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2023.09.09

【片岡鶴太郎】"更年期鬱"を病院にも頼らず、自ら乗り越えた方法

己の「やりたい」「好き」に忠実に生きてきた片岡鶴太郎が、70歳を前にして、その人生哲学を詰め込んだ生き方指南書『老いては「好き」にしたがえ!』を上梓した。インタビュー前編では、人気絶頂期のキャリアチェンジや、活躍の裏で人知れず悩まされていた更年期鬱を乗り越えた方法など、自身に打ち勝ちながらアップデートを成功させてきた秘訣を聞く。

自分が更年期だと認めたくなかった

1980年代、片岡鶴太郎はテレビのど真ん中で活躍する大人気芸人だった。30代で突如ボクシングのプロライセンスを取得して、役者へと本格的にシフトチェンジを試みる。40代からは画家として精力的に活動し、50代後半でヨガにのめり込み、60代からは「ちむどんどん」の役作りで出会った三線に本格的に取り組んでいる。直近ではお洒落なイケオジ化した風貌も注目の的だ。その行動力や挑戦力に通底しているのは、己の「やりたい」や「好き」に忠実であるところ。しかし50歳になった頃から鬱々とし始めた当時の自分を、更年期だったと振り返る。

「更年期鬱なんて、自分は絶対にならないと思っていたんですけど、ふっと気づいたら、考え事をして、一点を見つめて、ボーッとしているんですよ。ヤバいヤバい、俺何やってんだろう? ということが何度もありました。マイナスな、負の思考になっていましたね。役者の仕事も、10年やってきた絵の仕事も、今ひとつ滾(たぎ)るものがなくて。先のことを考えると、どうしたらいいのかなとどんどん閉塞感に襲われていって、『あ、これはヤバいな』と思ってね。あまり考えないようにしようと、自分をボクシングジムに放り込んでいっぱい汗をかいて、自分をヘトヘトに疲れさせて、ビールを1杯流し込んで、寝ようと。ネガティブなことを考えそうになると、『俺は大丈夫だ』『これを乗り越えればなんとかなる』と、ずーっと自分に話しかけていました」

仕事関係の人にも家族にもSOSは一切出さず、暗い穴の中で孤独に踏ん張った。『大丈夫だ』という言葉の力で自己暗示をかけていくうちに、いつしかネガティブなことを考えなくなり、グレーがかった視界が晴れていたという。

「自分が更年期だって、認めたくなかったんでしょうね。だからメンタルクリニックみたいなところにも行きませんでした。病気だと診断されたら、余計に落ち込むと思ったから。あと、『どこが痛いの?』って、上から(目線で接して)くるじゃないですか。自分の弱みを見せたくない性格なんでしょうね」

更年期は生理的なもの。なんなら自分のせいではないし、程度の差はあれ、みんな悩まされている。今ではそう俯瞰することができるようになった。

「50代はやっぱり体力も落ちてくるし、ホルモンのバランスも崩れて、いろいろ衰えてくるんでしょうね。それは人間の体にとって自然なことだから、深く考えても仕方がない。あの方法が、自分にとっては正解だったと思います」

贅肉がまとわりついた体に自己嫌悪

更年期鬱から自力で脱却したことからもわかるように、彼のメンタルは強靭だ。『オレたちひょうきん族』や『男女7人夏物語』などで人気絶頂だった彼は、32歳(1986年)の頃に、突如ボクシングを習い始める。そのエピソードにも、メンタルの強さが表れている。

「バラエティーをやっていた'80年代は、仕事がめちゃくちゃ忙しくてね。非常に刹那的な日々というか、毎日朝から番組で体を張って、休みがないストレスで酒を飲んで、仲間とご飯を腹いっぱい食べてということを繰り返していたら、贅肉だらけの体になっちゃったんですよ。磁石に着いた砂鉄のように、贅肉がまとわりついている。それがとても嫌で嫌で、自己嫌悪が凄かった。テレビに自分が映っていると『やだなー、抹殺したいなー』と思って消しましたもん。このまま死んだらものすごく後悔するなと思って、1回自分をリセットして新たな自分にならないと納得できないと思ったんです」

