PERSON

2025.07.14

サッカー・小川航基「W杯優勝には、すべてができるフォワードが必要」

2026年W杯アメリカ・カナダ・メキシコ大会へ挑む日本代表のエースストライカーとして活躍が期待される小川航基選手。2016年にジュビロ磐田加入時から大きな期待を背負っていた。しかし、2017年久保建英や堂安律など、現日本代表の中心選手たちとともに出場したU-20W杯で左膝の前十字じん帯断裂および半月板損傷。長いリハビリを強いられる。現在はオランダNECナイメヘンに所属。プロサッカー選手としてのキャリアについて振り返ってもらった。最終回

小川航基

小学生のころにやった逆足を使う練習が今も活きている

――ホームタウンであるオランダ東部のドイツ国境に近いナイメヘンは、オランダ最古の都市ともいわれていますが、どういう街ですか?

「とても住みやすくて、周りの人たちもすごくいいひとばかりです。僕にとって初めての海外移籍でしたし、妻や子どもたちにとっても暮らしやすい場所ですね」

――お子さんは?

「4歳と1歳の娘がいます。隣町のインターナショナルスクールに通っています。クルマで30分くらいのところなんですが、送り迎えともに僕が担当しています。僕自身今、英語の勉強を頑張っていますが、数年すれば、娘たちの英語のほうが上達しているかもしれません(笑)。それくらい楽しそうです」

――長身でありながら、高い技術を持つ小川選手が子どものころにやっていてよかった練習はどんなものですか?

「横浜FC時代に右足、左足、ヘディングのシュートで同じような数のゴールを決められたんですが、小学生のころ、父親から逆足を使う練習を提案されてやっていたのはよかったと思います。高校や大人になってからやっても、身につきにくいけれど、小さいころなら身につくことは結構あるんですよ。

あと、とにかくシュートを打つトレーニングをやっていましたね。学校へ行く前や放課後に公園で、コーンを置いて、ドリブルしたり、シュート打ったり。今でも、ゴールがあると、ゴールの内側にコーンを置いて、コーンとポストの狭い間にシュートを打つ練習を反復で行ったりしますよ」

小川航基/Koki Ogawa
1997年8月8日神奈川県横浜市生まれ。桐光学園からジュビロ磐田へ加入。2017年、プロデビュー。同年U-20W杯で左膝の前十字じん帯断裂および半月板損傷し、1年近くリハビリを強いられた。2019年夏水戸ホーリーホックへ期限付き移籍し、17試合出場7得点。翌年、ジュビロ磐田へ戻り、2022年横浜FCへ完全移籍。41試合出場26点を挙げ、J1昇格に貢献。2023年J1でも15試合6得点と活躍し、7月オランダNECナイメヘンへ移籍する。日本代表では、9試合9得点。

環境を変えてたぎらせ続けた野心によって、上昇できた

――日本にいた時代、ジュビロ磐田、水戸ホーリーホック、横浜FCと環境を変えてきました。環境を変えることを求めているようにも感じますが。

「もう、どんどん、どんどん環境を変えていきたいタイプですね、僕は」

――出場機会を求めて、移籍しても、結果が残せない選手も少なくありません。環境を変えるときに大事なことはなんでしょうか?

「1番はやっぱり気持ちだと思います。反骨精神だったり、ここで絶対に這い上がるんだという気持ちだったり、また(J1へ)戻るんだとか、次のステップに行くんだという野心みたいなものがないと、新しい場所でも、落ちていってしまうと思うので。僕自身はずっとそういう想いを持って、移籍していました。もちろん気持ちだけではどうにもならないこともありますけど、気持ちは大事だと考えています」

――環境を変えることで、身につくものはなんでしょうか?

「やっぱり自信ですかね。ジュビロで試合に出られなくなり、自分の良さだったり、どういうプレーができるのかというものを披露する機会がない状態でした。そして、水戸へ行き、プレーする場所、環境を与えてもらい、得点を取れたことで、『やっぱり俺はできるんだ』と思えたんです。自信はずっと持っていたけれど、それを証明できていなかったから。でも水戸へ行ったことで、これからもっともっと上へ行けるというふうに思えた。だから環境を変えることの意味を学べたと思います」

――その後、ジュビロで2シーズンを過ごしたのち、横浜FCへ移籍し、41試合出場21得点をマークし、J1昇格に貢献。翌年にはオランダへ移籍しました。ご自身が描くキャリアビジョンは順調でしょうか?

「まったく順調ではないですよ。かけ離れたところを歩んでいると思います。本当なら20歳ぐらいで海外へ行き、ヨーロッパで活躍して、A代表にというイメージだったので。もう27歳ですから」

――チームメイトの佐野航大選手や塩貝健人選手が20代前半ですからね。小川選手もU-20 W杯での活躍を機にヨーロッパへという想いもあったかと思います。しかし、その大会で、左膝の前十字じん帯断裂および半月板損傷という大きな怪我を負い、1年近くリハビリに費やしました。リハビリでメンタルは鍛えられただろうし、若いころの負傷で、身体への気遣いもできるようになったと思いますが、サッカーを奪われたわけですから、想像を絶する悔しさも味わったのかと。

「よく『あの怪我があったから、今がある』というふうに言う選手もいます。でも、怪我はないにこしたことはない。怪我なんてしなければよかったという気持ちも当然あります。怪我をしてしまったことで、手にできなかったものはたくさんあると思います。でも、現実を受け入れて、前へ進んできました。同世代の選手が活躍するのを見れば、焦りや悔しさも感じたけれど、それを刺激にして戦ってくることができたと思っています」

僕にとって、日本代表が一番。競争に勝つためには、結果で見せていくしかない

――日本代表が世界で勝つために、必要なフォワード、ストライカー像はどのようなものでしょうか?

「全部必要だと思います。たとえば、点を獲ることだけに特化している選手でいいのか?という議論もあるでしょうし。W杯カタール大会で、日本はスペインやドイツを破りました。前田大然がすごい運動量で、前線からボールを追いかけて、守備に汗をかきました。まさに黒子のようにチームを助けてくれたからこその勝利だったんだとも思います。

でも日本はベスト16の壁を突破できませんでした。大然のような仕事もして、なおかつ点も取れるストライカーがいたら、日本は壁を突破し、上へ行けると思う。だから、日本代表がW杯優勝を目指すなら、フォワードはあらゆることすべてができる選手が必要だと感じています」

――ゴールを決めることは重要だけれど、ほかにもすべき仕事がある。フォワードに求められるタスクはどんどん増えていると。フォワードの成長が日本の結果に繋がっている。

「そうですね。間違いなくフォワードだと思っています。フォワードがどれだけ点を取って、チームをこう楽にさせられるか。加えて、前線からのプレスなどで、守備面でもチームを助けなくちゃいけない。全部ができる選手が求められると思いますね」

――小川選手にとって、日本代表とは?

「僕にとって、日本代表になるというのが一番なので。常に代表に入るというのを考えて、やってきました。それはこれからも変わりません。競争はあります。入れないときは、結果が足りないのかと理解していたし、もちろん『俺だろ』とずっと思ってきたけれど、結果でそれを証明しないといけない。競争に勝つためには、結果で見せていくしかないですね」

TEXT=寺野典子

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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