2025年9月12日に公開される映画『Dear Stranger /ディアストレンジャー』。ニューヨークで暮らすアジア人夫婦の息子が誘拐されたことをきっかけに、二人の秘密が浮き彫りとなり家族が崩壊していく姿を描いている。本作で夫の賢治を演じる西島秀俊さんにインタビュー。

「すべての家庭人は、人生の半ばをあきらめて居る」
これは、およそ100年前、詩人の萩原朔太郎が伝統的な結婚制度がもたらす精神的、感情的な犠牲や、女性が置かれた不平等な立場に対して問題提起をしたエッセイ『虚妄の正義』の中の「結婚と女性」で書いた一文である。
100年経っても事態はそう簡単には変わらない。
真利子哲也監督の新作映画『Dear Stranger/ディア・ストレンジャー』はニューヨークで暮らす日本人の夫とアジア系アメリカ人の妻がキャリアと子育てのバランスに揺れる中、子供が誘拐され、互いが隠し持っていた本音が激しくぶつかり合うスリリングな心理劇。主人公・賢治を演じた西島秀俊にミドルエイジが直面する難しさを表現した今作について聞いた。
夫・賢治、妻・ジェーン、どちらにも共感する
――西島さん演じる賢治は妻のジェーン(グイ・ルンメイ)とともに息子のカイを慈しんで育てているものの、ジェーンは主宰する人形劇の劇団でのキャリアを諦められず、母親業だけにとどまりたくないと考えています。
「『ディストラクション・ベイビーズ』(2016年)や『宮本から君へ』(2019年)で真利子監督は直接的な肉体の暴力について描いていましたが、本作は以前とは違う、新しい挑戦をされたと感じています。
『Dear Stranger /ディア・ストレンジャー』では、自分が生きるために必要なものなのに周りからは理解されなかったり、現実と自分の必要なこととの折り合いがうまくつかなかったりしています。これは現実にあることで、僕たちが日常的に感じている、生きていくうえでの難しい問題を描こうとしたのではないかと感じています」
――賢治はニューヨークの大学で研究者として働いています。テニュアトラックの入門職としての助教授から中堅職の准教授への
「家庭によって違うと思いますが、一般的にどうしても女性側が勝手に背負わされてしまうことは多いですよね。まさにジェーンがそうですが、女性が自己実現するために何かを犠牲にすることが、なかなか周囲から理解されない。彼女にとって人形劇での成功は生きるうえで必要としていることだけれど、周りから、特に母親からも、それはなくてもいいんじゃないかと言われてしまう。
個人的にも、ジェーンの葛藤には共感を覚えます。表現することは僕にとって生きるうえで必要なものだと感じていますが、周りにはなかなかわかってもらえないこともあります。 とはいえ、賢治が研究職としてもう一つ上の段階に進む機会は今を逃すとない、という焦りもわかります。それなのに周りの、特に家庭の環境が整っていないという状況へのストレスも理解できる。どちらの立場も共感できるところです」
トラウマは足枷にもなるが、次への推進力にもなる
――賢治は客観的に見ると子育てに積極的に参加していて、家庭の運営にも積極的ですが、前半はポーカーフェイスで本音がよく見えません。中盤からどんどん彼の抱える闇が露わになってきて、そこには日本で被災したバックボーンがうっすら見えて、だから日本にいたくない心境や、研究者として「廃墟」というものにこだわっている背景が浮かび上がってきます。賢治の複雑なパーソナリティを演じるうえでどのようにアプローチされましたか。
「過去に囚われてしまうことは誰しもあると思いますし、僕自身もそういう経験はあります。そういったトラウマは足枷になる一方で、次にジャンプするための推進力にもなる。賢治は自分のトラウマを研究対象にしつつ、手放して開放されたいとも願っています。複雑な思いがそこにあるというのが僕なりの考えです。過去の喜ばしくない出来事が今の自分の原動力になっているけれども、同時にそこに囚われてしまっているというように、プラスにもマイナスにも働いている。自分自身の同様の体験を、賢治に照らし合わせて掘り下げていきました」
――ジェーンは賢治のトラウマをなんとかしてあげられると思っているのかな、という節を感じましたが、個人のトラウマは家族といえどもそう簡単に解消できません。二人の間にはうっすら依存の関係性もあるように感じましたが、どのように思われますか。
「僕は依存の関係とは見ていなかったです。どちらかというと、ある家族の中で、互いに見ないようにしていたことに、子供が誘拐されたことで突然直面せざるを得なくなる。賢治とジェーンの間ではお互いに整理がついていたつもりのことが、実ははっきりと話し合っていなかったし、気持ちの整理もつけていないまま進んでいたことがわかった。では、これからどうするのか、という話だと思います。そして、それはどこの家族でも他者と暮らす中で、大なり小なり出てくる問題なのではないかという気がします」

――ジェーンが賢治に見せない自身の孤独を人形と向き合って表現する場面が幻想的で、夫婦というのはそういう知らない時間が多くあるのだとも感じました。
「ジェーンが人形を操り、あたかも会話するかのように自分の感情を出しているシーンは、僕自身は映画の完成後に初めて観ましたが、ジェーンの内面がものすごく出ていて、演じているルンメイさんの表現力に感動しました。ルンメイさんは1ヵ月半の撮影期間中、人形の操作の稽古をずっとしていて、撮影の休みの日にもどこかに行ったりせず、ただただ練習に集中していたんです。そういう俳優としての素晴らしい資質がそのまま出てきた場面だったと思います」
――余談ですが、西島さん自身は理想の父親像や何か指針はありますか。
「理想の父親像を考えたことは正直ないですね。どちらかというと、日々の目の前で起きていることに対して、自分なりに精一杯正しく対処するという感じで、具体的な理想像は考えたことがないです」
後編(2025年9月12日公開)では、54歳となった今、海外作品にも意欲的に挑戦するなど活躍の場を広げる西島さんにとっての原動力を聞く。
西島秀俊/Hidetoshi Nishijima
1971年東京都生まれ。1992年にドラマ『はぐれ刑事純情派5』で俳優デビュー。1994年に『居酒屋ゆうれい』で映画初出演、黒沢清監督の『ニンゲン合格』(1999年)で初めて主演を務めた。その後も多彩な映画やドラマに出演。2021年には主演を務めた映画『ドライブ・マイ・カー』で、第56回全米批評家協会賞でアジア人初の主演男優賞を受賞した。近年では、映画『首』(2023年)、『スオミの話をしよう』(2024年)、A24制作のAppleTV+『Sunny』(2024年)や、Prime Video『人間標本』(2025年12月19日配信開始)など、国内外の作品に出演し活躍中。