そのリセットは、芸人から役者へと本格的にシフトチェンジするためものでもあった。食事を1日2食にして、ボクシングジムに通い始めた片岡は、死にものぐるいで練習し、年齢制限ギリギリの33歳でプロテストを受けて、最初で最後のチャンスをものにした。

「事務所からは、2年先までスケジュールが埋まっているのにボクシングなんて痛いしやめなよ、と言われました。でも、自分の未来を考えると、そのタイミングで自分を変えるしかなかった。ぶよぶよの体ではコミカルな役しか来ない。いろいろな役を演じるためには、見た目を変える必要があったんです。仕事を減らしてトレーニングをしたので収入もダウンしましたが、それまでの仕事を失うことは、まったく怖くなかったですね」

以来30年余、片岡鶴太郎は俳優として変幻自在の活躍をし続けている。

全部自分で考えて、自分で結論を出して、自分でやる

60歳を目前に始めたヨガも、仕事の9時間前に起床し、3時間ヨガをし、2時間半かけて朝食をとる生活が奇人扱いされて、バラエティー番組でおもしろおかしく取り上げられた。そこでも、片岡のメンタルは一切ダメージを受けることがなかった。

「人から何を言われても全然関係ないですよね。私がやっていることを色々言う人がいるけど、『まあ、ヨガの素晴らしさがわからない人はそう言うだろうけど、それはそれでいいんじゃない? ヨガがもたらす多幸感やヨガの真髄を私は知っているけれど、あの人は知らないんだもんね、へへへ』と思ってます(笑)」

他者評価を気にしない反面、自分を見つめる眼差しは非常に厳しい。

「自分のことで精一杯なので、人のことを考えてられないんです。だから相談もしない。全部自分で考えて、自分で結論を出して、自分でやる。全部自分のためです。逆に言えば、ヨガなんて誰も見てないんだからやんなくたっていいわけです。誰が怒るものでもないし。でも、やらない自分を自分が一番許せない。やらなかった自分になりたくないし、やらない自分を上から見られないんです」 

ヨガを始めてから12年が経つが、毎朝、1日たりともやらなかった日がないという。これも、彼のメンタルの強さを象徴するエピソードといえるだろう。

「眠たいときもあるし、『今日ちょっとしんどいな、サボるか?』と自分に聞く時もありますよ。でも結局、一度もサボったことがない。やった方が、終わったときに『やってよかったな』って毎朝思えるから。『あ、いい朝を迎えたな』って。ヨガを始めてから、嫌な朝を迎えたことないんですよね。だからもしもサボったら、どんな落ち込み方をするのか、そっちの方が怖いですね」

「全部自分のため」と言い切り、自分がやりたいことをとことん追求する姿が清々しい。次回は、70歳目前の片岡鶴太郎が「孤独」を愛する理由と、今後どこに向かっていくのかを探る。

片岡鶴太郎/Tsurutaro Kataoka
1954年東京都生まれ。幼少の頃より役者を夢見て、高校卒業後に片岡鶴八師匠に弟子入り。3年後、東宝名人会、浅草演芸場に出演し、以後『オレたちひょうきん族』などのバラエティー番組で人気を誇る。30代で役者に転身後、『季節はずれの海岸物語』、『金田一耕助シリーズ』、『八丁堀の七人』などに主演。1988年に出演した映画『異人たちとの夏』日本アカデミー賞最優秀助演男優賞など数多くの賞を受賞。近年の出演作は『連続テレビ小説 ちむどんどん』や『警部補ダイマジン』ほか、映画や舞台でも活躍している。また、書の芥川賞と言われる「手島右卿賞」を受賞、芸術家としても名高い。ボクシングのプロライセンスを持ち、ヨガマスターとしても活躍中。@tsurutaro_kataoka_official

TEXT=須永貴子

PHOTOGRAPH=田中駿伍(MAETTICO)

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