2011年にグラミー賞を受賞、東京2020オリンピックの開会式ではパフォーマンスを披露し、2023年公開のアニメ映画『BLUE GIANT』では音楽監督を務め大きな話題を集めた。そんな世界を舞台に活躍するピアニスト、上原ひろみの新作アルバム『OUT THERE』が発売された。キャリアを重ねてきた今の年齢だから思うこととは。インタビュー前編。 #後編(19日公開予定)

ラーメン愛を表現した曲などバリエーション豊かな楽曲
世界的に活動を展開するピアニスト、上原ひろみが結成したHiromi’s Sonicwonderの2作目がリリースされた。
アルバム・タイトルは『OUT THERE』。バンドは、ピアノ&キーボード、ドラムス、ベース、トランペットの4人編成。すでに世界各地で新曲を演奏している。
楽曲はバリエーション豊か。デビューアルバムにも収録され、その迫力で世界中のリスナーをノックアウトした「XYZ」。ラーメン愛にあふれる彼女ならではのファンキーな「Yes! Ramen!!」。組曲「OUT THERE」。センシティヴな「ペンデュラム」はヴォーカルバージョンとソロピアノの2パターンが収録されている。
「ソニックワンダーは“個”が強いバンド。それぞれの個性が際立っていると自負しています。その上で最初のアルバム『Sonicwanderland』をレコーディングし、ツアーを重ね、お互いの理解が高まって、さらにバンドらしいサウンドになりました。
阿吽の呼吸による演奏は増えたし、この4人だからこそのギュッと引きしまったサウンドになっています」
組曲は客席への挑戦状
1枚目の『Sonicwanderland』と2枚目の『OUT THERE』は、まったく違うプロセスで作曲したという。
「1枚目は、私の頭のなかで鳴っていたサウンドを実現するために必要な音楽家を集めました。2作目は、それぞれのメンバーの音を熟知したうえで、弾いてほしい曲、聴かせてほしい音ありきで作曲しました」
バンドの結束がより固くなったからこそ生まれたのが組曲「OUT THERE」だという。
「テイキン・オフ」「ストローリン」「オリオン」「ザ・クエスト」の4編からなる「OUT THERE」は計30分を超える大作。演奏する側も聴く側も緊張をほどくことなく、楽曲の世界観に包み込まれていく。
「組曲の『OUT THERE』は“ここではないどこか”という意味です。私の場合、通常1曲の長さは5分から15分くらい。1曲演奏を終えると、ステージではお辞儀をしたり、拍手をしていただいたり、MCをはさんだり、一度緊張をほどきますよね。組曲はそうはいきません。演奏する側も、客席も30分以上、一緒に旅を続けるというのかな、ともに物語をつくり上げていきます。長時間ずっと集中したままです。組曲は私にとって音楽のチャレンジで、客席への挑戦状でもあります」

ピアニスト。1979年静岡県生まれ。2003年に米メジャーレーベルから『アナザー・マインド』で世界デビュー。2011年に『スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング上原ひろみ』で第53回グラミー賞「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」賞を受賞。「東京2020オリンピック」の開会式でパフォーマンスを披露。2024年に音楽監督を務めたアニメ映画『BLUE GIANT』では、 第47回日本アカデミー賞「最優秀音楽賞」を受賞。2025年4月4日に、アドリアン・フェロー(b)、ジーン・コイ(ds)、アダム・オ ファリル(tp)と組んだバンド・Hiromi's Sonicwonderのアルバム『OUT THERE』を発売。
これまでも上原のライヴで組曲を演奏するときは、会場の空気が濃密になった。
「次は組曲を演奏します」
ステージで彼女がアナウンスすると、観客が呼吸を整え固唾を飲むのがわかる。
「あのときの会場の空気が好き」
上原は打ち明ける。
「私自身、クラシックの演奏会を訪れると、第1楽章で引き込まれ、第2楽章でどんどんテンションが上がり、第3楽章から第4楽章のクライマックスへ、さあ、いよいよだ、と盛り上がっていく。スケールの大きな映画を観るような、あのうねり」
ライブで組曲がエンディングを迎えて上原が客席に向かって深々とお辞儀をすると、猛烈な拍手に包まれる。明らかに温度は上り、拍手と歓声がいつまでも鳴りやまない。
「皆さん、ステージに向かって拍手してくださっているけれど、自分たちへの拍手でもあると、私は感じています。同じ時間、同じ場所で、同じ音楽を体感して共有したもの同士の拍手です。あの時間を新組曲『OUT THERE』でも皆さんと体験したい」
3月にアジア各国をまわった上原は、4月は北米、5月にはヨーロッパ各国でパフォーマンスを行う。
「それぞれの国でどんなふうに聴いてもらえるのか、反応を自分で体感できることにワクワクしています」

「人生は振り子」
アルバム『OUT THERE』で、組曲「OUT THERE」とは対極にある魅力を放つ曲は「ペンデュラム」ではないだろうか。
「ペンデュラム」とは、振り子のこと。その揺れのごとく、ピアノが奏でられ、振り子の球体が衝突するように音が輝く。アルバムの前半にミシェル・ウィルスが歌うヴォーカルバージョンが、終盤にはソロピアノのバージョンが収録されている。
デビュー以来、ピアニストである上原のアルバムに歌モノが収められているケースはまれだった。ところが、ソニックワンダーになってこの2枚で1曲ずつ、ヴォーカル曲を聴くことができる。
前作では、オリー・ロックバーガーが歌う「レミニセンス」。今作では、ミシェルが「ペンデュラム」を歌う。男女の違いはあるが、どちらの声もスモーキーだ。
「オリーは、ボストンのバークリー音楽大学在学中に学内で知り合いました。ミシェルはとは面識がなかったのですが、もともと彼女の歌声が大好きで、今回直接連絡しました。
この2作に歌を入れたことは、とくに意図したわけではありません。どちらも、作曲しているときに脳のなかで自然に歌が聴こえてきました。ラララルルルと口ずさみながらピアノを弾いていたら、言葉もわいてきた。ソニックワンダーというバンドはポップ。楽曲もポップ。だから、歌を呼んだのかもしれません」
2003年に上原は米ボストンにあるバークリー音楽大学在学中にデビューした。米メジャーデビューして2025年で22年になる。
「キャリアを重ねてきた今の年齢だから思うことが『ペンデュラム』の歌詞になったと感じています」
上原ひろみというピアニストは、ステージ上では常にポジティブで、音楽をやるよろこびを全身で表現してきた。それでも、人生は振り子。光があれば、影もある。出会いがあれば、別れもある。
「20代のころの私は、自分に強い意志があればずっと同じ環境を維持しながら前進できると思っていました。でも、現実はそうではありません。
大切だった人も、寿命が来れば旅立ちます。私の意志とは別の理由で、遠くへ去っていく人もいます。この世に永遠はない。それでも、どんなことがあっても、時は進み、私も進んでいく。その現実を『ペンデュラム』の歌詞にこめました。演奏は心音のようにずっと同じビートです。でも、音楽が描く景色が変わっていきます」
生きていくことの切なさ、儚さが、「ペンデュラム」の音にはにじんでいる。
衣装クレジット:LIMI feu TEL:03-5463-1500