PERSON

2025.04.19

「食事の満足度が仕事の成果を上げ、質を高める」世界が熱狂するジャズピアニスト・上原ひろみのマイルール

世界を舞台に活躍するピアニスト、上原ひろみ。デビューから22年、第一線で活躍し続ける彼女はどのようにつくられているのだろうか。最大限のパフォーマンスを発揮するために課しているルールとは。インタビュー後編。#前編

上原ひろみ

毎日の食事は作品に影響する

2003年、上原ひろみはアメリカ・ボストンにあるバークリー音楽大学在学中にデビュー。アメリカでメジャーデビューして2025年で22年になる。その間に14枚のリーダーアルバム、チック・コリア、スタンリー・クラーク、矢野顕子らと6枚のコラボアルバムをリリースした。

コロナ禍以前はもちろん、コロナ禍やその後も世界各国でツアーを行うなど、エネルギッシュで濃密な22年を送っている。そして、2025年4月に、上原ひろみが結成したバンドHiromi’s Sonicwonder名義の最新アルバム『OUT THERE』をリリースした。

インタビューの前編では、2025年4月に発売した新作『OUT THERE』の組曲「OUT THERE」や人生の光と影を奏でた「ペンデュラム」を中心に話を聞いた。後編では、限られた時間や環境で自分のポテンシャルを 最大限発揮する術について質問した。

1日は24時間。どこに住んでいても、老若男女等しく時間が与えられている。同じ時間枠なのに成果を上げるタイプとそうではないタイプがいる。上原はどんな生活の知恵や心得やローテーションから、新しい作品を生み出しているのだろう。

「食事の満足度が仕事で成果を上げ、その質を高める。だから、食べることの大切さを常に意識しています。

食事の習慣や、レコーディングやツアー中にバンドメンバーで食べる内容は、間違いなく音楽にも反映されます。演奏技術はいきなり向上するわけではありませんが、食事次第で音楽のテンションは高まると思っています」

上原は断言する。

『OUT THERE』には「Yes! Ramen!!」というシンセサイザーを巧みに使ったファンキーなナンバーがある。この曲は、幼少時からラーメンを愛する上原の思いが込められている。ラーメンは、音楽家としての彼女の身体と心のエネルギー源にもなってきた。

上原ひろみ
上原ひろみ/Hiromi Uehara
ピアニスト。1979年静岡県生まれ。2003年に米メジャーレーベルから『アナザー・マインド』で世界デビュー。2011年に『スタンリー・クラーク・バンド フィーチャリング上原ひろみ』で第53回グラミー賞「ベスト・コンテンポラリー・ジャズ・アルバム」賞を受賞。「東京2020オリンピック」の開会式でパフォーマンスを披露。2024年に音楽監督を務めたアニメ映画『BLUE GIANT』では、 第47回日本アカデミー賞「最優秀音楽賞」を受賞。2025年4月4日に、アドリアン・フェロー(b)、ジーン・コイ(ds)、アダム・オ ファリル(tp)と組んだバンド・Hiromi's Sonicwonderのアルバム『OUT THERE』を発売。

上原ひろみ流、食事のルール

デビューしてしばらく、上原のレコーディングには“儀式”があった。

録音を終え、バンドやスタッフとともに初めてアルバムを通して聴くとき、スタジオで必ずカップラーメンを食べた。当時、彼女が住んでいたボストンでは、カップ麺はまだ貴重品。だから、作品をつくり上げた自分への“ご褒美ラーメン”だった。

そんなラーメンに限らず、レコーディング中にデリバリーする食事の選択にも彼女は神経を使っている。

ニューヨークを活動拠点の1つにしている彼女は今までに何度か、アヴァター・スタジオでレコーディングを行った。かつては「パワー・ステーション」という名称で、ローリング・ストーンズやブルース・スプリングスティーンやデヴィッド・ボウイもそれぞれ代表作をレコーディングしてきた名門スタジオだ。

「アヴァターの近くにはウエストビルというアメリカン・カジュアルのレストランがあります。そこから食事を何度かデリバリーしました。

ローカル・ファームのベジタブルを生で、グリルで、ボイルで食べることができるんですよ。肉と魚のバリエーションも豊富。バンドもスタッフも大よろこびです」

きっかけはニューヨーク在住のシンガーソングライター、矢野顕子さんだった。

「矢野さんに、ヴィレッジにあるこのお店の姉妹店に連れて行っていただきました。おいしかったのでネットで検索したら、アヴァターの近くにも系列店がオープンしていたんです」

