片岡鶴太郎の著書『老いては「好き」にしたがえ!』。そこには、ものまねでブレイク以降、役者稼業をベースに、ボクシング、絵画、ヨガ、三線と、己の「好き」にしたがい、やりたいことに挑戦し、情熱を注いできた心情が綴られている。どれも趣味レベルではなく、一流を極めることができたのはなぜなのか? その極意と、好きなことを追求する上で必要な孤独、その先にあった熟年離婚について話を聞いた。
一流を極める極意は、真実を追求する探究心
片岡鶴太郎は、ボクシング、絵画、演技、ヨガなどをただの趣味で終わらせず、すべて結果を出してきた。ボクシングはプロライセンスを取得。ヨガはインド政府のプロフェッショナルヨガのインストラクターを取得。人気俳優として40年活躍し、画家としても領域を広げ続けている。
「やっぱりその、やるからには趣味でやるということにあまり興味がないんですね。絵も、ヨガのきっかけになる瞑想も、ボクシングも、やりたいと思った理由として、そこにある真実や真理を知りたいという想いが一番強かったんだと思います。自分の中の魂やシード(種)が、なぜそれをやりたいと訴えかけてきたのかを知るために、日々反復し続けるんです。独りの時間を大切にして、孤独と向き合いながら。そうするうちに上達し、結果が出たというのはあると思います」
還暦が迫った頃から「死へのゴールが近づいてくると、自分に正直に生きたい」という気持ちが強まり、24歳で結婚して35年間連れ添った妻と、61歳で離婚した。いわゆる熟年離婚である。
死ぬまで夫婦でいることは考えられなかった
「もともとほぼ別居生活だったので、身の回りのことは一人で全部できますし、離婚しても生活は何も変わらないですね」
何も変わらないのなら、結婚したままでもいいのでは?
「夫婦生活をしていると、お互いに相手の足かせになるじゃないですか。それが俺にはもう無理だったんです。この先死ぬまで一緒に生活できるか、一緒にいられるかを想像したら、それはちょっと考えられませんでした。家内にも息子たちにもそれを正直に伝えました。還暦を迎えて残りの人生、家内も自分の好きなことだけをして生きていく方がいいんじゃないかという話をしたら、『鶴さんがそう言うならそれでいいんじゃないかですか』となりました」
これは筆者の推測だが、彼は自分が好きなことの純度をより高めるために、熟年離婚を決断し、自分をより孤独な状態にしたのではないだろうか。寂しい孤独ではなく、やりたいことに情熱を注ぐために必要な孤独。晴れて独身になったからといって、出逢いを求めるための行動を一切していないあたり、彼が満ち足りている証拠だろう。
「独身になってから8年、ガールフレンドが1人もいないんですよ。『この方いいな』『お食事に行きたいな』と思う人が出てきていない。そもそも外に出かけないので出会いがないですし、独りの生活がものすごく楽だし、エンジョイできている。出会いはご縁。ご縁がある人とは出会うべきときに出会うと思います」
100歳の自分がどうなっているのかを見てみたい
コロナ禍のステイホーム中に髪と髭が自然に伸びてワイルドな風貌になり、Instagramではそのイケオジならぬイケジイ(?)ぶりが好評だ。'80年代の『オレたちひょうきん族』で、むちむちボディで「マッチで〜す!」と絶叫し、アイドルの真似をしていた姿を記憶しているだけに、この渋みの増し方には感動すら覚えてしまう。70歳を前に、片岡鶴太郎はこれからもまだまだ変化、進化していきそうだが、本人は今後の人生をどうイメージしているのだろうか。
「できる限り現役で、元気に仕事をしていたいですよね。 絵を描いたり、芝居をしたり。人間は年をとってからがやっぱり本番だという思いが強いんで。お顔がハンサムな人は、若い頃は親からもらった遺伝で生きていけるけど、生き方によって顔がガラッと変わる人もいるじゃないですか。あれだけハンサムだったのに、 なんでこんな汚ねえ親父になっちゃってんの、顔に品がないよねえとか。あれってカッコ悪いですよね。
日々、その人が何を食して、何を思考して、どんなことに喜びを感じて、感動してるのかという内面が全部、この顔面に形状記憶されると思うんです。60歳、70歳になって、ようやく人間性や精神性が全部顔に出てくると思うので、私もこれから本腰を入れて、肉体と、顔と、人格も含めて鍛え上げていく時だろうなと思っています。朝起きる時も、いつもそう思います」
そしてその肉体も顔も、片岡鶴太郎という人間も、完成することはないと言う。
「『こうなりたい』という具体的なイメージもないですし。ただ、『こういう風になりたくない』ということだけは、避けておきたいなとは思いますよね。汚いジジイや、贅肉だらけのヤツは嫌ですよね。いくつになっても目が綺麗で、綺麗な体でいたいですし、洋服も洒落ていたいなって。
あと、いくつになっても芝居ができる役者でいたいですね。年をとった自分がどんな絵を描くのか、どんなヨガをやっているのか、90歳、100歳の自分を見てみたい。確実に良くなっていたいという思いがあるから、今日のトレーニング、ヨガの時間が大事だと思っています。そうやって1日1日を積み重ねていった先の自分がどうなるのかは、全然わからないですね。ただ、自分がずっと“行(ぎょう)”をしていく中で、自分が飽きたらそこでお終いだとは思います」
自分が自分に飽きないために、誰の手も借りずに、自分を進化させ続ける。とんでもなく厳しい道を歩いているのに、なんとも愉しそうである。彼の“老い楽”の極意が詰まった『老いては「好き」にしたがえ!』は、人生後半戦の良き友となってくれるはずだ。