、「はぁって言うゲーム」を生み出したのは、伝説の落ちゲー「ぷよぷよ」を生み出したクリエーター、米光一成さんだ。天才的発想をし続ける、米光さんの頭の中を知るコラム。ぷよぷよ誕生秘話に学ぶ、企画立案術。
1991年「ぷよぷよ」誕生前史
「ぷよぷよ」はまったく違っていた。
もともとは「ぷよぷよ」ではなかった。まったく別のゲームだった。
別の人が落ちものパズルゲームを作っていた。
「どーみのす」というタイトルで、それは面白くなかった。
どうにかして面白くしようというテコ入れ会議に紛れ込んだせいで、ぼくは、そのプロジェクトを引き継ぐことになった。
安請け合いしてしまった。困った。
未完成で面白くないのであれば、「完成させれば面白くなるかも」という希望もある。
効果音をちゃんとつけると、ぐっと面白くなることはけっこうある。
だが、完成しているのだ。完成しているのに面白くないのである。
どうしてもテトリスになる
これをどうすれば面白くできるか?
考えても、見つからない。
あーして、こーして、そうすれば、あっ、これではテトリスではないか! みたいなことになる。
落ちものパズルゲームの開祖にして、偉大なる頂点のテトリスが立ちはだかる。
面白くしたとしても、テトリスの二番煎じじゃないか。
ぼくは、テトリスが大好きだっただけに、それは避けたかった。
会社をズル休みする
ぼくは、会社をズル休みした。
テトリスを要素分解して、その面白さの背骨が「ソリッド:硬さ」にあることを見つけた。
そして、「ソリッド:硬さ」をひっくり返して「ソフト:柔らかさ」をテーマにすればいいと、ひらめいた。
反転させると、すべての要素がドミノ倒しのようにパタパタとひっくり返った。
まったく違う新しい落ちものパズルゲームが作れると確信した。
設定された条件を疑う
だが、大きな問題がある。
ぼくのミッションは「少し改善するだけで面白くする」である。
にもかかわらず、この「ひらめき」は「少し改善する」どころではない。
だが、「少し改善する」という上司から与えられた条件を守っていたら「ぷよぷよ」は誕生しなかっただろう。
その条件を無視したから「ぷよぷよ」に生まれ変わったのだ。
まったく違うものにしようとしている。
「落ちものパズルゲーム」というジャンルは同じだが、それ以外はまったく違う。
「サイコロ落ちものゲーム」が、テトリスの「ソリッド」な良さをそのままに作ろうとしていた部分を、反転させるのだから、コンセプトがまったく違うのだ。
降ってくる「サイコロ」をやめて、ぷよぷよした柔らかいキャラクター「ぷよぷよ」が降ってくる。
こうなってくるとグラフィックスも描き直しだし、差し替えだ。
「どーみのす」から、プログラムもグラフィックスも大きく描き換えなければいけない。
確信がうまく言語化できない
ぼくは会社に行く電車の中で、問題点を書き出した。
- [1]開発期間は引き継いだ時点ですでにオーバーしている→これ以上あまり期間を伸ばしてはいけない。
- [2]グラフィッカーは次のプロジェクトに移行している→人をなるべく使うな。
- [3]プログラマーも次のプロジェクトが始まる→人をなるべく使うな。
- [4]そもそも「少し改善するだけ」という話になっている。
うわー、状況的には八方塞がりである。
そして、いま、ぼくが感じている「これなら、いける!」という確信は、まだうまく言語化できない。
ゲームの企画の難しさは、「作ってみないと分からない部分がたくさんある」ことだ。
人がプレイして、ゲームは初めてゲームとして立ち上がる。
それまでは、ただのプログラムだ。プレイヤーが、ボタンを押し、遊び、画面上のキャラクターとやりとりをする。インタラクションこそがゲームの魂だ。
いま、頭の中にあるコンセプトは、まだゲームとして立ち現れてない。
ぼくの中では、この方向で、このやり方で作れば、きっと面白くなるという確信はある。
この発見に、ワクワクして、胸が高鳴っている。
だが、それが、言葉で説明するだけで、他の人に伝わるだろうか。
問題点が増える
プログラマーは、次のプロジェクトの準備をしていた。
ニコニコしている。機嫌がいい。
「よし、いまだ」と近づく。
「どーみのすの件だけど」
プログラマーの顔が曇った。
あ。機嫌がいいのは、ようやく「どーみのす」から解放されて、新しいプロジェクトが始まったからだ。
「少し改善する件だけど、少しっていっても、まあ、あれこれやらざるを得ないから……」と、じょじょに納得してもう作戦は、このとき砕け散った。
ムリだ。
プログラマーは、いつまでたっても面白くならない「このプロジェクト」に辟易としている。
問題点が増えた。
- [5]しかも、いつまでたっても面白くならない「このプロジェクト」に辟易している。
いちかばちかだ
だから、ぼくは大きくでた。いちかばちかだ。
「めちゃくちゃ面白くするやり方がわかった」
「え?」
「どーみのすは、やめる」
「え? 改善するんじゃ?」
「サイコロをやめて、魔導物語のキャラクターでやる」
「いやいやいや。ぼく、もう次のプロジェクトに取り掛かるんですよ」
「うん」
「だから、一日、二日ぐらいなら改善の時間とりますけど」
「うん」
「総取っ替えだとムリです」
「でも、めっちゃ面白くなるのよ」
「ほんとですか?」
30年前のことなので、正確な会話は覚えていない。でも、「めちゃめちゃ面白くなる」と繰り返したのは覚えている。
尻拭いではない、新しいプロジェクトだ
「ほんと。で、すぐに次のプロジェクトに取り掛かってもらってもいい」
「え?」
「そのかわり、放課後に、1、2時間やってほしい」
「放課後って、学校じゃないですから」
「就業時間は次のプロジェクトをやって、それが終わってから少しだけ日々助けてほしい」
「うーん」
「まったく新しい、めっちゃ面白い落ちゲーにするから」
「それは、嬉しいですけど、そもそもデザイナーの手がないんですよ」
「ぷよぷよを使う。あれなら俺でも描ける」(実際にはムリで、デザイナーに頼むことになる)
「うーん、大きな改善になっちゃいますよね?」
「いや、改善じゃない。まったく新しいプロジェクトだ。でも、落ちゲーの骨格はもう作ってるわけだから、新しいプロジェクトだけど、土台はできてる、って状況」
とかなんとか。
「改善する」のではなくて、「新しいプロジェクト」だと言い張った。
ぼくが、会社をズル休みして見つけたあのワクワクするコンセプトは、まだうまく言語化できなかった。
でも、面白くならず辟易しているプロジェクトとはまったく違うものだという確信だけは伝えたかった。
いままでのプロジェクトの尻拭いではなくて、まったく新しい楽しいプロジェクトの始まりだと思ってほしかったのだ。
※続く