こうした食事の気遣いが音楽制作のモチベーションを上げる。それが演奏に反映されるわけだ。

「私自身、楽しむ食事はもちろん、栄養とカロリーを摂るのが主目的のあえて楽しまない食事にもルールを設けています。

家にいるときは、朝起きたらまずコーヒーを飲んで気持ちを整える。この最初の1杯は大切なので、豆から挽きます。

朝食は、ご飯、納豆、味噌汁が多いです。昼食は麺類。麺類の上に、ビタミンやたんぱく質を摂るために、茹でたほうれん草やキャベツをのせて生卵を落とす。

このように朝食と昼食ではあえてクリエイトはしません。右脳は、ピアノと、作曲と、みんなで食べる夕食に使いたいから」

コーヒーで気持ちを整えるタイプの音楽家は、彼女の周囲には目立つという。

「ソニックワンダー(Hiromi’s Sonicwonder)のメンバーは全員、コーヒーへのこだわりが強い。どの国へ行っても、どの空港のどのゲートにおいしいコーヒーマシンがあるかをチェックして、お互い情報交換しています。

ベースのアドリアン・フェローはフランス人ですが、おいしくないと感じるコーヒーは絶対に口にしません。子どものころから上質のエスプレッソを飲んでいるからだと思います。

かつてデュオで一緒にツアーしたハープ奏者、エドマール・カスタネーダもコロンビア人だけあって、コーヒーの味には厳しかった。

トリオ編成のときのドラマー、サイモン・フィリップスはロンドン出身のイギリス人ですが、エスプレッソの味にはこだわりを持っていました。彼は半世紀以上ツアー生活をしているので、世界中のホテルを熟知していて、チェックインするなり、このホテルはエスプレッソマシンがイマイチ、と教えてくれることもありました」

旅から旅へ、音楽家は演奏を続ける。そこで飲む1杯のコーヒーが、心のコンディションを整える。

違う世代を積極的に知り、否定しない

アメリカ人、フランス人、イギリス人、コロンビア人、スロバキア人……。上原はデビュー以来さまざまな国の音楽家とツアー、つまり寝食をともにしてきた。

その体験によって異文化に対してオープンな性格が養われてきた。ほかの国や人種の音楽だけでなく、さまざまな文化を自然に取り入れて、自分のなかで消化し、そういったもろもろが作品の源泉となる。

他国の文化にオープンになると、同じように世代間のギャップにも抵抗がなくなるそうだ。

「私がデビューした20年くらい前は当然年上のミュージシャンとよく共演し、年上のスタッフと仕事をしていました。その後キャリアを重ね、今は自分よりも若い音楽家と一緒に演奏し、若いスタッフとの現場も少なくありません。

すると、育って来た時代や感覚も違うし、聴く音楽も違います。それを拒絶せずに、理解するように努めています。ずっと世界をまわって異文化に対してオープンになれているからできるのではないでしょうか」

上原ひろみ

世代のギャップを最初に気づいたのは30代のころ。インスタグラムを始めたときだった。

「時間をかけてていねいに文章を書いていたら、20代の子に言われたんです。そんなのだれも読まない、と。びっくりして、リサーチすると、年下の世代のインスタグラムには文字要素がほとんどありませんでした。多くの投稿は、読むものではなく、見るものでした。

その後も自分が信念を持っていることが、意外にもほかの世代とは違うと知るケースがよくあります」

世代が違うと、デジタルツールとの向き合い方は大きく違う。

「私が使い始めたころのパソコンは、一般的には辞書的なツールで、知りたい情報を検索していました。今は自分と関連する情報が次々と送られてきます。“自分の心のドア”を開けていれば、絶え間なく情報がやってきます。情報量は多いし、速度も速い。

今はスマホで、2倍速で映画を観る人も珍しくなくなりました。そんな時代に育った人の頭の中は、私の世代とは絶対に違っていて、とても興味深いんです」

各世代の好みは積極的に知るように努める。

「知ることは大切。だからといって、それが作品に反映されるケースは少ないかな。自分とは違う世代を知り、否定しないこと自体が大切だと思っています。知ったうえで、私は私の音楽をつくっていく。その象徴が、新しいアルバム『OUT THERE』のなかの組曲『OUT THERE』です」

「OUT THERE」は「テイキン・オフ」「ストローリン」「オリオン」「ザ・クエスト」の4部構成の組曲。メンバー4人の同時録音で、ダビングはせず、アナログの手法でオーケストラのような世界観を展開する、トータルで30分を超えるスケールの大きな楽曲。

デジタルが進化した世代のサウンドとは対極にある世界観だ。

「世界をまわると、アメリカにはアメリカの文化や習慣があり、ヨーロッパにもそれぞれの国の文化や習慣があります。

イタリアに行ったら、私もイタリア人と同じようにコーヒーを飲みます。彼らは、ランチタイム以降はカプチーノを飲まない。ローマやミラノのような旅行者の多い都市部はともかく、地方の街では午後にミルクがたっぷり入ったコーヒーは飲みません。それを外国人がやると、土地の人からちょっと否定的な視線を向けられます。

こうした習慣に、そこにいる間は合わせてみる。実体験する。多文化に対して常にオープンでいたいから」

上原ひろみの音楽は世界各地の文化を受け入れ、彼女流のフィルターを通して生まれている。

<衣装協力>LIMI feu TEL:03-5463-1500

TEXT=神舘和典

PHOTOGRAPH=干田哲平

HAIR&MAKE-UP=神川成二

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