なぜシーズン前に退任を発表したのか、選手選考に私情は挟んだのか、サイン盗みはあったのか……。元阪神タイガース監督・矢野燿大に、スポーツライター・金子達仁が独占インタビュー。今だからこそ話せる、その真意を探る。短期連載第6回。
もし髙津監督的な投手交代ができたら少し違った
勝利の数は、阪神の方が「4」上回っていた。だが、引き分けが少なかった分、勝率では5厘、ヤクルトの後塵を拝していた。直接対決の結果が一つでも逆になっていれば、ひっくり返ってしまうほどの歴史的な僅差だった。
勝因は、敗因は、おそらく考えれば考えるだけ出てきてしまう。ただ、「なぜ勝てなかったのか」と問われた矢野が、まず口にしたのは「投手交代」だった。
「もうちょっと、なんとかできたんちゃうかっていうのは、自分の中にありましたね。というのは、髙津監督の使い方、ぼくからすると『え、ここでそれ行くん?』みたいな交代、結構あったんですよ。もちろん、どちらのやり方にもいい面、悪い面があると思うんですけど、もしぼくに髙津監督的な投手交代ができてたら、1勝や2勝は変えられる可能性があったんちゃうかなっていうのは、聞かれて、いま思いました」
矢野が「自分にはないやり方やった」と振り返ったのは、こんな場面だった。
「4回3分の2。そこまで来たら、あと3分の1投げさせて、どんな結果になろうとも自分の責任として受け止めてほしい、それを次の登板に生かしてほしいっていうのが現役のときからのぼくの考えでした。でも、髙津監督って、そういう場面でスパッと変えることがあった。するとどうなったか。あとから出てきたピッチャーのメンタルとか技術が成長してったんですよ。ぼくは先に投げてたピッチャーの方に頭が行ってましたけど、そうか、ああいう場面で投入されるピッチャーが伸びるってこともあるんやなって。あれは、髙津監督が最初から狙ってたことなんか、それとも結果的にそうなっただけなのかっていうのは、めちゃくちゃ聞いてみたいですね」
ヤクルト戦での“サイン盗み事件”の真相
矢野と髙津監督は同級生でもある。野村門下生、ファーム監督からの昇格、就任前年度のチームが最下位だったことなど、共通点も多い。
ただ、そんな2人が激しく衝突しかけた場面があった。2021年7月6日、神宮球場での出来事だった。阪神が4点リードで迎えた5回2アウト1、2塁、バッター佐藤という場面で、“事件”は起きた。
「ヤクルト側のベンチから聞こえてきたんですよ。動くなって言ってるのが。最初は何を言ってるのか、意味がわかりませんでした」
それが一度きりのことであれば、聞き逃すこともできた。だが、一度ならず二度、二度ならず三度、ヤクルト・ベンチからは声が飛んできた。
彼らは、2塁走者の近本がサイン盗みをしていると叫んでいたのである。
矢野の理性のタガが外れた。
「ぼくら、常日頃から子供たちの見本になろうぜって言ってやってきた。甲子園での試合後、負けてもちゃんと挨拶しようやっていうのもそういうことでした。サイン盗み? やるわけがない」
YouTubeには、そのときの矢野の反応が映像として残されている。マスクをしているので口の動きまではわからないが、「やるわけないやろ、ぼけ!」と叫んでいるのは、明らかに矢野の声だった。
「勝つことだけにこだわりすぎない、野球を楽しむ、子供たちの見本になる──ぼくら、そんな価値観でやってきました。サイン盗みって、そういうのと一番遠いとこにあるやり方やないですか。ぼくは現役時代から絶対にやってないし、監督になってからもやらしてない。そもそも、やろうと考えたことすらない。スタッフにも聞きました。まさか、俺の知らないとこでやらしたりしてへんよな。やってないって言う。でも、ヤクルトのベンチは俺らが、サイン盗みをやってると。屈辱でした」
矢野はキレた。濡れ衣を着せてきたヤクルト・ベンチに向かって激しい口調でやり返した。それだけで事が終わっていれば、よくある「ちょっとした小競り合い」で片づいていたかもしれない。騒動が複雑化し、かつ大きくなったのは、そこに第三の男が加わってきたからだった。
村上宗隆である。
彼のポジションはサードだった。阪神側が陣取る3塁側ベンチに一番近いところにいた選手でもある村上は、自軍のコーチを罵倒する声を飛ばす阪神ベンチににじり寄った。
YouTubeの映像には、1塁側のベンチに向かって怒りの言葉を投げつけていた矢野が、視界の左側から近づいてくる村上に気づき、一瞥をくれた場面が残されている。村上にとって怒りの対象は阪神ベンチだったが、矢野にとっての対象は1塁側のベンチだった。
だが、メディアやファンのとらえ方は違った。
53歳の指揮官が、21歳の選手を恫喝した──。
矢野には、村上を恫喝したつもりはないし、そのことは、YouTubeを見てもわかる。そもそも、彼が激昂したのは、自らがもっとも忌み嫌っていた行為を、敵ベンチからあたかもやっているかのように揶揄されたからだった。矢野からすれば、濡れ衣から始まったトラブルだったが、世間からはまずサイン盗みの疑念をかけられ、かつ、村上を恫喝したことがまるで事実であるがごとく扱われた。
激しい怒りが去った穴に入り込んだのは、徒労感だった。
この試合がある種のターニング・ポイントだった
それでも、試合の翌日、彼は髙津監督と話し合う機会を持った。
「同級生なんで、ちょっと時間作ってくれへんって頼んで、話しました。俺は絶対にやってないし、これからやることもない。怪しいこともせんようにする。そこは俺を信じてくれっていいました。万が一、万が一にでも誰かがやってるなんてことが明らかになったら、俺はどんな処罰でも受けるって。髙津監督も『わかった、何かあったらまた言ってくれ』みたいなこと言ってくれて、そのときの感覚で言うと、納得してくれたんちゃうかなっていうのはありました」
ひとまず、着せられた濡れ衣は脱ぐことができた。以後、ヤクルトのベンチから声が飛ぶこともなくなった。とはいえ、矢野からすればこの騒動から得たものは何もなく、せいぜい、マイナス100がゼロに近づいただけのことだった。
そして、ゼロに戻ることもなかった。
「どんどんチャレンジするっていうのがウチの走塁の特徴だったんですけど、あの騒動以降、少し変質したところはあったかなあ……。疑いの目を向けられたことで、変な足かせがついてしまったっていうか。そういう意味では、あの試合がある種のターニング・ポイントやったっていうのは言えるかもしれません」
この試合以降の阪神が失速したわけではない。大逆転が起きたのは、阪神が弱かったというより、ヤクルトが強かったということに尽きる。しかし、この騒動によって、矢野燿大という人物に対する心証は、相当に悪化した。そのことが阪神の成績にどんな影響を及ぼしたかはわからない。ただ、プラスの影響がなかったことだけは間違いない。
優勝に0.005パーセント及ばず、矢野の3年目は終わった。