アポの時間に遅れるのは日常茶飯事、段取りが苦手で物事の計画は立てない、嫌なことは後回し、ルールは破るのが当たり前……。しかし、最後にはなぜかうまくいく。日本人とは真逆の国民性を持っているからこそ、そこには学ぶべきことがたくさんあるはずだ! 実に30年以上にわたってイタリアと関わり、イタリア人に数えきれないほど痛い目に遭わされてきた著者・宮嶋勲氏が語る、イタリア人の生き方の神髄とは? 『最後はなぜかうまくいくイタリア人』(日経ビジネス人文庫)の一部を引用、再編集してお届けする。全4回。#1/#2
女性にモテることが自らの存在理由
「ラテンラバー」という言葉がある。イタリアやスペインの情熱的なプレイボーイを意味し、イタリア生まれの無声映画のスター、ルドルフ・ヴァレンティノがその原イメージになっているとされる。イタリア人男性には、この役割を演じなければならないという「呪縛」に囚われている人が少なくない。
このような自称ラテンラバー君は、女性にモテることが自らの存在理由であるので、いかに自分が女性にモテるかをアピールしたがる。女性とのアヴァンチュールを手柄話のように話しまくるのだ。
だから彼らは恋人ができると、それを友人たちにすぐに見せたがる。自分が密かに彼女との恋を楽しんでいただけでは、ラテンラバーとしての存在をアピールできず、意味がないからである。
このような男性はダイエットにも気をつけて、体も鍛えているので、男性の私から見てもなかなか格好いいし好感も持てる。案外頭のいい人も多く、話していても退屈しない。私はワインの仕事を始める前に、映画の仕事をすこししていた時代があったが、そのころはこの手の友人が何人かいた。
不思議なことだが、彼らは、結婚は敗北であると考えている。
ドン・ジョヴァンニのように、結婚しないで各地の女性とアヴァンチュールを重ねるのが理想というわけだ。だから、自分が結婚していることを恥じていて、「一瞬の心の迷いだった」などと訳の分からない言い訳をしている。
印象に残っている風景がある。映画の撮影をしていたときのことだ。日伊合作で、私はイタリア側のスタッフだった。ラテンラバー君が何人かいて、どちらが先に日本側の女性をものにするかという馬鹿げた賭けをしている。
「本当にお前たちも暇な連中だな」と冷やかすと、「イサオも参加しろ」と言う。なんの話かと聞いてみると、イタリア人男性が日本人女性をものにする数と、日本人男性がイタリア人女性をものにする数のトトカルチョをしているのだと言う。
付き合い切れない連中だと思ったが、しつこいので「3対1」に賭けておいたら、「なかなかいいところを突いたな」と満足気に肩を叩かれた。
その日の夜にダンスパーティーのようなものがあり、日伊双方のスタッフとも寛いで楽しげに飲んだり踊ったりしていた。ラテンラバー君のひとりは40歳近いバツイチだったが、盛り上げ上手でダンスもうまく、狙った女性といい感じになっている。
私は会場が暑くて息が詰まってきたので、涼しい空気を吸いに外に出た。
同じく外に出ていたスタッフと5分ほど話して会場に帰ると、バンドが休憩時間に入ったのか、音楽は止んでいた。ラテンラバー君がひとりでカウンターに座っていたので、「調子はどうだ?」と後ろから話しかけると、それまで気づかなかったが、彼はこめかみを押さえて相当疲れているような感じだった。
私はちょっと驚いて、「どうしたんだ。大丈夫か?」と尋ねると、彼は急に外向きの笑顔になって「もちろん大丈夫」と元気な声を出し、再び始まった音楽とともに踊りに飛び出していった。
その後、彼が目的を達成したと聞いたが、祝福するよりも、なんとなく可哀そうな気になったのを覚えている。
自分が若いころから演じてきたラテンラバーの役割がもうそろそろ辛くなってきているのに、それ以外の役柄をまだ見つけられないでいるような気がしたからだ。そして本当に女性を愛することの幸せではなく、数を競ったりする虚栄心の愚かさに、嫌気がさしてきているのではないだろうかという気がしたのだ。
その後、私は映画の仕事を離れたのでこの手の人種と遭遇する機会は減ったが、いまでもたまに洒脱な元プレイボーイのような男性に出会うと、「あのときのラテンラバー君も、年相応の新しい役柄を見つけられただろうか」と思いを馳せる。