近年、埼玉県川口市においてクルド人をめぐるトラブルが起きている――。そうネットを中心に活発な議論が巻き起こっているが果たして真相は如何なるものなのか。この問題に関して門外漢であり、「反クルド」でも「親クルド」でもない著者が、実際に川口市に滞在。そこで目の当たりにしたおどろくべき実情とは? 『おどろきの「クルド人問題」』(新潮社)の一部を抜粋・再構成して紹介します。【その他の記事はこちら】

病院で展開されたクルド人対クルド人の戦い
2023年7月、市内の西新井宿にある総合病院、川口市立医療センターで「暴動」が起きた。この件については、「産経新聞」が詳しく報じている。というか、新聞では産経新聞以外はほとんど扱っていないというのが現実だ。以下、同紙の記事(2023年7月31日付【「移民」と日本人】埼玉・川口 クルド人殺到…おびえる市民)をもとに当時の状況を見てみよう。
発端は市内安行原での襲撃。当時45歳の解体業で働くクルド人の男をはじめとするグループが、同36歳と26歳のクルド人の男を刃物で襲った。
加害者グループはクルマで逃げる被害者二人を追い、日本人住民の駐車場に追いつめ、頭部や頸部を刺して重傷を負わせ、路面は血で濡れた。
怒号におびえた住民が警察に通報。負傷したクルド人は救急搬送された。頭や首をねらったことに、強い憎しみが想像できる。
襲撃の原因は、いわゆる不倫。被害者の男が加害者の男の妻と関係を持ち、横浜方面に駆け落ちした。当の女性は、暴動のときにはすでにトルコに帰国していたが、妻を奪われた側の怒りは収まらなかったようだ。この事件で、被害者、加害者ともに運ばれたのが川口市立医療センターだった。
ちなみに川上洋一著『クルド人 もうひとつの中東問題』(集英社新書)によると、長く山岳地帯で暮らしてきたことから、クルド人は民族同士の結びつきはあまり強くないという。山と山の間の谷にファミリーごとに集落をつくってきたため、隣の谷の村とは山によって分断され、親密になりづらかったようだ。「山よりほかに友はなし」という言葉が、クルド人では言い伝えられている。やはり同書によると、彼らは山に囲まれて、山とともに生きていた。
その一方で家族や一族内の結束は強いようだ。この件では、病院に短時間で被害者と加害者、両ファミリーが続々と集結。クルド人対クルド人の戦いが展開された。病院の通報によって警察車両や県警機動隊も動員され、深夜にかけて男女約100人の大騒乱になった。この暴動で、医療センターでは23時半ごろから翌5時までの約5時間半救命救急搬送の受け入れを停止した。
消防によると、この時間内に市内で14件の出動があったものの重篤な3次救急の案件は確認されなかった。しかし、川口市立医療センターは県南部医療圏で唯一の3次救急医療を担う病院。そこの受け入れ体制が長時間断たれたことで現場は緊張した。
この事件で加害者ファミリーの45歳の男と24歳の男が殺人未遂で逮捕されたが、不起訴処分になっている。
先ほどこの件はほとんど新聞が扱っていないと書いた。そんなことあるのかと思われるかもしれないが、これほどの騒ぎを大新聞はすべてスルーしている(「朝日新聞」はこれによって差別的な言説が広まることを心配した記事を掲載している)。
なお、ドラッグを使っていた24歳の男は殺人未遂、麻薬及び向精神薬取締法違反で逮捕されたものの不起訴のままトルコに帰国。ところが、2024年5月に日本への再入国をくわだてた。
2024年6月19日付の「産経新聞」と「週刊新潮」(6月27日号)によると、この男は入管のフロアに寝転がって帰国を拒んだ。
「帰りたくない!」「救急車を呼べ!」──叫んで暴れて、羽田空港内の入管施設に収容された。すると、クルド人の男はハンガーストライキを行った。
食べなければ元気はなくなる。治療を要求して川口へ行き、ファミリーに保護された。しかし医師の診断は「治療の必要なし」。男はトルコに送還された。
その際、送還させようとする入管への抗議で、空港に約20人のクルド人や支援団体のメンバーが集まり騒ぎになっている。男のファミリーは捨て台詞を吐いたという。
「すぐに再来日させてやる」「弁護士やマスコミを連れてくる」──入管が動かなければ、薬物を摂取し刃物を振り回し殺人未遂で逮捕されたクルド人にまた入国されてしまうところだった。
ちなみにこの再送還にはトルコ航空機を利用。一般の乗客も乗っている。当然入管の引率も必要。送還に必要な数百万円のコストは日本の税金でまかなわれている。
川口市立医療センターを実際に訪れると、首都高速道路川口線と外環自動車道が交わる川口ジャンクションの近くの静かな地域にあった。それでも、朝から地域住民が次々と集まってくる。行政がつかさどる総合病院ということもあり、地域住民の命を支える重要な役割を担っている。その機能を5時間半止めるのはとても危険だと感じた。
石神賢介/Kensuke Ishigami
1962年生まれ。大学卒業後、雑誌・書籍の編集者を経てライターに。人物ルポルタージュからスポーツ、音楽、文学まで幅広いジャンルを手がける。三十代のときに一度結婚したが離婚。著書に四十代のときの婚活体験をまとめた『婚活したらすごかった』など。