PERSON

2025.05.01

戦場カメラマン・渡部陽一、ルワンダと中東レバノン。死を覚悟した二つの瞬間

学生時代から世界の紛争地域を専門に取材を続ける戦場カメラマン・渡部陽一。これまで二度あったという「死への覚悟」、その経験から見えた「生きて帰るために必要なこと」。さらに「バラエティ番組に出演した理由」についてもお聞きした。

戦場カメラマン・渡部陽一

バラエティ出演で“時の人”に

戦場カメラマン、渡部陽一。明治学院大学在学中から戦場に赴き、戦争の悲劇と戦地で生活する人々を取材し、戦況をありのままに世界へと発信してきた。その一方で、渡部はメディアにも積極的に登場。報道番組のほか、バラエティ番組にも出演を重ね、2010年前半は「テレビで渡部陽一を見ない日はない」と言われる状況が続いた。

「バラエティ番組から最初の出演依頼があった時、写真の師匠である山本皓一さんに相談しました。僕のような戦場カメラマンがバラエティに出ていいのだろうかと。山本さんは『声をかけていただいたのなら出演してみたらいい。ただし、番組の中で撮影した戦場の写真を一枚でも紹介してもらいなさい』と。師匠がそう言うならやってみようかと考え、番組に出させていただくことになったんです」

戦場の写真を携えてテレビに登場した渡部陽一は、一躍“時の人”になった。バラエティ番組への出演は増える一方。小学校や中学校からは生徒向けの講演の依頼が相次いだ。

「いま振り返ると、いろいろな活動ができて本当によかったと思います。テレビや学校で僕の話を聞いた子供たちは、お父さんお母さんに『アフガニスタンってどこにあるの?』『どうして戦争って起こるの?』『なぜ武器を持っているの?』などと質問したそうです。日本人、とくに子供たちの戦争に対する関心が高まり、遠い国の話だと感じていた出来事が家族で話せるお茶の間の話題になった。報道に携わる者として、これほどうれしいことはありません」

バラエティ番組の出演によって、戦地へ赴く旅費や取材費の準備も楽になったという。

「僕はフリーランスのカメラマンですから、取材費をどのように確保していくかが重要。戦場取材は交通費や宿泊費はもちろん、現地を案内してくれるガイドさんに払うギャランティなど、相当な費用がかかります。そうした取材費を捻出するために、僕は20歳過ぎから30代半ば近くまで、神奈川県の港でバナナの積み込み作業をしていました。日雇いですから、『明日から戦場に行くことになりました』と、すぐに仕事を休めるのが便利だったんです。テレビ出演で“稼ごう”という気持ちはありませんでしたが、バナナの積み込みをしなくても取材費を出せるようになったのはありがたかったですね」

渡部陽一
渡部陽一/Yoichi Watanabe
1972年静岡県生まれ。明治学院大学法学部卒業。大学在学中から世界の紛争地域を専門に取材活動を行う。戦場の悲劇、そこで暮らす人々の生きた声に耳を傾け、極限の状況に立たされる家族の絆を見据える。出身地である静岡県富士市では観光親善大使を務めている。

戦地から「生きて帰ること」が重要

渡部の戦場カメラマンとしてのキャリアはすでに33年。これまで数々の戦場や紛争地域を巡ってきた。イラク戦争、ルワンダ内戦、コソボ紛争、チェチェン紛争、ソマリア内戦、アフガニスタン紛争、コロンビア左翼ゲリラ解放戦線、スーダン、ダルフール紛争、パレスティナ紛争。渡部に「戦場取材で最も重要なことは何か?」と聞くと、「生きて帰ること」との答えが返ってきた。

「20代の頃は戦場がどれだけ危険なのかを分からずに、無茶な行動ばかりしていました。危険地域に兵士よりも先に突っ込んでいく。カメラを構え、後から来る兵士の写真を撮ろうとしたんです。戦場で酒が飲める機会があればガブガブと飲み、一睡もしないで戦場を動き回った。発熱し、病気にかかったかなと思っても仕事は休まない。そんな無謀な行動の結果、痛い目に遭いました」

1998年、26歳の時。渡部は内戦後のルワンダに入った。伝染病の予防接種も受けずに、ジャングルの中で撮影を行う。渡部はマラリアに感染した。

「寒気がひどく、全身が痛い。呼吸も苦しく、意識が朦朧としてきた。もうダメだ、これは死ぬかもしれないと思いました。難民キャンプに運ばれたが、マラリアの治療薬はありません。ブラックマーケットで流れている正体不明の劇薬を投与されたが、まったくよくならない。容体はさらに悪くなり、南アフリカのヨハネスブルクに運ばれ、日本行きの飛行機に乗せられた。後になって、機内で錯乱し、意識を失ったと聞かされました。意識が戻ったのは、日本の病院のベッドでしたね」

渡部陽一のカメラ。

レバノンでイスラエルの空爆に遭う

渡部が「死ぬかもしれない」と覚悟した経験はもうひとつある。2006年7月の中東レバノン。渡部はイスラエルとレバノンのイスラム教シーア派組織ヒズモラとの交戦に巻き込まれた。

「地上でカメラを構えていたら、青空の中にピカピカと花火のようなものが見えた。その5秒後に、目の前の高層ビルがドドドドドと音を立てて崩れていきました。突如として、イスラエル軍による空爆が始まったんです。この時も、死を覚悟しましたね。でも、同行していた現地ガイドが優秀な方で、即座に避難ルートを確保してくれた。そのおかげで、生きて日本に帰ることができたんです」

ルワンダでのマラリア感染、レバノンでの空爆。これらの経験を通して、渡部には取材時のルールができあがった。

「戦場では100%、現地ガイドの方針に従う。現地の方々をリスペクトし、相手の生活慣習やルールに従って行動する。緊急時の避難経路の確保や伝染病の予防接種など、事前の準備を怠らない。戦場の取材で大切なのは8割の段取りと2割の技術。そして、最後には必ず生きて日本へ帰る」

死を覚悟するような経験から得た「教訓」。2006年のレバノンを最後に命の危険を感じたことはないというが、戦場へ赴くこと自体をやめようとは思わなかったのか。

「それは、ありません。僕がなぜ戦場カメラマンになったのか。大学時代にアフリカを訪れた時に、少年兵がマシンガンと鉈(なた)を持って、村を襲撃する光景に出くわしたんです。襲われた村の人々は血だらけで、子供たちは泣きじゃくっている。この状況を世界に伝えるにはどうしたらいいのだろうか。僕はカメラが好きだったので、戦場カメラマンになろうと決意しました。戦場に行くことは、僕に打ち込まれた楔(くさび)。何があったとしても、自分から僕自身が決めた道を閉ざすことはありません」

戦場カメラマンとして、紛争地域の取材を続ける渡部陽一。インタビュー後編では、現在の活動、家族への思い、今後の生き方などについて話を聞く。

※後編に続く

渡部陽一

TEXT=川岸徹

PHOTOGRAPH=杉田裕一

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