アポの時間に遅れるのは日常茶飯事、段取りが苦手で物事の計画は立てない、嫌なことは後回し、ルールは破るのが当たり前……。しかし、最後にはなぜかうまくいく。日本人とは真逆の国民性を持っているからこそ、そこには学ぶべきことがたくさんあるはずだ! 実に30年以上にわたってイタリアと関わり、イタリア人に数えきれないほど痛い目に遭わされてきた著者・宮嶋勲氏が語る、イタリア人の生き方の神髄とは? 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(日経ビジネス人文庫)の一部を引用、再編集してお届けする。全4回。#1
オーナーは社員にとって「親父」、会社は「第二の我が家」
イタリア人が働き者というと悪い冗談かと思われるかもしれないが、私の知っているイタリア人は、ほとんどがかなりの働き者である。
ただ、20世紀型のサラリーマン社会の労働パターンには向いていなくて、前近代的家族工房型の労働パターンで力を発揮するようである。
近代的労働は、雇用主のために労働を提供し、それに見合った対価を受け取るという契約で成り立っている。対価を受け取る限り、それに見合った仕事をきっちり行うということが重要だが、同時に対価以上の労働は一切する必要がない。
基本的には無機質な労働と賃金のやり取りで、雇用主と労働者の間に人間的関係がなくても成立する。
イタリア人は、基本的にこの関係が得意でないように思われる。このような近代的労働においては、仕事を自分のものと感じて感情移入することが難しい。
近代的労働において人を労働にかき立てるのは、「対価をもらっているのだから、ちゃんと労働を提供しなければならない」という義務意識である。イタリア人はもともと義務意識の弱い国民で、自分のものとして感情移入できないことに関心を持てないし、熱中できないのである。
とくに会社や組織が大きくなればなるほどそうだ。したがってこのカテゴリーのイタリア人は労働意欲が低い人が多く、その典型的な例が公務員である。
イタリアの公共サービスの能率の悪さは悪名高いが、実際私が接していても、仕事をする気がまったくない人が多い。末端になればなるほどそうで、行政窓口などは皆仕事を避けたがり、たらい回しにされることも珍しくない。
一昔前までは、タイムカードを押したらあとはバルに行ってコーヒーを飲んだり、職場の仲間とおしゃべりしたりして一日を過ごして、時間になったらすぐに帰宅して、第二の仕事(闇の仕事として、ウェイターや工房手伝いなどの副業を持っている人が多かった)に精を出すということが多かった。
そういう人に限って、第二の仕事のほうでは生き生きとして熱心に働いている場合も多いから面白い。
近代的労働に対して、家族工房的労働は、労働対価や契約といった要素が薄まり、人間的関係がより深くなる。オーナーとそこで働く人は、単なる雇用主と労働者というドライな関係ではなく、友人や家族の一員のようになっている場合が多い。
イタリアの経済基盤を支える中小企業の多くがこのカテゴリーに入るし、私が最も頻繁に関わるワイナリーも、ほとんどがそうだ。ここでは公私の区別が曖昧になりやすく、労働時間の区切りも厳密でない。ただ、自分のやっている仕事の意義は目に見えて感じられるし、仕事に感情移入することも容易である。
イタリア人は最も力を発揮して一生懸命働くのが、この家族工房型の企業である。
イタリア経済を支えているのもこの家族工房型で、世界的菓子メーカーのフェレロ、ファッションのサルヴァトーレ・フェラガモ、ベネトン、ワイナリーでいえばアンティノリやフレスコバルディなどは、世界的成功にもかかわらず、いまだに家族工房的特徴を完全に保持している。
ここでは、オーナーは社員にとって「親父」であり、会社は「第二の我が家」である。
高度成長期の日本を支えた家族経営企業の雰囲気が、これらのイタリア企業には色濃く残っている。ワイナリーの仕事は朝も早いし、夕食が絡んでくることも多いので、真夜中まで働くことも多い。出張で家を空けることも多いが、皆生き生きとして熱心に働いている。「残業代はどうなっているのか」とか言うような人はまずいない。
無機質な労働は苦手だが、目に見えることには一生懸命になれるのである。